April 03, 2010

違いを受け入れるとは

 

先日、仮面ライダーをみていて再び思いました。

 

最近の仮面ライダーはかっこいい。

 

俳優さんもかっこいい。

 

スラリと背も高い。

 

女優さんも美人が多いですし、結構、お色気系のアイドルが登場したりして、お父さんたちの視線を釘付けにするようなサービスもそこそこ盛り込まれているわけです。

 

ターゲットが子供とお母さんから、お父さんにまでどんどん拡大しています。

 

主夫化。

 

お父さんが子供に関わる時間が増えました。

 

子育ての領域や関わりは、以前の日本の社会からすれば随分とそのかたちが変わってきたと言えます。

 

うちの母親にしても、私が家庭や家族のことで何か手伝ったり、動いたりすると、あんたえらいねぇ〜と関心するのです。

 

正直なところ、我が家の父親はさっぱり動かない人だし、私自身もそんな父親を見て育ったものですから、基本的には動かない人間に成長してしまいました。

 

が、しかし、それでも嫁さんの教育のおかげか、父親の100倍は動くと思います。

 

だから、あんたはお父さんとは違うと言って関心するわけです。

 

ま、私は100倍ですが、ふつうのお父さんなら1000倍ぐらい・・・   (`Д´) オメー、ウゴケヨ!

 

 

 

ダイバーシティ。

 

多様性を認めざるをえない社会にどんどん移り変わっています。

 

島国日本。

 

嘗て、200年余りも鎖国という排他的な態度を世界に示してきた我が国。

 

最近では、グローバル化しつつある社会情勢の中、鳩山さんは『友愛』とか言って盛りあがっておりますが、歴史や文化を踏まえ、他の国の人たちを受け入れることには容易に賛成できないという人もいるわけで。

 

鳩山さんや小沢さんあたりは、一部の人には国賊扱いされてるぐらいです。

 

政治的には、国内の需要喚起も景気対策も具体的にパッとするものもなく、そのついでに日本の国自体がアジア諸国の中でも、なんだか徐々にパッとしない存在になりつつあるような気もします。

 

だからこそ、よけいに国内ではなく国外に関心が向いてしまうのかもしれませんが、そもそも、国民性や文化を乗り越え、我々と他国が様々な価値観を共有し、単純に融合していくことは可能なのでしょうか?

 

その結果、グローバル化していく現代社会で、再び極東の小さな島国が輝ける時代が来るのでしょうか?

 

 

比較文化学者によると「日本は同質を重んじる文化」だと言います。

 

日本語の「違う」という言葉には、different(異なる)という意味とwrong(正しくない)という両方の意味が含まれています。

 

つまり、「異なることは悪いことだ」ということにもなってしまうわけです。

 

私もここにいつも悩んできました。

 

違うことを認められない。

 

企業における『違い』をどこまで容認するのか否かという問題に悩んできたのです。

 

絶対評価ではなく、相対評価。

 

差ではかるのではなく、違いを受け入れる。

 

分ります。 そりゃそう在るべきです。

 

しかし、企業や組織においては違ってはならんものがあります。

 

それは考え方や価値観です。

 

男と女でもそうじゃないですか。

 

価値観の相違と言っては離婚する人たちが後を絶たない。

 

価値観とはいったい何でしょうか?

 

どこを違えてはいけないのでしょうか?

 

企業の価値観とは一般的に言えば、理念やビジョンやミッションということになります。

 

しかし、私はここに、働くことへの価値観や生きることに対する価値観の共有を社員に求めます。

 

なぜならば、会社だろうとプライベートだろうとどちらも同じ自分だからです。

 

スイッチが切り替わったようにある瞬間から人間が変わるという現象が起こるのならまだしも、そんなことはありえません。

 

ということは、考え方も境界なくどこにいても同じであるということです。

 

 

 

同一人物が人生における貴重な時間を、仕事であろうが、プライベートであろうが同じように消費しているのです。

 

プライベートだけ楽しくて仕事はつまらんなどと考えていては、それこそつまらんことです。

 

週末の休暇のためだけに生き、平日のウィークデイをダラダラやり過ごす。

 

日曜日のサザエさんが放送される時間になると、明日も仕事かと憂鬱になる。

 

仕事や会社がつまらんと思えば、生きている時間をつまらんと思って過ごす、つまり、人生をつまらんと感じて生きることと同じです。

 

仕事に対する考え方や職業観は様々あって然るべきですが、私は一緒に働きたくはないのです。

 

自己中な人が大好きだ、という人はあまりいないはず。

 

他責で物事を捉えて、TAKEばかりで愚痴や文句や不平不満ばかり言っている人。

 

仕事に忠誠を尽くせとか、愛社精神を持てとか言っているのではありません。

 

純粋にもったいないな、時間を浪費しているんじゃないの?と思えてしまうだけです。

 

 

価値観は多様化していてもかまいません。

 

むしろ当たり前なことです。

 

みんな違って当たり前です。

 

いろんな性格、いろんな顔、得意不得意、特性、適性、できるヤツ、できんヤツ、いろんなヤツがいてもかまいません。

 

そんなものは、仲間同士で足りないものを補完し合えば良いのです。

 

しかし、たったひとつのこと、根っこにあるものだけは違ってはいけません。

 

 

それこそが、

 

〜 箱から出ていること 〜

 

です。

 

 

これを知って、私は悩みから解放されました。

 

違いをどこまで許容してよいのか、何を違えてはならんのかという物差しを手に入れることができたのです。

 

 

大手企業ではすでに当たり前となっている事情も、今後、いくら中小企業であろうと、多様化、つまり、ダイバーシティを受け入れていくことは、企業自身が求められ、受け入れざるをえなくなるものであることは間違いありません。

 

男女の区別や差別なく働ける社会、外国人労働者が日本人と等しく働くことのできる社会の実現。

 

箱の外の世界でなら、あっちゅー間に実現可能です。

 

箱の外でなら違いを受け入れることができます。

 

人類みな兄弟。

 

 

 

社会や世情は企業が牽引します。

 

ということは企業の在り方が問われるわけです。

 

根っこに持つべき価値観、つまり、物の見方、捉え方が共有できなければ、組織は強くなりません。

 

ということは、もちろん、より良い成果を出すこともできません。

 

 

組織にとってたったひとつのとても大事なこと。

 

 

 〜 『箱』から出る 〜

 

 

これこそがすべて。

 

 

 

『箱』の出方教えます。

 

よろしかったら。

 

 

ご興味のある方はいつでもご連絡くださいな。



houkinkun at 23:30│Comments(0)TrackBack(0)clip! 

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