どちらかといえば仕事

December 13, 2010

ゴキゲンプロジェクト

 

私の友達に餃子の国からやって来た餃子大使がいるわけなのですが、どうやら餃子星の話が漫画になってしまったようです。

 

 

 

 

餃子まんが

 

 

 

餃子ブラザーズのことが書いてあります。

 

コンビニに売っているみたいですよ。

 

詳しくは餃子大使のブログを見てやってください。  →   http://plaza.rakuten.co.jp/gyozablog/diary/201011230000/

 

 

漫画を読む習慣は私にとって、ほとんど中学生レベルで終わっています。

 

中学生を境にどんどん漫画離れをしました。

 

漫画よりも楽しい事がいろいろと見つかってしまったからです。

 

遊ぶのに大変で漫画を読む暇などありませんでした。

 

ま、たまに弟の読んでいるジャンプを見たり、弟の買った漫画を借りて読んでみたり、といった具合です。

 

例外として、ゴルゴを100冊以上後輩に借りてはまったり、サラリーマン金太郎をはじめとして、本宮ひろ志作品をいくつか読んだこともありましたが、漫画喫茶にも行ったことがありませんし、飲食店で食事をしながら漫画を読むこともありません。

 

別に嫌いというわけではありませんが、他にやりたいことがたくさんあるだけの話です。

 

というわけで、同様に時間がもったいないと思われるテレビゲームも全くやりません。

 

例外的に、弟のスーパーファミコンで一時、初期のストリートファイターとドラクエにはまったことはありましたが。

 

ですから、私がしばしばブログの写真やモチーフに使う漫画やアニメは、その当時流行っていたものが多いです。

 

そこまでしかよく知らないからです。

 

北斗の拳やキャプテン翼、シティーハンターやキン肉マンなど、週刊少年ジャンプが隆盛だったころの作品止まりです。

 

なので、同世代の方からは私の年齢がだいたいどのくらいなのか、すぐにばれてしまいます。

 

ま、隠してもいないんですが。

 

しかし、きっと、このブログを見ている就活中の学生さんにとっては、何のこっちゃさっぱりわからないことでしょう。

 

でも、いいのです。

 

理解されなくても。

 

何となく、ゴキゲンさが伝われば。

 

キーワードはゴキゲンです。

 

何となく、フキゲンさんではなく、ゴキゲンさんな社長であることがわかっていただければ。

 

 

今、ゴキゲンなプロジェクトを計画中です。

 

餃子大使さんが、本業の方でそのプロジェクト関わってくれますが、彼は私と同級生で、漫画やアニメセンスが似ていますので、きっとそのプロジェクトにも大いに活かされることでしょう。

 

え?一体何をするんだって?

 

別に北斗の拳やキン肉マンをどうにかしようというわけではありませんよ。

 

そんなんわかってるって?

 

 

まー、でも計画中で、動き出してもないので、今のところ内緒です。

 

ひっひっひ・・・

 

でも、きっとそのうちわかるでしょう。

 

計画倒れの可能性もありますが。

 

ただ、餃子大使への依存度が高いので、彼に頑張ってもらわなければなりません。

 

 

 

いやいや、しかし、何にしても来年はいろいろと楽しい年になりそうです。

 

ふっふっふ・・・

 

 

 

 

 

箱セミやってます  ↓

choice



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November 03, 2010

さいなら

 

先日、近所のガソリンスタンドで燃料補給をした際に、もうすぐ店を閉めます、今までありがとうございましたと告知された。

 

えっ ほんとぉ〜 そりゃ、いままでお疲れ様でしたねぇ〜

 

てな感じから、状況を少しだけ聞いてみた。

 

やっぱり、そもそもガススタ業界は厳しい上、この不況とセルフ乱立の時代の流れには勝てず、残念ながらということらしい。

 

セルフにするには、それなりの設備投資をしなくてはならず、財務体質の弱い、簡単に言えばお金のない企業はついていけず、店舗閉鎖、廃業を余儀なくされている。

 

 

 

話は変わるけど、これまた先日、愛知県最後の砦だった名古屋にあるストリップ劇場、「ライブシアター銀映」も惜しまれながら?閉館となったそうだ。

 

お世話になった諸先輩方もおられるかと思うけど、不況の余波と風俗産業の多様化によって愛知県から、日本狼のように、タスマニアタイガーのように、これで事実上絶滅してしまったことになる。

 

 

 

それからそれから、繊維業界紙の「日本繊維新聞」が発刊を休止、発刊元の日本繊維新聞社も事業停止したらしい。

 

えっ あの繊維新聞がっ!

 

ってことも別になく、私自身その存在を知らなかったけれど、鉄鋼業界にも業界紙はいくつかあるため他所事ではない。

 

 

 

世の中はどんどん変わっていく。

 

何もかもが物凄いスピードで変化していく。

 

変化についていけない企業が淘汰されていくスピードもめちゃんこ速い。

 

我々、鋼材、鉄鋼流通業界だって同じだ。

 

しかし、不況業種、斜陽、衰退産業と言われる業界にも踏ん張っている企業はたくさんある。

 

 

 

我々を取り巻く環境で言えば、今後電気自動車が台頭してくると、徐々に、鉄に代わって炭素繊維などの環境素材が使用部材として主流になってくる。

 

そうなると、車重が軽量化されるし、部品点数も大幅に減ってくる。

 

予測では将来的に1/3で済むようになると言われているが、となると、部品を作っているメーカー及び、その下請企業が必要なくなってしまうことになる。

 

ここに関わる企業はおそらく、戦々恐々としているだろうが、もちろん、それらの企業に関わる我々も蚊帳の外にいるわけではない。

 

 

 

過去の景気の流れを見れば、下がれば上がり、上がればいつか下がる、しかしまたいつか上がる、というような予測が立ったものだが、これからはわからない。

 

多くの経済アナリストや学者さんがいろんなことを言っているが、はっきり言って当たるのか当たらんのか良くわからないものを信じていても意味がない。

 

 

 

ニューエコノミー。

 

新たなる経済社会。

 

過去の日本の栄光は、このグローバル経済の中で完全に消失し、先の見えない状況の真っ只中にいることは間違いなさそうだ。

 

私たちはどうすれば良いのか?

 

常に今が普通なのだと考えていれば、過去が良かったとか、いつかきっと良くなる的な、無計画な楽観主義のように、命取りになるような思考回路には陥らずに済む。

 

先行きの見えない景気の中、最悪な時こそ、現状ベースとして捉え、自分たちは何ができるのかを常に考え、良い時には、最悪な状況を忘れないようにしながら、堅実且つ、大胆に、自らを変化させていくことがとても大事なことだと思いながら、

 

でも、ああ、、、もう少しだけやっていてくれたら良かったのに・・・  

 

 

銀映フォーエバー・・・  

 

 

ライブシアターよ、アデュー・・・  アスタ・ラ・ビスタ・・・  アディオス・・・  ダスヴィダーニャ・・・  再ちぇん・・・  

 

などと、思いつく限りのさようならを、夕日に向かってほえたい今日この頃だったりするわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

ほえる

 

太陽にほえてみる・・・



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March 26, 2010

となりの芝

 

イギリスにあるウォーリック大学心理学部のクリス・ボイス博士らが、過去7年間の世帯調査の「所得」と「生活満足度」に関するデータを分析しました。

 

研究は当初、「所得」と「生活満足度」のかかわりを明らかにする目的で始められたのそうです。

 

で、その結果、「所得額」よりも「所得順位」が生活満足度に直結する、つまり、「いくら稼いでいるか」より「周囲と比べて稼いでいるか」を気にする人の方が多いということが判明しました。

 

ということは、前年より年収が上がったとしても、前年よりハッピーになったと感じるとは限りません。

 

仮に減給され、前年より年収が下がったとしても、同僚がより大幅な減給を受けていた場合には満足度が上がってしまうということも考えられるわけです。

 

自分が1億円給料もらって喜んでいても、友達が2億円稼いでいると知ったらどうでしょうか?

 

人間の欲求にはキリがありませんねぇ・・・

 

 

となりの芝がどうしても青く見えてしまう人。

 

他人の給料袋の中身ばかりがどうしても気になってしまう人。

 

そんな人に幸せはやってこないことになってしまいます。

 

いつまで経っても満足感を得られず、幸せになることはできません。

 

ですから、お金持ちになっても幸せが来るとは限りません。

 

周囲にとっては十分なお金持ちに見えても、その人自身の渇望感や欠乏感は、いつまで経っても満たされることはありません。

 

他者との比較の人生をやめると幸せは突然訪れます。

 

 

 

 

 

 

他人(ひと)は他人(ひと)

 

だって100%相手のこと分らんもん

 

エスパーじゃないし・・・

 

 

 

 

 


 

魔美じゃないし・・・

 

 

 

 

 

 

 


 

伊東でもないし・・・

 

 

 

 

 

 

 

ま、伊藤だし・・・

 

 

 

 

 

 

自分は自分!

 

 

 

 

 

 

自分のすることは100%分かる!

 

そりゃそうだっ!

 

 

 

 

そして、

自分にも他人も素直で正直でいる!

 

 

 

素直さには責任が伴います。

 

本当の自分であるということは逃げ場がなくなるからです。

 

自分以外の他者の責任にできない。

 

だから人はそれを回避しようと自分を偽るようになります。

 

でも本当の自分ではないということは、いつか必ず歪が出てしまうことになります。

 

自分が正しいか正しくないのか、良いか悪いか、優か劣かというような比較の人生ではなく、つながりや関係性の中での自分の在り方を考えることが大事です。

 

企業経営でも同じこと。

 

となりの芝が青く見えてしまうことがあります。

 

理想は戦わない経営。

 

自社のブランドや強みを引き伸ばしていけば、価格だけによる競争はなくなります。

 

ホウキンは愛される企業で在りたい。

 

大局的に捉えれば、マーケットのシェアの奪い合いということが言えるわけですから、純粋な意味で、競争がなくなるとは言えないのかもしれません。

 

でも、鉄の問屋という付加価値の付け辛い商売とはいえ、価格だけでの競争なんて、やっぱりオイラはイヤです。

 

楽しくも何ともない。

 

ま、しかしながら、なかなかその辺りで現実問題うまくいかんくて悩んではおるのですが・・・

 

 

自分がどう在るか、自分たちがお客様にとってどんな存在でいたいのかという意識を持つことで、お客様にとっての我々の価値が変わる。

 

だから、他人に比較されて、多少変人と言われてもオイラは構わんと思うわけなのです。



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February 16, 2010

忙しいあなたへ

 

世の中にはどうやら忙しい人が多いようだ。

 

時間がない・・・

 

本当はあれをやるべきなんだけどな・・・

 

でも、急がないし、またでいいか・・・

 

で、先延ばしになって結局やらない。

 

タイムマネジメント、いわゆる時間管理術なるものがもてはやされ、それに関連する情報を提供してビジネスにしている人も多い。

 

ということは、逆に言えば、それだけ時間を管理したい人が多いということだ。

 

術というからにはスキルやテクニックというわけで、一般的にはタスク管理とごちゃまぜでワンセット的に捉えられている傾向がある。

 

目的を重視するコーチングでは、またちょっと違う捉えられかたがされているようだ。

 

タスクを管理するにしても、目的ありきで物事を捉えたとしても、どちらにしろ、重要度や優先順位がつけられなければ、何も始まらない。

 

もっと言えば、大事だと思ったことをやり通す意志と決意がなければ何も変わらない。

 

いつまで経っても忙しい人は忙しいまんま。

 

大事なことは、往々にして長期戦略であることが多いのだ。

 

つまり、一見急がない、別にやらなくても今日明日どうなるってことでもない場合が多いということだ。

 

だから決められない。やれない。

 

 

 

大事だと思うけど・・・   ん〜

 

 

 

でっ 出たなっ! 怪獣 ケドン!

 

 

 

そこのあなたっ! 怪獣になってしまう前にやっておしまいっ!

 

やれば良いのです。

 

一見、やらなくてはならないと思わせる、次々と現れてはあなたを困らせ、忙しくさせている原因は、実はあなたが勝手に困って忙しくしているだけのことかもしれない。

 

決めたらおやりなさい。

 

実にシンプル。

 

やらないから何も変わらない。 目的だって達成できるわけがない。

 

 

 

 

 

おやりなさい

 

 

贈っときます

 

誰とは言わんが、あなたに贈っときます



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January 30, 2010

サーバント

 

先日、名古屋でお会いした、ある会社の社長さんがこんなことを言っていた。

 

『自分のした質問は覚えているが、社員の報告は覚えていない』

 

つまり、こういうことだ。

 

社員に対して、あれはどうなっている?これはどうなんだ?ところで、あの件は?などと、あれこれ自分の気になる項目をあげつらい、報告を求める。

 

が、自分が最初に社員に聞いてやろうと思っていた事柄に対して、あれは言ったな、よし、これも言ったし、などとそんなことばかりに集中していたら、肝心な社員の報告自体、内容を忘れてしまった・・・

 

てな具合に、本末転倒な事態に陥ってしまっているという何とも冗談のような話をしていたわけだ。

 

で、その話を聞いて本人含め、私たちは爆笑だったけど、実は笑えない真実がそこにはある。

 

関心がすべて自分にある状態。

 

いわゆる自己中。

 

自己中であることが良いか悪いかと問われれば、多くの人がそれは良くないことだと答えるだろう。

 

となれば、関心は自分以外に向けなければならないということになる。

 

イコール自分のためではなく人のため。

 

と聞くと、しかし、途端に違和感を感じてしまう人が多くなるのはなぜだろうか。

 

ということはつまり、世の中の多くの人が自己中であるという現実がそこにあるわけだ。。。

 

矛盾しているように感じるかもしれないけど、関心は他に寄せなければならないけど、意識は自分に集中していなければならない。

 

つまり、他人がそうだからおれもそうする・・・みたいな主体性のない考え方ではなく、自分はどうするのか?自分はどうなりたいのか?という己の在り方に集中していくと、自然と自分以外の他の人、物、事に関心が寄せられるようになるということ。

 

そういうことなのだ。

 

関心は他人に向いていなければならないが、意識は自分に集中しなければならない。

 

自分の在り方にフォーカスを当てれば自ずと他に関心が向くようになる。

 

自己中ではない状態とはそういうことだ。

 

自分以外の他の人のために、自分がどう在るか、ということに意識を集中しなければならない。

 

その根っこにあるものが『感謝』と『思いやり』。 おー、わが社の理念だ。

 

お客様であれば、いかにお役に立つことができるか。 おー、わが社の『間に合う戦略』だ。

 

人のため、お役に立つ、つくす、という議論は、ケッシテ、ドMだとかドSだとかの話をしているわけではない。

 

いや・・・   そうかもしれんな・・・   ・・・

 

いやいや、そんなところを超越したところでの議論だ。 原理原則の話。

 

会社であれば、社長以下、上司やリーダーとなる人は、社員や部下に対して、いかに自分がサポートできるのか、彼、彼女に対してどんなことに協力ができるのかということに意識を注がなければならない。

 

では部下はどうあるべきなのか?

 

部下が自己中ではない状態とはどんな状態なのだろうか?

 

当然、与えられた権限内で自分のできる最大限のパフォーマンスを発揮し、そしてその行動に責任を持ち、説明責任を果たすこと、つまり上司に自らが報告・連絡・相談をすること。

 

もちろん、上司はそれらを受け入れやすい環境を作らなければいけない。

 

叱られると思ったら、部下は相談すらしたくなくなる。

 

それでは、成果を出すために邪魔になる問題は放置されたまま、さらに大きくなるばかり。

 

煙草の不始末がやがて山火事になってしまう。

 

コップ一杯の水で消すことのできる火種が、いかにして消火活動に莫大な時間と労力を注がせる事態に陥ってしまうのか。

 

これが組織内で起こっているという事実。

 

≪課長になると舌を抜かれ、部長になるとタマを抜かれ、役員になると脳みそを抜かれ、社長になると舌だけ戻ってくる≫

というような組織内における問題を痛切に皮肉っている笑い話がある。

 

笑えない人も多かろう。

 

問題は、社内の人間がお互いに感謝や思いやりを持った上で、信頼、信用の関係が構築されていなければ解決されない。

 

だからこそ、組織内にそのような風土が育つような文化を構築したり、社員教育をしていかなくてはならないのだ。

 

そうすれば、冒頭の社長さんが抱えるような悩みは払しょくする。

 

報告を尋ねなくてよくなるのだ。

 

もっと言えば、究極の姿として、各々が、それぞれの責任を全うしていく風土さえできて上がってしまえば、報告すらいらなくなるのかもしれない。。。

 

 

 

サーバントリーダーシップ。

 

『サーバント』を辞書で引くと下僕や召使いと書かれています。

 

本当に大事にしている価値感に従い、社員や部下たちがそこに向かって懸命に努力しているのであるならば、上司や経営者がそれをサポートするのは当たり前のことなのだ。

 

経営理念に導かれるリーダーシップ。

 

会社の在るべき姿と成果に集中する。

 

であれば、自ずと会社以外の他者、つまりお客様や地域、各ステークホルダーに関心が寄せられるようになるのだ。

 

ヒエラルキーの頂点、ピラミッドの頂点にいる者。

 

誰だ?

 

すべての問題の根はその組織のトップにある。

 

ピラミッドを反対にしてみよう。

 

逆三角形。

 

だから、私はみんなの従者となろう。

 

 

 

 

 

 

 

げぼく

誰か買って・・・



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December 21, 2009

右脳的生活

 

どのご家庭のお子さんもそうだと思うんだけど、子供は身のまわりにあるもので簡単に遊ぶことができる。

 

そんなものに興味があるの?ってものまで大事に握って手離さない。

 

先日、長男が新聞広告をチョキチョキとハサミで切って仮面ライダーの変身ベルトを作っていた。

 

なかなか良い出来だった。

 

きっと、親がベルトのおもちゃを買ってあげないことへの当てつけではないと思うけど、ベルトを作って遊んでしまおうと思うことが自体が大人にはない子供特有の感性だ。

 

他にも、いろんなものをセロテープでペタペタと貼り付けては得体の知れんものを作り出したり。

 

振り返ってみれば、私もガキの頃に段ボールを使っていろんなものを作って遊んでいたことや粘土細工がたまらなく好きで毎日遊んでいたことなどを思い出す。

 

子供はクリエーターだ。

 

いつも思う。

 

私はその心をどこへ置き忘れてしまってきたのだろうかと。

 

あるものを組み合わせて創造的なものを生み出す。

 

もっと感覚的に物事を捉える。

 

もっと右脳で生きる。

 

やってもしょうがないとは思わず、まずやってみる。

 

仕事においても、私は私なりの変身ベルトを作ってみせる。

 

無から有を生み出す作業だなんて考えなくていい。

 

この世は基本的に多くの物や事柄において、既にあるものの組み合わせで成り立つ。

 

たとえば、冷蔵庫にあるものだけで楽しくおいしく、そして遊び心を持って創造的な料理を作り出すことのできる人。

 

私はそんな人になりたい。

 

 

 

 

 

 

 

組み合わせ(使用前)

 

組み合わせでございます

 

 

 

服 + モップ + 労働力

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

組み合わせ(使用中)


 

何見てんだよ  

by荒井注



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December 02, 2009

ありをりはべりいまそがり

 

女子社員ブログを見て思うこと。

 

 

 

なんと絵文字の多いことだろう・・・

 

これが、『女性らしさ』ということだろうか・・・

 

 

『らしさ』。

 

『らしさ』とは何だろうか?

 

 

 

 

私らしく・・・  あなたらしく・・・  それらしく・・・

 

 

『らしく』とは、本来『あるべき姿』であること。

 

ホウキンらしくと言えば、わが社の本来『あるべき姿』であること。

 

 

では、わが社の『あるべき姿』とは?

 

 

ピアノはピアノの音を奏でてこそ価値がある。

 

私たちはホウキンらしく思い、考え、行動することにこそ価値がある。

 

 

『あるべき姿』を考えるということは『あり方』を考えるということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かたかた


 

 

こらっ  それは『カタカタ』やっ

 

 

 

 

 

『あり方』を考えるということは『関係性』を考えるということ。

 

『関係性』を考えることなく、私たちがあり続けることはできない。

 

 

だからこそ、これからの時代、私たち自身が

 

〜 関係性の中でどうあるべきか? 〜

 

を真剣に考えなければ、私たちに未来はない。

 

 

 

ということは、

 

『あり方』を考えることで、我々の未来は創られるのだ。

 

 

 

 

ぱぱ     

 

なのだ〜
      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カタカタカスタ

 

だからそれは・・・

 

 

 

 

 

 

自作自演のノリツッコミはけっこうつらい・・・

 

 

 

 

 

 

 

がらがらぽーん

 

それは『ガラガラ』だって・・・



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October 05, 2009

少しの努力

 

『双方向のコミュニケーション』と言えば、おそらく、ふつうは自分と自分以外の他人とのコミュニケーションを指すということになるだろう。

 

この場合、主体、つまり、自覚や意志をもち、動作・作用を他に及ぼす存在は自分だけではなく相手もという相関関係が成り立つ。

 

しかし、この自分と相手との相関関係から相手の存在を消し、コミュニケーションを取る主体を自分の立場だけで考えた場合にも、同様に『双方向のコミュニケーション』は存在する。

 

それは、自分が相手に対して行うコミュニケーションと、自分が自分に対して行うコミュニケーションという2つのコミュニケーション。

 

簡単に言えば、人に厳しいだとか自分に甘いだとか。

 

これらは振り子のように常にバランスを保とうとする性質がある。

 

位置エネルギーみたいなもんだ。

 

他人に厳しく接しようとすると自分に厳しくせざるをえなくなり、自分に甘くするためには他人にも甘くしなければならなくなる。

 

自分に甘く、他人に厳しく がモットーです! なんて人はあまりいないと思うが、この様な状態、一見バランスが取れていないのではないかと思われるような状態においても実は振り子で考えることができる。

 

自責、他責の考え方で。

 

物事の責任の所在を自分ではなく、自分以外のものへ求め出すと、自分に甘くなり始める。

 

つまり、自分を正当化する見方をし始めるのだ。

 

自分が正しい存在になると、今度は自分以外の存在は非難されなくてはならなくなる。

 

他人に厳しくしている分、通常ならばその分自分に厳しくするところを、他人を非難してバランスを取ろうとし始めるのだ。

 

振り子のふり幅でいけば、自己正当化するエネルギーの分だけ他人を非難することになるということだ。

 

自分に厳しい人の抱える問題点はどんなところにあるのかというと、ストイックに生きることによってストレスや人間関係に歪ができてしまうこと。

 

私はストレスのない世界で生きたい。

 

私は精神的にもっと『楽』に生活したい。

 

そして、もっといろんなことをシンプルに考えたい。

 

シミュレーション上手になって行動できない人になりたくない。

 

≪自分の取った行動に責任を持つ≫

つまり今目の前にある現実は、自分が下した決断の集積であるということを自分の心とグリップしておくということ。

 

主体性のない人任せの人生になんてしない。  したくない。

 

でも、時には行動できないときもある。

 

相手との約束。 自分とのキメゴト。

 

時には守れないときもある。

 

でもそんな時は自分を許してあげよう。  もちろん逃げるわけじゃない。 

 

コメンナサイと素直に謝ってしまおう。 

 

できない自分をかわいいヤツだと思ってしまおう。  

 

他人の見方ばかり気にする主体性のない人生なんてマッピラごめんだ。

 

しかし、企業に代表されるような組織の中ではこの『主体性』という人間本来もたなくてはならない、そして最も重要視されなくてはならないものであるのにも関わらず、経営側や組織風土がその芽を摘み、そして、社員は仕方がないという言い訳をしながら何も行動しなくなっていく。

 

それが組織を腐らせていく。

 

組織内でコミュニケーションが不足している、あんなヤツの下で働きたくない、営業部が悪い、社長が悪い・・・

いつか誰かがやってくれるだろう、私の仕事ではない、彼、彼女がやってくれたら、会社が変われば・・・

 

こういうことは、もちろん組織や企業の話だけの問題ではなく、人間関係の話だから、あらゆる状況に当てはまる。

 

家庭もしかり。

 

◆子供がなかなかおもちゃの片付けをしない。

    『早く片付けなさい!』

    『もう〜 今、やろうと思っていたのに!』

 

◆換気扇の掃除を嫁さんに頼まれた。

    『ねえ、いつやってくれるの?』

    『オレだっていろいろと忙しいんだよ』

 

 

あなたにも同じような経験がないだろうか?

 

いずれやろうと思っている。 今日はやれないが、また今度やろうと思っている・・・。

そんな感情がいつまで経ってもグルグルまわる。

そして結局何もしない。 やらない。

 

やれない自分を正当化し、やらない理由をどんどんと肉付けしていく。

そして徐々に自分の感覚を麻痺させていく。

 

そして結局は何もしないで時が経っていく。

 

やらなくたって別にかまわない。

 

しかし、やらないことで反省や後悔をするならやったほうが良いというだけ。 

それだけだ。

 

後悔というベクトルは自分に向けば自分はダメなヤツだというストレスに変わり、他人に向けば、アイツはダメなヤツだという非難の視点に変わってしまう。

 

少しの勇気と少しのやる気。 最初はそこから始めよう。

 

いきなり大きなことなどできやしない。 

無理せずに自分にできることから始めよう。

 

そうすれば、きっと少しずつ何かが変わる。

 

コミュニケーションは技術じゃない。 心の持ち方こそが重要なもの。

 

もっと自分の心と向き合って自分自身と話し合おう。

 

なぜなら、自分とのコミュニケーションが下手だと、つまりは自分以外の相手とのコミュニケーションが下手になってしまうという振り子の法則があてはまってしまうからだ。。。



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August 21, 2009

なんのために?

 

わが社の使命は≪思いやる心を持つ≫という基本的価値感を持って3つの誓いを全うすること。

 

三河で一番間に合う会社となり、物心共に満足できる会社となり、そして、三河が今より更に元気になるように貢献していることが、わが社のあるべき姿だ。

 

とっても地元密着型思考だ。

 

これは、わが社が鋼材問屋であるという業態から出ている発想と、何事も千里の道も一歩からであること、そして我々が生かされているのはやはり地元三河であるということを忘れてはならないということも常に考えたいということだ。

 

あるべき姿、つまりビジョンは企業の成長や方向性によって都度変わっても問題ない。

 

もちろん、その目的を達成するための手段を変えることだって、全くもって問題ではないと私は考えている。

 

ということは、ひょっとしたらわが社の価値感もいつの間にか『あれ? 変わった?』ということになるのかもしれない・・・。

 

 

わが社は60年以上ずっと鋼材畑一本で飯を食ってきた。

 

そうなのだ。 鋼材は手段なのだ。

 

そして営業戦略や戦術としての≪4つの間に合う≫を通して、目的を達成しようと考えている。

 

これも手段なのだ。 

 

手法と言うべきか・・・。

 

こういう言い方をしてしまうと、非常に冷めた言い方に取られてしまうかもしれないが、私だって鉄を愛しているし、自分の仕事に誇りを持っている。

 

別に、鉄をやめて明日からクレープ屋さんやラーメン屋さんを始めるわけではないのであしからず。

 

しかしながら、現業だけに固執してはならないと思うわけだ。

 

変化の激しい時代。 これからどうなるか分からないではないか。

 

可能性を求めてチャレンジし続けることはとても大事なことだ。

 

 

企業とは組織。

 

組織とは2人以上の目的を持って集まり集められた集団だ。

 

企業の目的とはより良い結果を求めること。 つまり成果を出すこと。

 

利益を出さなければ存在する価値はない。

 

ではなぜ利益を出さなければならないのか?

 

それは、とどのつまり ≪皆の幸せ≫ のためなのだ。

 

利益を出すことだけが目的であるならば、手段を選ばずにやり通すことは可能だろう。

どんな商売だろうが、商材を何にしようが、人に後ろ指さされようが、ルールぎりぎりで商売しようが、人件費を極限まで削ろうが、効率だけに注力すれば良いからだ。

 

でも人には良心がある。

 

だから、そんなことは無理なのだ。

 

 

私だけの幸せ、顧客だけの幸せ、社員だけの幸せ、地域だけの幸せ。

 

どれかだけではなく、全方向に均衡が取れて、達成できてこそ、企業の存在価値は高まっていく。

 

手段は目的達成のためにあるもの。

 

それを履き違えてはならない。。。

 

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

拡大

どーゆーのん?

 

 

 

先日、我が家への帰り道、前を走っている物体を見て驚いた。

 

車椅子が走っとる・・・

 

サイドカーじゃなし、不思議な乗り物だ・・・

 

 

 

 

車やバイクは本来は移動するための交通手段だ。

 

その上で、

 

◆移動する間の時間短縮を重視 → 速さを求める  

◆移動する間の乗り心地を重視 → 快適さを求める 

◆移動する間のコストを重視 → 燃費を考慮する   

 

など、

交通規則があるので、速さについて一概には言えないが、これらの要素が付加価値的に自分の求めている目的に合っているのか、また、どれかを満たしているのか、などによって商品選択、つまり手段を選択することになる。

 

また、移動手段本体の形状が好きであるだとか、とにかく初期費用をかけたくないから安ければ良い、などの価値感によっても手段選択は変わることになる。

 

したがって、本来の目的からすればその意図から外れていることにもなりかねないが、現代社会のように満たされた世の中になると、より多くの付加価値や価値観の多様化から、手段自体を目的とする傾向が強くなってきている。

 

食事にしても然り。

 

前回ブログでも少し触れたんだけど、ミクロレベルでいえば、本来は生きていくための手段。

ということは、健康や長生きの視点はどっかに置いておけば、タムチさんのようにシロメシと水だけでも、生きていけるのだ。(実際に生きている・・・    あ、たまに他のものも食べている・・・   かえるっ?)

 

だからこそ、手段を講じることやプロセスがより複雑且つ煩雑にもなり、またその選択肢の幅も広がっているため、自社の強みをより深く追求し、そして強化するための手段を選択しなければならないのだ。

 

ダイエットするための方法、女性は特に敏感で気になる話題かと思われるが、次から次へと新手が登場してくるねぇ。

 

これも手段が目的となってしまっている好例だ。

 

次々と登場してくる新手の方法に踊らされ、マーケッターたちの思う壺にドップリと浸かっては、痩せられないと嘆いている人がたくさんいる。

 

まーしかし、そういう人は滝行でもして少し頭を冷やしたほうが良いかもしれないね。

 

そもそも本当に痩せたいと思っているのだろうか?

 

『ぜんぜん痩せられな〜い』   のっしのっし(マンモスの動く音)

 

『あのサプリきかなぁ〜ぃ』    どすこいどすこい(力士のウォーミングアップ)

 

 

おめー、しっかり食っとるやないかっ! 動けっ! 歩けっ! そしてもっと働けっ!

 

 

若林くんが春日のおでこにツッコミを入れるがごとく、はたいてやりたくなるのは私だけ?

 

 

 

 

かすがっ

かすがっ かすがっ

 

 

(博多天神にて撮影)

 

 

 

ダイエット自体は手段であり、そもそも目的は何かと言えば、

 

≪美しくありたい≫

 

だとか

 

≪健康でいたい≫

 

というようなことだろう。

 

 

更に言えば

 

 

≪キレイになって異性にモテタイ≫

 

≪健康になって長生きしたい≫

 

という目的がもっとに深いところにある。

 

 

であるならば、その目的を達成する手段や方法は別にも探すことができるのだ。

 

 

べつにブーチャンでもええやん。     差別用語?

 

心の美しさがあるや〜ん。     区別擁護?

 

 

手法や方法に踊らされ、ダイエットという手段自体を楽しんでいるのだか、苦しんでいるのだか分からないが、そこに固執している限り本来の目的は達成できない。

 

何事も、まずは、

 

 

 

≪オレ(アタシ)何でこれやってんだっけ?≫

 

 

 

と原点回帰しながら自問自答を繰り返すことが、目的達成の近道になることになりそう・・・ だ。



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July 21, 2009

ゲンキデスカー!

 

ワン

やあ、調子はどうだい?

 

 

 

 

 

 

 

ツー

はさまっちゃったよ

 

 

 

 

 

 

こまったこまった

 

 

 

 

 

 

景気わるいねぇ

 

 

 

 

 

 

 

すんずー1

抜け出せないよ

 

 

 

 

 

 

こまったこまった

 

 

 

 

 

 

 

仕事ないよね〜

 

 

 

 

 

 

 

すんずー2

そのうち首まわんなくなっちゃうよ

 

 

 

 

 

 

こまったこまった

 

 

 

 

 

 

 

暇アリ

みんな元気ないよねぇ

 

 

 

 

 

 

 

 

きゃ〜   っと

もぉ おてあげ?

 

 

 

 

 

 

んじゃ

こんなときこそ

 

 

 

 

 

 

 

世界平和

お互い協力しあって・・・

 

 

 

 

 

 

 

はむさんず

愛だな・・・



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