November 01, 2009

夢の続き

 

マリヤン


なんとなくショコタン風味?

 

 

前回、前々回あたりのネタに絡んで、再びダラダラと考えてみることにする。

 

BGMは竹内さんの『夢の続き』で。  

 

≪夢≫について、最近ハヤリの脳科学的側面から少し調べてみた。

 

人は夢を見ながら、記憶や情報の整理をしているということまでは分ってきているらしい。

 

とは分ったものの、だからと言ってやっぱりいまいちピンとはこない。

 

あー、そーなんだー、夢見ることで記憶を整理してるんだ、なるほどねぇ〜  というようには素直に飲み込めない。

 

昨晩見た夢、起きた分では覚えていた気がするけど、もう忘れたわ・・・

 

私の場合、会ったことのない知らない人が登場することもある。

 

どういう整理の仕方をしてるんだろうか・・・

 

ムムム  やっぱりピンとこない・・・

 

 

 

私の場合、夢を見たい見たくないのレベルで言えば、勝手に見てしまうのだから無意識の中の反応であるということができる。

 

寝言もコントロールできないから恐ろしい。    ん?ナンデ オソロシイの?

 

起きている間にも、人間は実は無意識の行動のほうが多いことは前々回のブログに書いた。

 

自分の思考していることは、相手が超能力でもなければ他人に簡単に伝わるものではない。

と私は思っていた。

 

だから私のことがよく分かっている、というかすぐに察する嫁さんをエスパー魔美かと思っていた。

 

 

 

 

 

 

えすぱー

ちなみにこの人じゃない。

 

 

同じ≪イトウ≫でも我が家は≪伊東≫じゃなくて≪伊藤≫だ。

 

まー、そんなことはどうでもいい。

 

通りをすれ違った人が何考えているのかなんて分かるわけないし、会話の途中でもなければ近い関係性をもった人であっても、他人の頭の中なんてきちんと把握することは難しい。

 

そして、相手の考えや意図するところ、本音を理解するには相手の意識していることにこちらの意識を傾けなくてはならないと考えていた。

 

しかし、真実はその逆で、相手の無意識の中にこそ人の感情を察知することができる。

と私は思う。

 

基本的には言葉や行動に移してくれなければ、相手の感情や考えていることを読み取ることは難しい。

 

無表情な人に感情を感じないというのはそういうことだ。

 

そして相手の無意識の中に、本来の相手を感じるということは聞く姿勢や共感するこちらの感情が重要になる。

 

ウソの上手な人は相手側の問題であって、こちらの範疇ではないから、ここで言いたいことは、あくまで自分のスタンスであることを前提とする。

 

 

 

起きている間には、意識や行動をコントロールすることができる。

つまり、意識的に行動することができるということ。

 

私は分かりやすい人だとよく言われる。

ということは無意識レベルでしている行動が多いということで、それが相手に簡単に伝わってしまうのだろう。

 

というわけで、直感型、直情型人間に分かりやすい人が多いというのも理解ができる。

 

◎素直さとは、思考や感情や言葉と行動(現実)が一致していることだ。

だから、素直さを持つことは無意識にできること。感じたことをそのまま言動に移せば良いからだ。 

そして、もちろん意識してウソをついたり、自分の本当の反応を隠すことはできる。

ということは、体裁持ちやプライドの高い人は素直じゃなくなる。

 

◎誠実さとは、その逆で、行動(現実)を感情や思考に合わせることができること。

したがって、意識した行動をしないと信頼を獲得することは難しい。

 

前者において意識することにたけている人、感情のコントロールが上手な人はウソがうまい。私はヘタ。

 

ということはやっぱり無意識レベルで動いていることが多いんだな。

まー、良い意味で捉えれば素直だっちゅーことだ。 マエムキマエムキ!

 

 

 

寝ている間も、もちろん自分をコントロールすることなど無理。

 

人によっては夢をコントロールできるという人がいるらしい。

 

ということは、意識下で夢を見られるということで、私にしてみればスゴイというかウラヤマシイというか、でも同時にそれってホントに寝てんの?という疑問も湧いてくる。

 

見たい夢を見られるということは、レンタルビデオ屋さんに行って見たい映画や映像を借りてくるようなもので、ということはあんなことやこんなことも見られてしまうわけで・・・ さらに言えばあの人にあんなことやこんなことをさせられるわけでグシシシシ・・・

 

・・・   ・・・   ・・・

 

 

 

以前、東南アジア系のおねいさまたちのいるお酒を飲ませてくれるお店に行った日に、カタカナの女の人らしき名前を寝言で発していたらしく、嫁さんにとても怒られたことがある。

 

そんなんムイシキじゃ〜ん!

 

と言って必死に状況を説明しても、こういう場合、私も長年日本で生活しているんだけど、日本語の通訳さんが欲しいぐらいに自分の言葉が相手に伝わらない歯がゆさを感じるのは何でだろう・・・

 

 

 

 

 

赤と青のエクスタシー

 

テツトモのように私がなんでだろう〜と歌って踊っても、きっと嫁さんは喜ばず、余計に話がこじれてややこしくなるばかりだ。

 

でも、そんなとき、私の頭の中では妖精のような小人の二人が私の洋服のポケットから這い出してきて、そこかしこでチョロチョロし始めるというような空想が展開されてしまい・・・  

テープの早回しのような声で机の上を走りまわったり、嫁さんの頭の上で踊ってたらおもろいだろうな・・・

 

こういう反省のなさが相手に伝わるんですかねぇ〜

無意識だ・・・

 

問題はどうやら、そういうお店に行く、おねいさんの名前を覚える、などの本人の意思の問題、意識レベルでのことだということを、ウスウス感付いてはいるんだけど・・・

 

 

 

 

同じ夢を何度も見るという人もいるけど、これにも何か意味があるんだろうね。

 

これは完全に無意識レベルでの話だと思うから、こちらは心理学的な側面からアプローチしたほうが良いのかもしれんね。

 

何かのシグナルが送られているんだろうねぇ。

 

夢をコントロールできる人はこれもコントロールできるのだろうか?

 

 

 

 

目的や目標などを置いて行動することは、≪意識≫に目を向けることだ。

 

一方、創造性やアイデアなどは、≪無意識≫に目を向けなければならない。

 

だから、クリエイティブな人は、夢の中からヒントを得ることも多い。

 

良くないことだけど、ミュージシャンなんかが薬物からくる幻覚にヒントを得て作品を作る人も少なくない。

 

前々回のブログに書いたように、無意識下にある思いこみという負の思考のサイクルは断ち切るべきだが、発想やアイデアは意識された世界以外の無意識の世界に目を向けなければならない。

 

つまり、自分の関心の外にも目を向ける、簡単に言えばアンテナを張って周囲に目を向けるということ。

 

しかし、何事もバランス。

 

意識しなければならないことに集中できなければ、それは注意散漫なだけであって、意識の外に目を向けることができなければ、視野が狭いというだけである。

 

会社のような組織の中では、やはり、≪意識≫すべきことばかりに目を向けさせるようなコントロールされた風土では、社員の主体性を引き出すこともできないだろうし、視野の狭い人間ばかりになって、挙句には会社の成長も止まるであろうということが容易に想像できるわけだ。

 

だからこそ、私は率先して無意識的に直感的に変人でいようと思う今日この頃なのだ・・・

 

 

ちゃんとおちた・・・?  ダメ?



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この記事へのコメント

1. Posted by ビールマン   November 02, 2009 21:37
無意識を意識して、何でも興味を持って、見える物事の切り口を変えて、自分の周りの世界に置き換える、そーすると会社の成長に役立つ何かが見えてくる

そして会社が儲かって「おねいさん」がいる店にたくさん行けるようになる。

そーして無意識の言葉が・・・

直観的な変人は会社にとってイイ人だけど、家庭にとっては悪い人??
2. Posted by 伊藤   November 03, 2009 13:05
ビールマンさん

コメントありがとうございます。

・・・

・・・

ま、基本的にはですねぇ〜、え〜、意識的なレベルでのアタクシ個人の問題ですから、直感的な人が家庭にとって害のある人かどうかは別ということでご理解くださいませ。

変じんかどうかもあくまでアタクシ個人の問題でございますので、アシカラズご了承くださいませ。。。

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