March 21, 2011
告白
株式会社の運営は、一般的に言えば、実際に会社を経営する企業家と、事業を行っていくための資金を提供する資本家によって成り立つ。
大企業においては、株式を店頭公開している会社は、ほぼこの構図にあてはまると思うが、同族系であったりすると、株主と経営者との力関係も随分変わってくる。
また、中小零細企業の経営者にも企業家タイプと資本家タイプがいる。
中小零細企業のほとんどがオーナー企業であるということを踏まえて言えば、オーナー社長でも経営を自分主導で行う人もいれば、全く任せてしまう人もいるということだ。
前者が企業家タイプで後者が資本家タイプ。
わが社は、私が社長になる以前は、非同族系の企業だった。
創業家での持ち株が全部合わせても過半数を超えないという中小企業では非常にレアなケース。
もしも、クーデターが起こって退任要求をされたら社長は辞任を余儀なくされてしまうような危うい状況だったわけだ。
ま、そんな事態にはならなかったけれど。
なぜ、そんな状況になってしまったのかという理由はいろいろとあるのだけれど、その辺りのことを聞きたい人は、また私に直接会った時にでも聞いてくださいまし。
ということで、私は経営権を安定化させるために、あるオペレーションを使って同族系の企業にしてしまった。
だから、今現在、私自身が完全オーナーだ。
大株主。
あるオペレーションというのは、MBOって手法で、 マネジメント・バイ・アウト(management buy-out)なんて言われる手法だ。
ま、大株主ではあるのだけど、厳密に言えば、ホールディング会社、つまり、新たに作った持ち株会社の社長が私ということであって、ホウキンの株主は、持ち株会社となる。
でも、まー、その辺りは大した問題ではない。
ここで言いたいことは、私と言う一人の資本家が全権を掌握し、経営をも兼務しているというかたちになるということ。
ま、前述のように、中小企業では珍しい事ではない。
ただ、上場企業が、この不景気な経済情勢の中でMBOを実行するという例はいくつかあるようだけど、創業社長ならまだしも、わが社のように60年以上も社歴がある一中小企業がMBOで完全オーナー会社になるという例はめずらしいのではないかと思う。
なぜなら、分散していた株式を集中させるプロセスにおいて、様々な問題が生じるからだ。
お金が関わることは一筋縄ではいかないことが多い。
ま、そのあたりのことは今回の主題に外れるから置いておく。
ん〜、でも大変だった。
過去、私は「株主のために企業は存在する」という我が社の先人たちの教えと、世の中の一般的なセオリーにずっと違和感を感じてきた。
会社の会議や経営者たちの方針説明の中で、その言葉を聞くたびに、まさに箱に入った。
果たして本当にそうなのだろうか?
上場もしていない、こんな小さな会社の経営者たちが声高に叫ぶ言葉なのだろうか?
頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。
株主偏重主義の先には、成果主義、結果主義、拝金主義や利益中心主義が待っている。
企業の存在する本当の目的は何か?
企業が存在する意義と、存続していくために必要な価値観とは何だろうかという問いが、私の中でグルグルと渦巻いた。
私にはやりたいことがあった。
腐りかかった会社の風土や組織の体制を立て直すこと。
そのために環境を整備する必要があった。
株式を少人数に集中させることは、社内での権限が少人数に集中してしまうことであり、対外的な評価としては落ちてしまう。
そりゃそうだ。
権力や権限が集中した人間、つまり、わが社で言えば私になるんだけど、もしも、その私自身の経営能力が低く、そして人間性が怠惰で横暴だなんていう状態であれば、会社自体の業績も落ち、評価が下がるのは当然だからだ。
え、違うんですか? て言うのはやめてね
・・・
一人の人間に権力や富が集中しやすい状況があるのは、企業として非常にリスキーな状態にあると言える。
創立間もないベンチャーならまだしも、もうすぐ65周年を迎えようとする企業としては逆行しているかもしれない。
だから、通常、取引先や信用調査会社などからすれば、権力が寡占化した状態よりも分散していたほうが評価は高いし、安心材料になるのだ。
そんなことはわかっているが、でも、私はそうした。
事業承継の一環であったことが大前提ではあるけれど、会社をチェンジさせたい思いがあった。
だから、株式の買い戻しに大金を注いだ。
大きな借金だ。
発行当初、タダ同然、二束三文の株式が、会社の成長によって何十倍にも跳ね上がっていた。
正直あせった。
でも払った。
今までわが社を支えて下さった方々への感謝と私自身のこれからに対する覚悟。
全部吐き出して0からでもいいやと思った。
今までの財産は、今までの方たちが作りあげたもので、これからは自分が作ればいい、引き継げるものをいただいただけで感謝だな、と本気で思った。
会社は誰のものか。
私にやりたいことがあるとは言え、私の私利私欲で、私だけのために会社を利用すれば、私のやりたいこと、願う姿とは遠ざかっていく。
株が私の下へ集中した現在の状態で、株主の幸せを考えることは、私自身の幸せを考えることになる。
しかし、私自身がそれをNOと言えば、そうならない環境を自ら作り出したことになるわけだ。
これが、私以外の株主がいるとそうはいかなくなる。
その人たちの利益を優先させなければならない状況になってしまうからだ。
私は「みんなにとっていい会社」を作りたいと思った。
会社は公器、私だけのものじゃない。
私物化が始まった時点で会社が腐り始める。
だから、事実上、私の会社であっても、ある意味、真逆の行動を取らなければ、私の理想の会社の実現はありえない。
みんなのための会社、社員みんながそれぞれに「私の会社」と言ってくれて、関係する人たちが「いい会社だね」と言っていただけるような会社にするために、私は、日々私自身がどうあるべきかを考える。
中小企業は、今書いてきたような事情から、ただでさえトップリーダーのカラーが強くなる。
これは仕方ない。
しかし、それは趣味や好みという薄っぺらいものではなく、志や信念といったところでの方向付けであるべきだ。
それこそが風土であって、カラーと言えるものだ。
中小企業は、トップリーダーの人柄や人格が組織風土に如実に表れてしまうのだ。
方向付け、つまり、価値観やストラテジーのベクトル合わせが出来、また、営業的にも財務的にも組織風土的にも、盤石な基盤がある程度出来上がり、そして権限委譲できる人材が育ってくれたら、私はいつでもトップリーダーの座を渡してもいいと思う。
その時が、本当の意味で資本家デビューだ。
でもまだまだ全然だね。
いつになるのかね。
私は、一生純粋なる資本家デビューなんてできないかもしれない。
だって経営は楽しい。
渡したい半面、関わっていたいという気持ちもかなり強い。
経営は奥深く、常に水もの、生ものの様だ。
だからこそ楽しいし、恐ろしくもある。
多くの学びを得て、成長することができるこの立場や役割を多くの人に経験してもらいたい。
だから、私の夢は「いい会社」「ゴキゲンな会社」をつくること。
それもわが社だけでなく、たくさんつくること。
そして、経営できる人間を育て、リーダーをつくること。
それもたくさんつくりたい。
方法としては、新たに会社をたくさん作ることで、社長を作ることも考えられるし、すでに存在する会社が「いい会社」になるためのお役立ちをしていくことで貢献することもできる。
社員の幸せを通して、幸せを感じた社員たちが社会に貢献する。
つまり、人が幸せになり、人を幸せにする会社の実現だ。
それこそが私の夢であり、ビジョン。
ゴキゲンでいい会社をつくりたい。
この想いに乗っかってくれる人、この指とまれ。
とまってくりょ〜
押してくりょ〜