落としドコロは仕事です

June 08, 2012

あなたと私の知らない世界


あなたの知らない世界






放送作家であり、心霊研究家でもあった新倉イワオさんが

先日お亡くなりになりました。





87歳でした。





ご冥福をお祈りいたします。







わざわざ、弟からメールで訃報が入りました。





私の身内には、ありがたいようなどうでもいいようなニュースを

わざわざメールで送ってくれたり知らせてくれる人が多い。





と思ったら、弟と嫁さんだけだった・・・





少し前、嫁さんから「大事件」というタイトルでメールが入りました。





何事だ・・・!?





胸騒ぎ抑えつつ、本文を見ました。





東京都世田谷区の桜新町駅前に設置されている「サザエさん」の「波平」像。





その波平さんの頭に生えている毛1本が、なんと2回にわたって抜かれる

被害に遭っていたという事件がレポートされていました。





私は、一切表情を変えず、おもむろに携帯電話を机に置き仕事に戻りました。





まー、よくあることです。









で、偉大な新倉先生をネタにブログを書けと、弟からリクエストがありました。





とはいえ、新倉さんについては、それほどの思い入れもなく、「イワオ」という

名前が友達の名前と一緒だな・・・ と思っていたぐらいです。





てか、すでに「あなたの知らない世界」に旅立っていると思っていました。





随分前に訃報を聞いた気がしましたが、ありゃ夢か?





新倉さんは、宜保愛子さんをこの世に送り出した立役者として有名です。





私としては、宜保さんのほうが思い入れが強い。





晩年は真贋論争でも話題になっていましたが、すごい人だとビビッてました。





なぜビビッていたのか?





それは「私の知らない世界」をよく知っている人だと思っていたからです。





現実の世界でも、私たちにとって知らない世界はたくさんありますよね。





自分のことも、他人のことも知らないことでいっぱい。





知らないからこそ疑心暗鬼になったり、恐れたり、不安に思ったり、悩んだりします。





ということは、単純に知れば良いのです。





「箱」は自分のことを見つめる力を与え、自分の知らなかった現実を教えてくれます。





「CUBIC」は、仲間の知らなかったいいところを教えてくれます。









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June 01, 2012

間違えない!



悪友





先日、







旧友に会い、メシ食いました。







そこで、







いきなりツイスト

踊る羽目になりました。







へ?

なんで?







知人の結婚式の2次会の

余興で踊るらしく、

踊り方を教えてくれだと。







んなもん、

テキトーに腰や脚をクネクネ

させときゃええやん。







ま、

昔取った杵柄








か?








いや、








雀百まで踊り忘れず








なのか?















しかし、







酒が多少入ってはいるものの、

いきなり踊ってくれと言われても

たじろぎますね。







ちなみに、

わが社の営業部青木さんは

ダンスの先生をしています。







スマップの中居君ダンスが得意です。







どんなダンスか気になる人は、

直接踊ってくれとお願いしてみてください。















あ、


ツイストってわかりますか?










ついすと


Let's  Twist!















ツイスト2


ぶんぶんですがな













たかしふじき


あもーる















ツイスト


なんかちがう















ツイスト3


かっこいい〜







今、この人のお顔は

随分と誤ってますよね








いじりすぎちゃって














というわけで、


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明日は千葉!





CUBICセミナーやりますよ〜







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November 28, 2011

キュー


九1



小1の息子のテスト









一ヶ所だけ訂正されて100点はお預け










それにしても先生厳しいねぇ・・・





















しばらくしてもう一枚返ってきた















九2



ん〜 おしい!










またお預け!










てか若干先生の悪意のようなものを感じるね










こだわるねぇ











「キュー」へのこだわりだ


















キューといえば!






試しにやってみない?





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June 23, 2011

三河から!

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三河から元気を発信する。

 

 

わが社は理念を掲げ、それを誓っています。

 

 

わが社は豊橋市にあります。

 

 

豊橋市は三河の中でも、静岡よりの東三河の中核都市になります。

 

 

そして、我々の活動の基盤である東三河地方、静岡県の浜松市を中心とする遠州地方、長野県の飯田市を中心とする飯伊地域(南信州)の地域をまとめて三遠南信地域と呼んだりします。

 

 

ということで、東三河は遠州地方と密接に結びついており、愛知県とは言え、どちらかといえば西に位置する名古屋市を中心とした尾張色よりも、遠州色が強く影響している土地柄です。

 

 

遠方へ出張に行くと、愛知≒名古屋だと思っている人がたくさんいます。

 

 

しかし、我々豊橋人は名古屋人とはさっぱり違います。

 

 

前述したように、愛知県の西と東、在来線で50分、新幹線だって、こだまで30分かかるほど距離が離れています。

 

 

ですから、「名古屋の伊藤さんです」と紹介されたり、名古屋の話をされてもチンプンカンプンなのですが、最近では一々否定するのも邪魔くさいので、適当に話を合わせてしまいます。

 

 

ま、そんなことはどうでもいいんですが。





で、そんな東よりの豊橋人である私たちが日常で使っている方言を改めて意識してみると、なるほどね〜と納得してしまいます。

 

 

随分と遠州の言葉を使っているからです。

 

 

少し調べてみました。

(ここから少しの間、非常にローカルねたになり、豊橋人向けですから、分らない人にはさっぱり分らないという偏った話になりますのであしからずご了承ください)

 

 

三河弁の王道「じゃん」「だら」「りん」。

 

 

会話の語尾にこれらの言葉がひっついてくるのですが、名古屋の「みゃー」や「だがや」と似たようなものでしょうか。

 

 

断定であったり、確認の意味があります。

 

 

遠州でも「だら」は使いますが、「だに」「にぃ」を使うこともあります。

 

 

「そうでしょ」 → 「そうだら」 → 「そうだに」  微妙なニュアンスの違いこそあれど、すべて同じ意味です。

 

 

私の父親は静岡県の西の端、つまり豊橋の隣の町、湖西市白須賀町の出身の遠州人で、隣と言えど、やはり豊橋人とは少しニュアンスの違う言葉をしばしば発していました。

 

 

私が子供の頃、聞いて爆笑したのが、「てんこちょ」。

 

 

何のことか分りますか?

 

 

頂上やてっぺんのことを言います。

 

 

ですから、例えば、「頭のてっぺんに虫が止まっていますよ」と相手に伝えるときには、「頭のてんこちょに虫が止まっとるにぃ」となるわけです。

 

 

豊橋人が普段使っている言葉でも、実は三河弁ではない言葉はたくさんあります。

 

 

一例を挙げると、

 

 

 〇 面倒くさい  →  だるい

 〇 つねる  →  ちみくる

 〇 すぐに、急いで  →  ちゃっと

 〇 内出血する  →  血が死ぬ

 〇 乱雑にする、汚す  →  ちらかす

 〇 ふざける  →  ちょうける

 〇 すごく怒る  →  どたける

 〇 天然パーマ  →  ちんじゅう

                           等々・・・

 

 

地続きの日本、当然境界線通りにきっちり物事が分れるということはありません。

 

 

潮の混じり目、潮境には良い漁場ができます。

 

 

日本の真ん中愛知県、三河。

 

 

名だたる戦国武将を輩出した土地。

 

 

東と西が融合する土地。

 

 

変化は三河から始まる。

 

 

一説によると、すき焼きの味やつくり方は豊橋が分岐点になっているとも言われています。

 

 

三河から元気を発信するホウキン。

 

 

私たちは、どんどん変化を促し、元気を発信していきたいと思います。

 

 

 

 


来月は7月15日(金)開催予定です!


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April 04, 2011

つくしなわたし



つくしさん




先日、つくしを取りに行った。




時間をかけてたくさん取っても、袴を取るのに時間をかけても、食べる時には、驚くほどしょんぼりした量になってしまう。




でも、つくし食べると春を感じるよね。






つくしはスギノコの胞子茎。




時期が遅かったからか、胞子がブンブンに飛び回り、その日は一日中鼻がモゾモゾして大変だった。






我が家の庭にもこのスギノコが大量に生えてくる。




超ウザくて激しく駆除が大変な雑草だ。




こいつにいつも悩まされる。




たまにつくしさんもお庭に生えてくる。




地面の下でスギノコさんとつくしさんはつながっている。




仲良しさんなのだ。




根深いから駆除が大変。




庭以外のところに生えてくれるのはありがたいんだけどねぇ。




頼んでもいない野草がたくさん庭に生えてくれる。




そういう植物を私たちは雑草と言っているんだけど、向こうにしてみれば種の生き残りをかけて必死に繁殖しているわけだ。




でも、やっぱ我が家のお庭以外でお願いします・・・




「雑草という名前の草は無い」 




そう昭和天皇は、のたまった。




どんな草にも名前があるんだから、人間の都合で邪険に扱うような呼び方をすべきではないということだ。






つくしは土筆と書く。




土に生えた筆。




ま、そんな感じだよね。




そうなのだ。




雑草にだって野草にだって、私たちが知らないだけで様々な名前がついている。




だから、そう思って、ちょっと調べてみた。




そしたら、野草と言うのは、やはり種類が多いからなのか、かなりやっつけではないかと思われる名前が多い。




動物や植物の名前が入った名前や、その特徴から見たまんまの名前や、とんでもなくイメージを膨らませて飛躍してしまった名前などバラエティーに富んでいる。




ときにとってもかわいそうな名前もある。




例えば少し挙げるだけでも、ハキダメギク(掃溜菊)、クソニンジン(糞人参)、ヘクソカズラ(屁糞葛)、ヌスビトハギ(盗人萩)、ブタナ(豚菜)、ノボロギク(野ボロ菊)、ヤブジラミ(藪虱)、ジゴクノカマノフタ(地獄の釜の蓋)、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭)など、あらま〜もっちょっと何か別の名前があったんじゃない?という名前がたくさん出てくる。




ま、それぞれ、それなりにネーミングの所以があるんだけど、さらにひどいのにこんなのがあった。




【イヌノフグリ】




フグリって何だ って思うでしょ?




で、これを漢字で書くとこうなる。




【犬の陰嚢】




そう、フグリとはアメリカンクラッカーさんのことなのだ。




果実のかたちが似ているということなんだけど、もっと別のものに喩えようがあっただろうに・・・




ちなみに、お友達に【オオイヌノフグリ】、【タチイヌノフグリ】という種類もある。




た 立犬って・・・




名は体を表すって言うよね。




子供の名づけはメチャクチャ大事。




最近、子供にとんでもない名前をつけちゃってる親が増えてるけど、子供の将来が案じられるよね。




商品開発におけるネーミングも、マーケティングをする上でのキャッチコピーもとっても大事。




名前買いしてしまうものもあるぐらい。




商品力にほとんど差別化ができなくなってきていますので、顧客の購買意欲を上げるのは見せ方にあると言ってもいいのかもしれません。




もちろんはったりだけで売れ続けることはありませんが、商品自体に自信があれば、必ずリピートは起きます。




正直なところ、私はマーケティング下手です。




でも、箱セミナーが少しずつ広がりを見せ始めました。




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商品力、つまり内容の素晴らしさが徐々に浸透し始めたからだと思っています。




マーケティングも少しずつでも愚直にやり続けていこうと思います。




継続は力なり。




土筆さんに見習って、少しでも根深く、強く、そして美味くありたいと思います。







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October 02, 2010

めおと

 

弊社業務部のみかちゃんが友達の結婚式に行ってとても感動したらしい。

 

死ぬまでの愛を共に誓っていたんです! 感動です!

 

と興奮しながら教えてくれた。

 

でもなぜか笑っていた。

 

 

死ぬまで人を愛し続ける。

 

 

 

 

 

   (ー_ー;)

 

 

 

 

 

 

   (ー_ー;)

 

 

 

 

 

 

 

   (O_O)

 

 

 

 

愛するということを恋愛感情だけで捉えると辛いものに思えるかもしれない。

 

出会った頃のようにぃ〜♪

 

なんてなんかの歌みたいに、同じテンションで同じ人を愛し続けるなんてことは、そりゃ、できれば素晴らしいことだけど、現実的には無理だ。

 

 

 

と思いますけれども?

 

 

 

惚れた腫れたの感覚だけが愛することだったら狭すぎる。

 

それは愛じゃなくて、いわゆる恋ってやつだね。

 

 

 

結婚がゴールだと思っている人は多い。

 

結婚すれば幸せになれると思っている人が多すぎる。

 

何かを達成したことによって得られる幸福感はいずれ消滅する。

 

で、消滅した後どうなるか?

 

トキメキがなくなったと言って、それを他人に求め始める。

 

要するに浮気だね。

 

お互いにいがみ合い、冷戦が始まる。

 

子供の教育や仕事に夢中になる。

 

逃避だね。

 

最悪、離婚する。

 

 

 

愛することは、けっしてたがいに見つめ合うことではなく、

いっしょにおなじ方向を見ることだ


サン・テグジュぺリ

 

 

 

深いねぇ〜

 

 

 

互いを見て不平不満を抱くのではなく、夢や目標、目的を満たすようにしていくことが愛するということなのだとヨン様のお兄様のサン様はおっしゃっているわけなのだ。

 

なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでやねん

 

 

なんでやね・・・  ん・・・

 

 

 

 

 

チームビルディングにおいても一緒だ。

 

社内ばかりに意識が向いてしまっている組織のなんと多いこと。

 

愚痴や不満ばかりで、いかに同僚や上司の足を引っ張ってやろうかなんて考えている人もいたりする。

 

見るべき方向を定め、視界に入れるべきはお客様。

 

 

死ぬまでの愛・・・とまでは言えないが、ホウキンにいる限り、社員みんなの幸せにコミットしたい。



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March 29, 2010

ヲタクスイッチ

 

パソコンでインターネットをするようになって、この世界には独特の文化があることを知りました。

 

また、そのコミュニティーにいる人たちだけが使う特別な言葉があることも知りました。

 

いわゆる、ネットスラングというやつです。

 

その中には、同人用語だの、オタク用語だの、萌え用語だの、腐女子用語だの、ヤオイ用語だのと括りがいろいろとあるようですが、正直よく分りません。

 

場所やコミュニティーごとで分けて考えた場合、有名なのは2ちゃんねる用語などでしょうか。

 

しかし、やっぱり、よく分りませんので、私辺りの感覚では、言葉も存在も、それらを一緒くたに捉えて、まとめて『オタクさん』と呼んでしまいます。

 

『ヲタク』とも書くらしいです。

 

 

 

 


はっぴ

 

 

 

最近まで知らなかったのですが、このヲタクさんたちの世界には、独特な『ヲタク芸』、または『ヲタ芸』と呼ばれるものが存在します。

 

以前、テレビで特集されていたのを見て衝撃を覚えました。

 

ご存知ない方はYouTubeとかでぜひとも動画を検索して見ていただきたいと思います。

 

やばいです。

 

ヲタクさんたちには、かなりのパーセンテージで小太り系の人がいたりします。

 

また、そのような人たちの体型を『秋葉体型』や『ピザデブ』と言ったりするそうです。

 

でも、そんな人たちがかなり激しく踊るのです。

 

それはもぉ強烈なインパクトです。

 

 

 

 


 

ヲタク芸

 

 

 

人は熱中すると驚異的なエネルギーを発しますが、ヲタクさんたちのあの熱気はすごいです。

 

ケッシテ、ヲタクさんに集まってほしいというわけではありませんが、これを例に倣えば、職場に社員みんなが熱中できる何かしらの事や物が常にある状態を作りだすことができれば、そこに偉大な力が生まれるのではないかと考えるわけです。

 

いまどきの若者は元気がないとか、ドライであるとか、仕事に対する関心が希薄であるとか、様々なことを言われてますが、私は全部が全部そうだとは思いません。

 

人間の本質的な部分は今も昔も変わりません。

 

環境の変化で、見える部分の表面上の違いこそあれ、やる気やその気のタネはみんな持っていると思います。

 

ただ、現代社会においては、そもそも価値観が多様化していますので、どこにそのスイッチがあるのかが分り難くなっています。

 

また、ゆとり世代などと言われ、育ってきた環境によって、随分と物事の捉え方が我々世代とは違っていたりします。

 

しかし、人間、やる気のない人は基本的にいないと思うのです。

 

やる気がないように見えてしまう人は、やっていることに対して興味や関心を持てないだけです。

 

スイッチを探し出し、それを押していく作業。

 

私を含め、誰かをリードしていく立場にいる人にとって、その作業を行うことこそが、組織においてはとても重要なことであると思うわけなのです。

 

さあ、キミタチのヲタクスイッチを押してあげようではないか。



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January 08, 2010

規則性の中の不規則さ

 

あなたにはこんな経験ないだろうか?

 

子供の頃、床に張られたPタイルのつなぎ目やフローリングの木目に沿って歩き、

 

 

『このつなぎ目を踏み外したら死ぬ』

 

だとか

 

『最後に左足で踏み終わったらアウト』

 

 

などと、何気ない日常にゲーム性を持ったり、密かな喜びを見出しながら、ひとりトボトボと下を向きながら歩いてしまったというようなことが・・・

 

当然のことながら、踏み外したところで死にもしなければ、アウトになんてならない。

 

だいたいセーフだったらどうなんだっつーんだ。。。

 

基本的に、人は単調な作業や行動によって物事が継続的な状況にある場合、慣れや、飽きがきてしまうものだ。

 

だから、そんな状況にある場合、より高度でチャレンジングな作業を好む傾向にある。

 

もちろんそうでない人もいるだろう。

 

本人がゲーム性を持った上でやっているかどうかは別として、我が家の子供もたまに下を向いて一生懸命に目印を見つけては、それを踏みながら歩いていたりする。

 

しかし、これは子供も大人も人である限りみんな一緒だ。

 

連続性や規則性の中に楽しみを見つける。

 

先日、とある大型スーパーへ行ったとき、遠くからうつむき加減で奇妙な歩き方をしながら、まーまーなスピードで早歩きしている小太りなおっさんが私の方へズンズン近寄ってきた。

 

正直なところ、若干ひるんだ・・・  &  構えた・・・

 

で、あせって事前に少しだけ横によけた。

 

しかし、彼は変わらずそのままのスピードを保ちつつ、相変わらず下を向きながら突進してくるではないか。

 

私は思わず、いざとなったら、北斗宗家2千年の歴史、封印していた必殺の秘拳をお見舞いしてやれる体制に入った。

 

が、彼はあっさりと私の傍を通り過ぎて行った。 数字らしき言葉をつぶやきながら・・・

 

言うまでもないが、その足元はしっかりとPタイルのつなぎ目を踏みしめていた。

 

かなり大きめなタイルだったため、妙に歩幅が大きく、歩き方の奇妙さに拍車をかけていたのだ。

 

人間はファジーな生き物だ。

 

ロボットのようにはいかない。

 

連続性や規則性の中だけで、それぞれの人間のポテンシャルは上がらないし、発揮しにくい。

 

作業の効果や効率を計る側の人間であれば、規則性を求め、その中に基準や評価を作ろうとするが、実際には、作業する側の人間は非効率的になっていくという現実がある。慣れや飽きによって。

 

私は過去、営業の見習いの頃、先輩に、眠たい顔してお客さんの所へ伺うくらいなら、少しでも仮眠をとってから出向け、と教育された。

 

つまり、昼寝はぜんぜんアリという教えを頂いたわけだ。

 

集中力を欠いた状態や物事が常態化してしまっている場合、当然緊張感ややる気などというものは発揮されにくくなる。

 

人間にはロボットと違い、集中力やシナジーという、規則性の限界を超えることができる力を秘めている。

 

いかに同じような毎日を違う毎日にするのか、そしてどのようにi活き活きワクワクとして楽しむことができるのか。

 

自動車のクラッチにもアソビが必要。  仕事の中にも遊びの感覚が必要だ。

 

仕事をいかに楽しくすることができるのかはその人の考え方次第で決まるのだ。



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January 04, 2010

OH!正月〜!

 

みなさま、どのようなお正月ライフを送っていらっしゃいますでしょうか?

 

私は、えぶりでぃヒーロー三昧の日々でございます・・・。  

 

この頃、こんなブログネタばっかだね・・・

 

最近、ツタヤさんでDVDの旧作が100円ということで嫁さんが仮面ライダーのちょい古い版のものをいろいろと借りてきます。

 

長男、次男がはまっているのは仮面ライダークウガ。

 

 

 

 

食うか?

オダギリジョーさんの出世作?でございます。

 

 

 

次男の狂いっぷりが特にひどく、朝目覚めると早速リモコンを私に突き出し、ホレ再生せんかいとばかりに強要してきます。

 

またかよ・・・と思い、イヤだと拒否するとひっくり返って狂ったように泣きます。

 

しかし、つけたら最後、エンドレスなのです。

 

しかも一緒に見ることを強要します。 別の部屋に私がこっそり逃げていくとまた泣きます。

 

そして連れ戻されます・・・

 

もはや軽い拷問のようなものです。

 

毎日朝から晩まで同じものを繰り返し見なければならない状態です。

 

そして、歌が始まると次男の≪ふんっ!はぁっ!≫が始まりまります。

 

しかし、仮面ライダーのテーマソングはどれを聞いてもかっこいいですねぇ。

 

最近、仮面ライダーダブルとクウガの歌が頭の中で頻繁にコダマしています・・・

 

で、次男の≪変身≫が始まります。

 

最近『変身』という日本語とライダーばりに格好つけることを覚え、彼の真剣さに笑えて仕方ありません。

 

変身するときの顔は超りりしく、もはや彼の心はライダーのそれに成りきっています。

 

そして、変身するときの指の形状が彼の中で肝になっているらしく、いつもチェックを欠かしません。

 

大爆笑です。

 

その後、仮想の敵めがけ、剣のおもちゃや、棒状の『何か』を振り回し、彼の戦いが始まるのです。

 

敵はTPOに合わせて私になったりもします。

 

 

そんな次男を傍目に、今度は長男がこれまた仮面ライダーのかるたを持ち出し、遊んでくれとせがんできます。

 

長男は極度の負けず嫌いです。

 

そんな性格はおそらく嫁さん似たのでしょう。。。   ?

 

どうしても負けたくないという気持ちから、彼はおそろしい作戦に打って出ます。

 

名付けて≪自分読み、自分ドリ≫作戦です。

 

頭のひらがなだけをササッと自分で読み、速攻で奪っていきます。

 

しかも最初にカードのある場所を確認しておいた上で・・・。

 

カチンときた私はその視線の先をチェックし、取りに行くヤツの振りかぶりの大きいモーションをかいくぐりながら先に取ってやる作戦に出ました。

 

それが笑えるほどヒットし、ヤツは悔しがるわけです。

 

そこで、ヤツはズルイと言い始めます。

 

だから、私はそれに大人げなく対抗して、おまえのほうがもっとズルイではないかと幼児相手にムキになっていたら、彼は最終作戦を遂行し始めました。

 

なんと今度は≪読みさえしない、自分取り≫大作戦。

 

読んで字の如くです。 もはや読みません。 読んでくれません。

 

なすすべもありません。

 

それで楽しいのか?と問いかけると彼は満面の笑みです。

 

じゃあ、一人でやってください、お父さんはいらんでしょ?と言えばそれはいかんと言います。

 

次男のDVDと同じです。 そこに誰かが存在しなければいけないわけです。

 

で、かるたが飽きれば、今度はシンケンジャーのすごろくが待っています。

 

そして、これも自分が勝つまで放してはくれません。

 

 

今年の正月は、長い休みですが、今年はほぼどこにも出ていません。

 

食っちゃ寝状態で随分体が重い。   &飲みすぎで体調わろし・・・   これは毎年か・・・

 

出かけない分、子供たちとの時間がしっかりと取れる休みとなっています。

 

バカ親ですが、やっぱり子供はかわいい。

 

そして、やっぱりいろんな気付きを与えてくれる。

 

子供の好きなものやことに対する執着やエネルギーは凄まじい。

 

興味のあることや楽しいことには同じことでも何度でも繰り返す力が生まれます。

 

それから、誰かに傍にいて見てもらいたいという、小さいながらも人として当たり前の承認欲求を持っています。

 

だから、私にいてもらいたい、見てもらいたいと思う。

 

そして彼らはマグロのように止まらない。

 

あんな小さな体のどこにそんなエネルギーがあるのかと不思議に思います。

 

また、同時に、そんなエネルギーが生かされる方向に、伸びゆくままにしてやりたいと思います。

 

子供には押しつけや強制ではなくやりたいことを見つけるサポートや、やる気を育てる教育をしていきたい。

 

大人の目線や親の体裁だけで詰め込む教育ばかりにならないようにしたい。

 

いつか、親に感謝する時が来るのだと自分に言い聞かせながら、嫌がるものを強制するのではなく、しかし、子供にとって必要なことなのだと長く生きた先輩として思うことがあれば、彼らが納得するように会話を持って育ててあげたい。

 

そして、これはもちろん子供のことだけではなく、大人の世界でも同じだと思うわけなのです。

 

ホウキンはそんなスタンスで社員の働く環境を作っていきたい。

 

仕事が楽しいと思える環境を作る。

 

これが私の仕事です。

 

2010年。 

 

≪〜になりますように≫などと願うのではなく、≪する、やる≫という主体性を持って私は動いてまいります。

 

おっしゃ!やったるでぇ〜!!



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November 01, 2009

夢の続き

 

マリヤン


なんとなくショコタン風味?

 

 

前回、前々回あたりのネタに絡んで、再びダラダラと考えてみることにする。

 

BGMは竹内さんの『夢の続き』で。  

 

≪夢≫について、最近ハヤリの脳科学的側面から少し調べてみた。

 

人は夢を見ながら、記憶や情報の整理をしているということまでは分ってきているらしい。

 

とは分ったものの、だからと言ってやっぱりいまいちピンとはこない。

 

あー、そーなんだー、夢見ることで記憶を整理してるんだ、なるほどねぇ〜  というようには素直に飲み込めない。

 

昨晩見た夢、起きた分では覚えていた気がするけど、もう忘れたわ・・・

 

私の場合、会ったことのない知らない人が登場することもある。

 

どういう整理の仕方をしてるんだろうか・・・

 

ムムム  やっぱりピンとこない・・・

 

 

 

私の場合、夢を見たい見たくないのレベルで言えば、勝手に見てしまうのだから無意識の中の反応であるということができる。

 

寝言もコントロールできないから恐ろしい。    ん?ナンデ オソロシイの?

 

起きている間にも、人間は実は無意識の行動のほうが多いことは前々回のブログに書いた。

 

自分の思考していることは、相手が超能力でもなければ他人に簡単に伝わるものではない。

と私は思っていた。

 

だから私のことがよく分かっている、というかすぐに察する嫁さんをエスパー魔美かと思っていた。

 

 

 

 

 

 

えすぱー

ちなみにこの人じゃない。

 

 

同じ≪イトウ≫でも我が家は≪伊東≫じゃなくて≪伊藤≫だ。

 

まー、そんなことはどうでもいい。

 

通りをすれ違った人が何考えているのかなんて分かるわけないし、会話の途中でもなければ近い関係性をもった人であっても、他人の頭の中なんてきちんと把握することは難しい。

 

そして、相手の考えや意図するところ、本音を理解するには相手の意識していることにこちらの意識を傾けなくてはならないと考えていた。

 

しかし、真実はその逆で、相手の無意識の中にこそ人の感情を察知することができる。

と私は思う。

 

基本的には言葉や行動に移してくれなければ、相手の感情や考えていることを読み取ることは難しい。

 

無表情な人に感情を感じないというのはそういうことだ。

 

そして相手の無意識の中に、本来の相手を感じるということは聞く姿勢や共感するこちらの感情が重要になる。

 

ウソの上手な人は相手側の問題であって、こちらの範疇ではないから、ここで言いたいことは、あくまで自分のスタンスであることを前提とする。

 

 

 

起きている間には、意識や行動をコントロールすることができる。

つまり、意識的に行動することができるということ。

 

私は分かりやすい人だとよく言われる。

ということは無意識レベルでしている行動が多いということで、それが相手に簡単に伝わってしまうのだろう。

 

というわけで、直感型、直情型人間に分かりやすい人が多いというのも理解ができる。

 

◎素直さとは、思考や感情や言葉と行動(現実)が一致していることだ。

だから、素直さを持つことは無意識にできること。感じたことをそのまま言動に移せば良いからだ。 

そして、もちろん意識してウソをついたり、自分の本当の反応を隠すことはできる。

ということは、体裁持ちやプライドの高い人は素直じゃなくなる。

 

◎誠実さとは、その逆で、行動(現実)を感情や思考に合わせることができること。

したがって、意識した行動をしないと信頼を獲得することは難しい。

 

前者において意識することにたけている人、感情のコントロールが上手な人はウソがうまい。私はヘタ。

 

ということはやっぱり無意識レベルで動いていることが多いんだな。

まー、良い意味で捉えれば素直だっちゅーことだ。 マエムキマエムキ!

 

 

 

寝ている間も、もちろん自分をコントロールすることなど無理。

 

人によっては夢をコントロールできるという人がいるらしい。

 

ということは、意識下で夢を見られるということで、私にしてみればスゴイというかウラヤマシイというか、でも同時にそれってホントに寝てんの?という疑問も湧いてくる。

 

見たい夢を見られるということは、レンタルビデオ屋さんに行って見たい映画や映像を借りてくるようなもので、ということはあんなことやこんなことも見られてしまうわけで・・・ さらに言えばあの人にあんなことやこんなことをさせられるわけでグシシシシ・・・

 

・・・   ・・・   ・・・

 

 

 

以前、東南アジア系のおねいさまたちのいるお酒を飲ませてくれるお店に行った日に、カタカナの女の人らしき名前を寝言で発していたらしく、嫁さんにとても怒られたことがある。

 

そんなんムイシキじゃ〜ん!

 

と言って必死に状況を説明しても、こういう場合、私も長年日本で生活しているんだけど、日本語の通訳さんが欲しいぐらいに自分の言葉が相手に伝わらない歯がゆさを感じるのは何でだろう・・・

 

 

 

 

 

赤と青のエクスタシー

 

テツトモのように私がなんでだろう〜と歌って踊っても、きっと嫁さんは喜ばず、余計に話がこじれてややこしくなるばかりだ。

 

でも、そんなとき、私の頭の中では妖精のような小人の二人が私の洋服のポケットから這い出してきて、そこかしこでチョロチョロし始めるというような空想が展開されてしまい・・・  

テープの早回しのような声で机の上を走りまわったり、嫁さんの頭の上で踊ってたらおもろいだろうな・・・

 

こういう反省のなさが相手に伝わるんですかねぇ〜

無意識だ・・・

 

問題はどうやら、そういうお店に行く、おねいさんの名前を覚える、などの本人の意思の問題、意識レベルでのことだということを、ウスウス感付いてはいるんだけど・・・

 

 

 

 

同じ夢を何度も見るという人もいるけど、これにも何か意味があるんだろうね。

 

これは完全に無意識レベルでの話だと思うから、こちらは心理学的な側面からアプローチしたほうが良いのかもしれんね。

 

何かのシグナルが送られているんだろうねぇ。

 

夢をコントロールできる人はこれもコントロールできるのだろうか?

 

 

 

 

目的や目標などを置いて行動することは、≪意識≫に目を向けることだ。

 

一方、創造性やアイデアなどは、≪無意識≫に目を向けなければならない。

 

だから、クリエイティブな人は、夢の中からヒントを得ることも多い。

 

良くないことだけど、ミュージシャンなんかが薬物からくる幻覚にヒントを得て作品を作る人も少なくない。

 

前々回のブログに書いたように、無意識下にある思いこみという負の思考のサイクルは断ち切るべきだが、発想やアイデアは意識された世界以外の無意識の世界に目を向けなければならない。

 

つまり、自分の関心の外にも目を向ける、簡単に言えばアンテナを張って周囲に目を向けるということ。

 

しかし、何事もバランス。

 

意識しなければならないことに集中できなければ、それは注意散漫なだけであって、意識の外に目を向けることができなければ、視野が狭いというだけである。

 

会社のような組織の中では、やはり、≪意識≫すべきことばかりに目を向けさせるようなコントロールされた風土では、社員の主体性を引き出すこともできないだろうし、視野の狭い人間ばかりになって、挙句には会社の成長も止まるであろうということが容易に想像できるわけだ。

 

だからこそ、私は率先して無意識的に直感的に変人でいようと思う今日この頃なのだ・・・

 

 

ちゃんとおちた・・・?  ダメ?



houkinkun at 09:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!