December 15, 2009
袋道に穴
◆両親に怒られる。
こんな場合、怒られる子供側に逃げ場は残されていない。
多くの場合、怒られる側に非がある。
悪さをするから怒られる。
しかし、人は逃げ場のない窮地に追い込まれると自然に防衛本能が働く。
逆ギレ。
表面上は取り繕っても根が残る。
責められていることだけを感じ、そして自分に非があるとは思えなくなる。
感情や主観が事実を捻じ曲げていってしまう。
最初は良心が揺さぶられ、悪いことをしたと反省していても、両親に怒られているのび太のような状態では素直に最初に感じた良心を受け入れ難くなる。
良心と両親。
両親の良心。
ややこしいわ・・・
のび太はこの時、自分の成長を願ってもらいながら叱られているのだろうか?
親からの愛を感じているだろうか?
両親の在り方で子供への伝わり方が変わる。
◆直属の上司とそのまた上司に同時に怒られる。
その場合、直属の上司は自分の保身をしていないだろうか?
自分の責任を部下に押し付けていないだろうか?
のび太だって部下だって人はみな感じる。
相手が愛や誠意を持って接していてくれるのかどうかを。
叱られることと怒られることは違う。
部下が何を考えているかわからない、どう接してよいかわからない、自分の指示したことをやってくれない、守ってくれない。
不満がつのる。
そんな時、自分の通ってきた道や、自分自身の過去の成功体験をもとに相手を諭しても部下には伝わらない。
自分の武勇伝を語って聞かせてもそんなもの聞きたかない。
ヤンキー自慢や病気自慢をしたところで誰も響かない。 ちょっと違うか。。。
何よりも根本的に大切なのは、相手と真摯に向き合い、自らの心を開くことが重要だ。
本音で語るコミュニケーションを交わすことでしか相手は心を開いてはくれない。
自らが本気で部下を理解しようとしているのか?
そのために自分ができることには何があるのか?
部下を成長させるために上司がどれだけ本気で悩み、取り組み、そして努力しているか?
その結果、上司自身がどれだけ成長をしているのか?
やっぱり、部下に対して自分がどう在るかということでしか問題は解決できないし伝わらないのだ。
人は直感的には≪考える≫のではなく、≪感じる≫。
感じてもらうことにフォーカスする。
身を呈して愛情を示し、部下に最大限の手助けをする。
相手が愛される存在になるべきだと思ってはいけない。
あなたが愛せば良いだけなのだ。
そうすれば必ず関係性は劇的に改善される。
しかし・・・
この看板の真意がどこにあるのかは謎だ・・・
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この記事へのコメント
あきらかに作者の大人さんの独白。
だいたい「構うな=かまうな」なんて読める子は池にゃそーそーはまらんでしょ。
「○○さん電話欲しいって。急ぎじゃないみたいですけどぉ。」
「俺に構うな」
「酔っぱらってこんな所で寝てると襲われるよ〜。」
「俺に構うな」
「オニさ〜ん、マッサージいかがれすか〜」
「俺に構うな」
大人の日常ですな。
コメントありがとうございます。
構うな!って言っているのは他人に対して抵抗している状態。
マッサージは別にしても、関わってくれてありがとうと言える人になろうと思います。
放っとかれるのもさびしい。。。
もっとオレに関わってくれぇ〜
構ってくれぇ〜