March 22, 2010
感謝のベクトル
見えていないけど、そこに在るもの。
空気?
電波?
嫁さんの怒り? むむむ〜
丸山さんは豊橋ゆかりの詩人
高師緑地公園にて
真昼の空にも星がある・・・ でも見えない・・・
多くの人は、普段、見えないものに意識を向けることができません。
見えないんだから当然といえば当然ですね。
でも、物理的には見えているはずなのに、見えていない、目に入ってない・・・ということはないでしょうか?
多くの人は当たり前だと思うものが見えなくなる傾向があります。
健康然り、家族然り、空気然り、自分の周りにあって当たり前だと思う人や物や事柄に意識が行き届かなくなるのです。
ということは、普段そこに在って当たり前だと感じているものに対して、『在り難し』などとはなかなか思えないわけです。
しかし、それは本当に大事なものが見えていない状態だといってもよいかと思います。
ありがたいと思えない。。。
つまり、感謝ができない。。。
見えないもの、知らないものには感謝することができないということ。
しかし、自分の周囲に感謝することができないと、私たちはどうなってしまうのでしょうか?
おそらく、やること為すことが独善的、つまり、ひとりよがりで、自分以外に目が向かない状態になるでしょう。
いわゆる、自己中というやつです。
でも、自己中な人は基本的に誰からも好かれません。
ということは、自己中にならないためにも、見えない、いや、見えていない部分に意識を傾けることが大事になるということになります。
では、どうしたら見えない部分に意識を傾けることができるのでしょうか?
人は自分にないものを求めます。
有名人やタレントさんを見ては、ああ、あんな風に生まれたかった・・・ とか、金持ちそうな人を見ては、ああ、うらやましい・・・ などと羨み、妬み、そして、ひがみ、こんな自分に誰がした・・・ などと言っては愚痴や不満を垂れ流します。
しかし、そんな状態で周囲に感謝などできるのでしょうか?
いくら感謝のアンテナの感度をあげようと思っていても、これではまず無理でしょうね。
ではどうすればよいのでしょうか?
目につくものや、自分にないものを求めたり、補おうとする人間の根源的な衝動や欲求は、おそらくそれをなくせと言ったところで土台無理な話です。
ですから、無理なことをやらなくてもいいから、できることをするのです。
自分の意志で、今の自分にできることをする。
ないものではなく、在るものに意識を集中させる。
在るもので一番手っ取り早いのは、もちろん自分自身です。
自分自身見えてないことは多いものです。
もっと自分のことに関心を持ちましょう。
ということは、多少飛躍するかもしれませんが、今在る自分を肯定すること、つまり、自分を好きになることから始めることが大事なのだと思うのです。
ウダウダと繰り返しになりますが、自分にないものというのは、今の自分からは、ある意味一番遠い存在であるということができます。
遠い存在のことばかり考えていても現実的ではないことが多いです。
簡単には手に入らないからこそ、ないものねだりしたくなるのですから。
ということは、やっぱり、一番遠いところから考えるのではなく、現実的で最も身近なところから考え始めることが大事なのだと思うのです。
身近な人や物に感謝して生きる。
感謝のベクトルは向こうからこっち向きではなく、こちらから向こう向き。
だからまずは、自分から。
自分の在り方から考えるべし。
次に家族や周囲の関係を大事にすべし。
そして、当たり前にあると思いこんで見えなくなっている、いろいろな、近くに『在るもの』に意識を傾ける。。。
そうおもえる想念は美しい。
ああ、懺悔の日々・・・
じなん with 棒