November 25, 2009
なんとなくねぇ
栗廃る・・・
栗腐る・・・
なんとなくね・・・
なんとなく行きたくない・・・
なんとなくやりたくない・・・
なんとなく会いたくない・・・
なんとなく好きかも・・・
曖昧さを表現するときに用いる言葉、『なんとなく』。
私の場合、『なんとなく』という言葉は、どちらかというと言い訳や否定的意味あいで使ってしまうことが多い。
全面的に肯定することができず、何かしら心のどこかに引っ掛かっている状態。
能動的に、主体的に行動したり、意志を持っている場合、ある程度の理由や目的が伴って動機が明確になっているから、そちらで『なんとなく』を使うことは少ない。
『なんとなく』で行動してしまうと、大方あまり良い結果に結びつかない気がする。
で、結局あまり良くない結果を迎えた場合、きちんと自分で判断して行動した場合に比べて、素直にその状況を受け入れ難くなって後悔したり、言い訳をしたりする。
クリスタルボウイ
って
知ってる?
コブラの宿敵
なんとなく・・・
どことなく・・・
かぶってる・・・
以前にも書いたけど、私たちの行動は無意識レベルでやっていることや、逆にやっていないことが生活の中の大半を占めている。
だから逆にいえば、意識的に行っていることのほうが少ないということだ。
でも、人は何らかの行動を起こす場合、自分の意志や欲求がなければ、基本的には動かない動物だ。
反射的に動いたり、やってしまうのは、反射や反応のレベルであって、主体的な行動とは言わない。
あえて何もしないということも、意識して行えることだが、それは意識不明状態、つまり意識のない状態の人でもできること。
しかし、意識のない人に主体性をもって何かをしてもらおうとしてもそれは無理な話だ。
ということは、自分の中で≪なんとなく≫行動していることは、やっていることも、やっていないことも含めて、実はきちんとした意志を持ってしていることなのだ。
日ごろの慣れや、ルーティン化された中で本能的に無意識化されているだけ。
習慣や癖のレベルに落とされていくのだ。
無意識を制する者が意識社会を制する。
クリスタル・ケイさんです
違う?
なんとなく違います・・・
この人だっけ?
なんとなく・・・
系は同じ・・・
ではない?
子供はとても知りたがりで質問好き。
だから、いちいち大人のすることに疑問を抱く。
そして理由を求めてくる。 その追求の手は緩むことなく容赦ない。
先日我が家の長男にあることで質問攻めに会い、結局、最終的に『なんとなく・・・』と答えてしまった。
そして、逆に何でオレはそれをなんとなくしてるんだ?と考えるきっかけになったのだ。
そこで気付いた。
自分が無意識にやってる≪なんとなく≫な動作や行動にも理由があるのだということを・・・
いや、改めて自分がとっている行動や選択していることを見つめなおす作業を子供に導かれてさせられてしまったと言うべきだろうか。
深く考えれば、私にとっては、なんとなくしていることにも、明確な意図と理由があったのだ。
それを意識してなかっただけのはなし。
≪なんとなく≫のチェックをしなければ・・・
あなたにもるはず。
たくさんの≪なんとなく≫が。
どうだろう、半期に一度、いや年に一度の機会でもいい、≪なんとなく≫の棚卸をしてみては。
それによって、ロスを考える機会になったり、生活パターンを変えることができるきっかけになるかもしれない。
あ〜あ〜
はてしないぃ〜♪
なんとなく・・・
しつこい?
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