August 03, 2009

無為自然あげいん

 

7月29日にUPしたネタ。

 

UPしてから多少後悔した。

 

私の中では当たり前のことでも、一般的には常識から逸脱しているような思想論を展開したところで、おそらく私が伝えたいと思っていることのどれほどのことが伝わるのだろうかという気持ちが、あの後フツフツと湧き上がってきたからだ。

 

変人と思われることには慣れているので、そのこと自体は別に構わないんだけど、やはり偏った意見であることには間違いないのだろうな、と後から反省したからだ。

 

私は死にたくなったことがない。

 

だから死にたい人の気持ちが心の底からは理解できない。

あくまで想像でしかないのだ。

 

本当の意味で相手の立場にたって考えることができないから、偏っていると言わざるを得ない。

 

その気持ち分かるよ〜などと体の良いことを言って慰めてあげることなどできやしない。

 

死にたくなってどうにもならなくなった経験がないから、結局は自分本位の意見でしかない。

 

死にたくなってしまうような状況にならない思考回路を構築しようと私の場合は考えることができたけど、じゃあ、できない人はどうするのだと言われたら、回答に非常に困ってしまう。

 

分泌されるホルモンや代謝のスピードなどの肉体的な要因が、精神的にも大きく影響するということが言われている。

 

うつになりやすい人となりにくい人が体質的にあるらしい。

 

それは確かにそうであるかもしれないということは認める。

 

しかし、やっぱり日頃の考え方や信念の持ち方次第だと私は思う。

 

体質はマイナス志向で物事を捉えた場合でしか考える必要がない要因だと思うからだ。

 

 

私は死にたくなったことはない。

 

例え、もし死にたくなってもたぶん死ねない。

 

こわいから。 痛いし。

 

こわいというのは、見たことのないあの世がこわいとかいう話ではなく、この世に残していく人々のことを考えると自分の行う所業そのものがこわくなるということだ。

 

ご紹介した『生きがいの創造』というあの本は、私が初めて手に取った日から換算すれば、もうすでに数年経っている。

そして今だからこそ、自分の考えと行動との因果関係を自分なりの経験則に基づいてこうして書いたり、お話することができるのだ。

 

(飯田さんの『生きがい論』シリーズはすでに累計200万部近く売れています)

 

 

私は救われ、そして許された気持ちになった。

 

 

 

私は常にバランスを取りたいと思いつつも、ある側面や一点から見れば、結果偏っていることが多いのかもしれない。

 

しかーし、

 

プラスとマイナス、陰と陽、男と女、裏と表。

 

プラス、マイナス相殺されて均衡を保つ。

全体のバランス。 それこそが重要なのだ。

 

自己擁護の気持ちは一切ないことを申し上げるが、そう思わない方は思わなくても結構。

 

繰り返すが、バランスが大事なのだ。

 

自分の欲求を押し殺して、他人を立て続ければ、いずれ自分の精神に異常をきたすことになる。

反対に自分ばかりの我を押し通せば、人間関係に支障をきたすことになる。

 

ストレスなく生きる。

そのためにバランスを保つ。

 

宇宙の真理とはすべての調和。

宇宙の法則に従うとは、つまり原理原則に従って生きること。

すなわちバランスや調和を重んじるということ。

 

無為自然とは、心を宇宙と一体化し、素直で自然な自分本来の生き方をすること。

 

心も体も自然な状態にあれば、同時に心身共に健康な状態を保つことができるのだ。

 

うつにならない生き方をする。

そのために必要な考え方を持ち合わせる。

 

だから結論、魂の話を持ち出したのも、無為自然であるための思考サイクルを手段のひとつとしてお伝えたえしたかっただけなのだ。

 

何を信じ、何を心のよりどころにするか?

 

それが宗教なのか、仏壇なのか、お守りなのか、お金なのか・・・

 

どこに、何に意識を置くかで行動や未来が変わる。

 

そして人生をも変えることができるのだ。



houkinkun at 18:00│Comments(0)TrackBack(0)clip!テキトー放談 

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