August 23, 2010

罪と罰

 

マグダラのマリア。

 

罪の女。

 

罪深き女。

 

【ダ・ヴィンチ・コード】を観た人は知っていると思うけど、このマリアさんは、映画の中では、イエス・キリストの嫁さんだったという仮説の基にストーリーが練られていた。

 

同一宗教内とは言え、宗派、教派の違いで彼女の捉えられ方は大きく異なるけど、主要教派では【聖女】として捉えられている。

 

姦淫、姦通の女、罪の女とも同一視され、時に娼婦を意味する言葉としても彼女の名は用いられることがある。

 

しかし、悔悛(かいしゅん)した罪人、つまり、悔い改め、そして、更生した娼婦であり、時に聖書に出てくる【罪を犯しながらイエスに許される女】と重ねられて語られることも多い。

 

 

 

あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、

まず、この女に石を投げなさい

 

 

 

そこで本題に入る。

 

【赦す】ということ。

 

私の友人に気に入らない、自分の意に沿わない邪魔な奴を赦せない人がいる。

 

物事を二極化して考えて、全くのアソビがない。

 

真ん中の曖昧でグレーな部分が一切ない。

 

彼と会話する時、言葉を選ばなければならないから、正直ちょいと疲れる。

 

 

【赦す】とは、すなわち、受け入れるということ。 

 

囚われた心を開放すること。

 

ということは、赦さない、赦せないという自分がいれば、ずっと、そこに囚われ、自分自身が苦しみ続けることになる。

 

そして、ネガティブなイメージはあらゆるところに影響し、己の心を蝕んでいく。

 

時に、憎しみや恨みをバネにしてしまう、つまり、いつかあいつを見返してやる、というような頑張るための強力なエネルギーに変えてしまうこともあるけれど、モチベーションの源泉はプラスのイメージを持って、ワクワク、楽しく、のほうが圧倒的に周囲に与える影響が良いものになる。

 

 

 

今度は、箱の話。

 

相手は自分と同じ【人】なのか。

 

それとも邪魔な【物】なのか。

 

抵抗心や反発心で他人を見る。

 

相手はいつまで経っても赦すことのできない憎い奴。

 

 

しかし、人は相手の背景を思いやり、自分のことも省みることができる。

 

 

俺は誰にも何も言われないほどの努力をしてきた。

 

だから、アイツに言われるようなことはひとつもないし、全くもって心外だ。

 

赦せない。

 

 

しかし、ちょっと考えてみて。

 

いつも、いつだってあなたはパーフェクトだったのだろうか?

 

誰か世話になった人、自分が失敗しても優しく接してくれた人、親切にしてくれた人は1人もいない?

 

他人に迷惑をかけずにずっと生きてくることができたのだろうか?

 

ああ、そうさ、俺はいつでも自分の力でやってきた。 

 

誰にも頼らず自分ひとりで生きてきたんだ。 いつだってそうだったさ。

 

よし、仮にそうだとしよう。

 

それじゃ、ここらで一休みしたらどうだい?

 

そんなに頑張らなくてもいいんだよ。

 

誰かに頼ってもいいんだよ。

 

え? プライドが許さない?

 

なるほど〜。

 

ところで、そのプライドって何?

 

食べられるの?

 

 

相手の赦すことのできないところは、そもそも自分の気にしている、囚われているところを刺激されたことによって起こった感情。

 

【プライド】然りだ。

 

ということは、自分の囚われを解放してあげればよいわけだ。

 

自分を赦す。 自分自身を解放する。

 

そうすれば他人を赦すことができる。

 

他人に優しくなれる。

 

自分に優しく、他人に優しく。

 

いつもプリプリしていて苦虫を噛み潰したような顔。 

 

そして、どんどん孤独になっていく。

 

 

で、あなたはどちらの人でいたいですか?

 

それでもやっぱりあなたは石を投げますか?



houkinkun at 18:30│Comments(0)TrackBack(0)clip! 

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