August 19, 2009
動的平衡
人を分子レベルでみたとき、一年もするとすっかり別の分子に入れ替わってしまうらしいのです。
アメリカにルドルフ・シェーンハイマーという分子生物学者がいました。
彼は生物の生命とは、代謝の持続的変化であり、自ら破壊と生成を繰返す流れによって維持されることを見出したそうです。
つまり、どういうことかと言いますと、一見、変わりなく見える生物の姿は、ミクロレベルで言えば、目まぐるしいスピードで変化を起こしながら均衡を保っているらしいのです。
動きながらも流れ流れてバランスを保っている・・・。
これを≪動的平衡≫と言います。
同じく分子生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一さんという人がいますが、このあたりのことが彼の著作物に詳しく書かれています。
賛否両論なのですが、『生物と無生物のあいだ』という本はたくさん売れたようなのでご存知の方も多いだろうと思われます。
思考をつかさどる脳細胞でさえ、時間が経てば新たに分子が置き換わってしまい、数カ月から一年もすれば完全にすべてが置き換わってしまう。
では果たして、記憶や意識、そして本当の『私』はどこに存在するというのでしょうか。
肉体が別物になっても、私たちは別人になるわけではありません。
ちゃんと記憶だって残っています。
科学的には分子配列の形状によって記憶を保つ、ということらしいのですが、文系な私にはよく分かりましぇん。
なぜ人は食べ物を食べ続けなくてはならないのか?
17世紀のフランスの思想家パスカルさんは言いました。
≪人間は考える葦である≫と。
しかし、福岡さんは言います。
≪人間は考える管である≫と。
人間は単純にとらえれば、ちくわのような構造をしているというのです。
だから、口の中はもちろん、胃の中や腸の中も基本的には体の外側の部分にあたるということになり、食べ物は血管や組織の中に取り込まれて初めて体の一部になるとのこと。
消化器官では食べ物をアミノ酸のレベルにまで分解し、そして初めて体に取り込まれるのです。
その後で自分なりの分子の配列に並び変えていく。
肉体を物質的にとらえればそういうことになるとして、やっぱり気になることがあります。
生命の本質とは何でしょうか・・・?
シェーンハイマーさんの理論でいけば、一年前の自分も、一年後の自分も物質的には自分じゃないということになります。
じゃ、私はだあれ?
万物は流転する。 ガイア思想。 人類みな兄弟。
物理的には今と同じあなたは明日にはもういない。
人は変化を拒む?
いやいや、拒んだところで本質はすでに変化しているのです。
変化を受け入れるということは自らを受け入れること。
生きることを受容すること。
いつの日にか生命の本質が科学されることを心待ちにしております。
マッテマース
・・・
ララララ〜
ウタ カンケイナイヤン・・・