March 31, 2011
しごとたのし
仕事とプライベートは分けて考えなくてはならないと言う人がいる。
仕事だってプライベートだってどちらも同じ自分。
スイッチを切り替えたように人は変われない。
ロボットじゃないんだから。
もちろん、企業や組織には目的というものや立場というものがあるから、【責任】というものがついてまわることは否めない。
しかし、この【責任】を履き違えてしまうと悲劇が起こる。
【責任】を【権利】や【義務】と捉え違うのだ。
偉くならなきゃいけないこともないし、卑屈になることもない。
職位が上がれば人間として偉くなるわけでもないし、会社でリーダーになれば、家庭でも同様にリーダーでいなくてはならないこともない。
職場で歯を見せるな!
仕事とは厳しいものなのだ!
そう思いたければ思えばいい。
でも、きっと本当の成果を残すことはできない。
責任を果たすために常に戦闘モードでいなければならない!
リラックスするなんて非常識!
そんな考え方はナンセンスだと思う。
人生楽しく生きられたらこんなに幸せなことはない。
だから、仕事も楽しくできたら最高。
それなのに、なぜ、辛い、つまらないものにせねばならぬのか?
お金を頂くのだから、厳しくて当たり前なのだ、と言うが、本当の厳しさとは何だろうか?
真の厳しさとは他人から与えられるものではなく、自らが持つものではなかろうか?
楽しく働きたい人と私は一緒に働きたい。
だから、これだけは言いたい。
楽しさを履き違えてもらっては困る。
楽しさとは、刹那的な【快楽】とは違う。
楽しさは、【楽】をすることとは違う。
これは人生全般においても同じこと。
人生を楽しめない人間に仕事を楽しむことはできない。
【ゆるさ】という言葉を都合よく使ってはいけない。
【ゆるさ】とは、緊張やストレスから解き放たれた【状態】を示すものであって、精神的、肉体的な【楽】さを示すものであってはならない。
厳しさや努力の中にこそ、誠のフローがある。
甘えや怠けやずるさや逃げや諦めの中に真の楽しさなんてない。
人は努力してこそ、壁を乗り越えてこそ成長があり、そしてそのプロセスこそが楽しいのだ。
逃げている輩に本当の楽しさを味わう【権利】はない。
主体性という名の心の灯が消えたとたんに【責任】が【義務】に変わる。
今、私は「仕事をしていて楽しい」 「会社に来て楽しい」と言ってくれる仲間たちと一緒にいられることに喜びを感じる。
明日は4月1日。
また新年度が始まる。
さあ、ホウキン社員のみんな、楽しみながら成果を出そうじゃないか。
仕事が楽しければ、人生は楽園だが、
仕事が義務ならば、人生は地獄だ
ゴーリキー(ロシア人作家)
仕事ちょ〜たのしぃ〜と思う人ポチン
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