October 19, 2009
物理の時間です。
ニュートンの運動の第3の法則。
またの名を作用・反作用の法則という。
交通事故でクシャクシャに変形した醜い自動車。
もし、その事故車がコンクリートの壁に80kmで衝突して大破したものだとすれば、コンクリートでできた巨人のゲンコツに、同じだけの破壊力でぶん殴られたのと同じようなこと。
たとえがあまり良くない気もするが、つまり、壁からも同じだけの力が自動車に加わったということ。
人生における作用と反作用。
自分の放出したエネルギーや価値が、見えざる大いなる力によって跳ね返ってくるという現象。
善行を行えば、いつか巡り巡って自分のところに幸せが訪れる。
悪事を働けば、いつか報いがある。
であるならば、どのように行動すれば、何が得られるのかということを理解することができる。
● お金が欲しければ、お金を与える。
● 情報が欲しければ、情報を与える。
● お客が欲しければ、お客を与える。
でも世の中の多くの人たちが、この原理原則を無視して、本人が望まない別の結果を導いてしまっている現実がある。
ひどい人は、そうだよね、それが原理原則だよね、と言いながらも言動が一致せず、結果、愚痴や不平不満を垂れ流す。
作用・反作用の法則だけを愚直に守っていれば、お金や情報やお客様を獲得できるかと言えば、もちろんそれだけではないことは分りきったことだが、やっぱりとても重要なことだ。
ギブ&テイクと言うことからも分るように、与えることが先になければテイクすることのできるタイミングはなかなかやってこない。
● 他人の利益こそが自分の利益だと考える。
● 他人の利得を考えながら自らの利得を考える。
いわゆる≪自利・利他≫の物事の捉え方や考え方。
しかし、それは決して一切の見返りを求めないお布施なんかではない。
それなのに、多くの人が与える行為や行動は自分だけが損をすると考えてしまう。。。
溺れた人間が溺れている他の人を助けることなんてできない。
食べること、住むところ、生きていくレベルで困っている人が、人から奪うことはあっても、他人に施しを与えることなんてまずできない。
共存、共栄。
そもそも自分の求めるものはどこにあって、どこから与えてもらえるのだろうか?
そのすべては自分以外の他所・他者にあることは自明の理である。
現状維持を好む生き物である人間。
そして奪われることを拒むのも人間。
変化を拒むことは、奪われることを拒むことに等しい。
つまり、現状の生活スタイルや、思考のサイクルを奪われることに抵抗している状態になるわけだ。
だから、人は一度抱えた物を手放すことが苦手になる。
そして、一度抱えた物に執着し始めると尚更動けなくなる。
それなのに欲求や要求ばかりが先行する。
つまり、現状維持を望んでいるのにも関わらず、変化までも手に入れようとしているということだ。
変化とはつまり、
金持ちになりたい、偉い人になりたい・・・ というようなこと。
もし、あなたが今そういう人じゃなくても、なれたとしたら、大きな変化だということができるでしょ?
しかし、そうは問屋が卸さない。
だから、
もしも、あなたが今自分の抱える何かに対して執着心を持っているのなら、その執着心を一旦開放すべきだ。
お金、地位、名誉、人間関係、固定観念、既成概念・・・
でも・・・
世の中執着したくなることだらけだね。
ん〜 ・・・
やっぱ簡単じゃなさそうだ・・・
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この記事へのコメント
手放すことが大切だ!
まずは、その左手に握りしめた鍛高譚を手放すのだ!
コメントありがとうございます。
コラッ!
左手にそんなものを握ってないぞ!
右手だっ!
でも、持っている物何もないの〜
おお!たまには左手も・・・
コメントありがとうございます。
たとえば、
ストーカーの恋が成就することは、基本的にはほぼないことだと思います。
ということは、執着していると得られない・・・
だから得ているものが少ない、持っているものが少ない・・・
左手かいほう〜