September 15, 2010

人間だもの

 

ハムスターが入ったプラスチックケースを線路に投げ込んだとして、川越署は10日、川越市的場、無職宮崎景太容疑者(20)を電汽車往来危険容疑で逮捕した。

 発表によると、宮崎容疑者は10日午前7時5分頃、JR川越線沿いにあるアパート2階の自室の窓から、プラスチックケース2個を線路に投げ込んだ疑い。直後に普通電車(4両編成)が接近、運転士が急ブレーキをかけたが、1個に衝突した。約200人の乗客にけがはなかった。電車は約1分後に運転を再開した。

 ケースは縦35センチ、横55センチ、高さ30センチの半透明のふた付き。砂が敷かれ、ハムスターが1匹ずつ入っていた。1匹は保護されたが、衝突したケースにいた1匹は行方不明。宮崎容疑者は「前日に離婚した。ハムスターは別れた妻が飼っていた。むしゃくしゃしてやった」などと供述しているという。

2010年9月11日  読売新聞)

 

 

≪ 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い ≫

 

 

元ヨメ憎けりゃハムさんまで憎い。

 

ハムさん受難。。。

 

 

 

誰かを嫌いになると、その人を連想させる人や物や場所、すべてを同様に嫌ってしまう。

 

わかるわかる〜 と共感してしまった人は、ひょっとして過去にハムさん事件のようなインパクトではないにしろ、同様の過ちを犯してしまっている可能性がある。

 

避ける。  逃げる。

 

行動こそ違えど、根っこにあるものは同じもの。

 

トラウマや捉われ、執着、なんて言われるものだ。

 

ハムさんを線路にスローイングしてしまった人は、たまたま感情が理性を追い越してしまう人だっただけ。

 

表面上に現れる行動や感情は、クールかホットか、はたまた『箱』でいうところのハードかソフトか、という違いであって、根っこにあるものは変わらない。

 

人を嫌いになっていくメカニズムは、そのプロセスに注目すればよく理解ができる。

 

きっかけは大したことではないのかもしれない。

 

あることが原因で、その人に対する印象が大小に関わらず変わってしまうことによってすべてが変わっていってしまう。

 

相手を肯定的、好意的に見るか、否定的、敵対的に見るかの境界線を簡単に越えてしまう。

 

この感情次第で相手のすることが180度変わって見えてしまうようになる。

 

つまり、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということになる。

 

ま、そりゃそうだよね、と、当たり前のことしか言っていないわけなんだけど、侮るなかれ、これを意識している人は少ない。

 

簡単に言えば、たとえ、相手に99の素晴らしいところがあっても、1のダメなところが見え隠れしてしまうだけで、100のダメダメな人間になってしまう、いや正確に言えば、そのように見えてしまうんだからね。

 

こんな笑っちゃいられない悲劇が、皆さんの周囲でも頻繁に起こっている状況が現実にはある。

 

自分以外の他者をどう見るか、行動をどう考えるか、捉えるか、によって悲劇は改善されていく。

 

人を叱らず、仕事っぷりを叱る。

 

人を責めず、仕組みや原因にフォーカスをあてる。

 

ビジネスの世界でもしばしば言われることだが、みなさんの職場でどれだけできているだろうか?

 

感情的になって反射的に怒鳴る経営者や上司。

 

出したものは返ってくるという原則に則れば、その経営者や上司は、社員や部下から感情的に嫌われるだけとなる。

 

人間にはこの感情というものがあるからややこしくなる。

 

しかし、この感情があるからこそ奥深く、楽しい人生を送ることができる。

 

『箱』の概念でいうところの『人を人として見る』という感覚は、相手を自分と同じ感情を持ち、自分と同じように幸せになる権利を持った人格として認め、尊重するということだ。

 

スピリチュアルな感覚で言えば、自分も相手もそもそも同一でつながった存在であり、光であり、愛なのだ的な表現になる。

 

 

≪ 痘痕も靨(あばたもえくぼ) ≫

 

惚れた相手のおできの痕だって見ようによっちゃエクボに見えてしまうわけだ。

 

 

しばしば相手を好きになれ、なんて言うけれど、もしも相手が嫌いな奴なら単純に感情の問題で好きになんてなれない。

 

それほど感情は人の行動を支配してしまう。

 

好きになんてならなくてもいい。

 

その代わり、嫌いにならない。

 

そのために相手の背景や環境を考えてあげる。

 

人にフォーカスをあてるのではなく、原因にフォーカスする。

 

 

 

嫌いになって他人を避けることで、その人との周囲との関係性が途切れたり、行きたい場所にも行けなくなるなんてことは、直接的ではないにしろ、結局は他人に自分の人生をコントロールされることになってしまう。

 

自分の意志で決めているつもりが、結局は孤独を招く。

 

気付いたら一人ぼっち。

 

そして、頑固な箱を形成し、そこからほとんど出てこられなくなる。

 

箱の中に引きこもり。  箱ニート。

 

そしていつしかそれが当たり前の状態になって何も感じなくなる。

 

私もかつては箱ニートだった。

 

鉄の箱にこもって、中から溶接してたぐらいのイキオイだ。

 

でも、自分はうまくやっているつもりだった。

 

自分自身で『孤独』を好きで選択していると思っていた。

 

自分がコントロールしていると思っていたけど、実はコントロールされていたわけだ。

 

今だって、すべてが改善されたわけじゃない。

 

しか〜し、それも、まーいっか、と赦せる自分がいる。

 

面倒くさいヤツもいる。

 

そんなときは避けないが、力の限り≪コッチヘヨッテクルナオーラ≫を出しまくる。

 

そんな自分がいることもわかっている。

 

でも、いずれそんなもの、出そうと思っても出ないぐらいの人になれたらいいな〜と思い、今後精進していきたい。

 

 

 

幸せを感じる能力は習慣にすることで鍛えられる。

 

幸せを見つける、気付きの能力を高めれば、すぐにでも幸せを感じることはできる。

 

それには感謝することに対する気付きの能力を高めることが必須の条件だ。

 

当たり前のことに幸せを感じられるようになることは、いかに感謝のアンテナの感度を高めなくてはならないかに連動するからだ。

 

生きていられる、ご飯が食べられる、家族が健康、水が飲める、空気が吸える、感謝なくして幸せを感じることはできない。

 

 

ふられた時の感情で相手を憎むことも理解はできる。

 

でも、出したものは必ず何らかのかたちで返ってきてしまう。

 

相手は変わらない。

 

他人の心は自分の都合で変わらない。

 

ちなみに、ハムさんなんて最初っから何も変わっていない。

 

相手の気持ちを尊重する。

 

泣きながら、だけど、笑ってふられたことを誰かに話す。

 

受け入れる。

 

 

 

やっぱ難しいかね。

 

でも、だからこそ、人間はきっと楽しいんだよね。



houkinkun at 19:00│Comments(0)TrackBack(0)clip! 

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