May 30, 2009

信じる者は救われる?

 



つながり

 

 

組織や集団においては、当たり前のことなんだけど、人と人が関係し合い、機能し合うことが必要になる。

 

会社や家庭、友達同士のグループ、地域のコミュニティー、趣味のクラブ・・・

人間は何らかの形で多くの人たちと関わりを持って生きている。

 

相手を信用し、信頼する。    相手から信用され、信頼される。

 

相手を信じる。 そして頼り、任せ、委ねる。

 

相手を信用できないのはなぜなのか。

 

相手に問題があるから?

 

それとも自分に問題があるから?

 

目の前にある現実は、自分のしてきた決断と行動の結果の集積であり、それこそが自分を投影した鏡のようなもの・・・

いわゆる『鏡の法則』と呼ばれる自己責任についての考え方だ。

 

その法則に則って考えれば、信用できない人物と共に何かを成し遂げようという現実が目の前にあるのならば、それこそが自分の心を映し出した鏡のようなものであり、原因は自分にあるということになる。

もちろんこの場合、面識もない人や、犯罪者であるような人は除く。

 

つまり、相手が信用できない行動を取るように思えるのも、実際に信用に値しない、そのような行動を誘発し、相手にそれを起こさせてしまうことも、信用する側の心の持ち方によって引き起こされる結果であるということだ。

 

部下に任せたいのに信用できない。

旦那を信用したいのに信じられない。

子供の将来を願えば彼らの意思を尊重すべきなのにそれができない。

 

相手のことを信用したいのにそうなってくれないという現実。

そして信用できない心が引き起こしてしまう悲しい矛盾。

 

 

 

矛盾



 

人は信用、信頼されると、それに足る行動を取るようになる。

 

逆に、そう思われていなければ、見せ掛けだけの偽りの姿を繕うようになる。

信用されていない態度を感じたり、言葉を投げかけられることで、誠実でいなければならないという強迫観念にかられたり、信頼に足る人物でいなければならないという強制力が働く。

そして心にかかった負荷はストレスへと変わり、さらに関係はこじれていく。

 

誠実で、信頼に足る人物でいるべきだという強制力が、くだらない小さな嘘をつかせたり、情報を遮断させてしまうことになる。

 

そして体裁だけを整えたイミテーションであることが分かると、さらに相手のことを信用できなくなるという悪循環に陥っていく。

 

では、この負のサイクルを止めるにはどうすればよいのか?

 

結論から言えば、相手を本気で信頼するしかない。

 

信用できないとこちらが思えば、結局相手はその思いに沿った行動しか取れなくなってしまうのだ。

 

じゃ、裏切られたらどうするの?

 

結論、しゃーないね。

 

人間は弱いもの。完璧であることがそもそもの間違いだ。

 

だから、それもひっくるめて相手を信じる。

 

しかし、盲目的に何もかも許すのではなく、相手に不誠実な行動を取らせないように布石を打つことが大事なのだ。

 

基本的に、自分の意見や主張だけで相手は変わらんと思っていたほうがいい。

大事なことは、自らの意思や姿勢を示すことだ。

 

つまり、自責の考え、鏡の法則というわけだ。

 

しかし、極端な期待や過度の信頼感は逆に反発やプレッシャーを与えてしまうことにもなる。

相手をコントロールしようと思ってしまうからだ。

 

自らをセルフコントロールし、誠実でいること。

それこそが、相手の信頼を勝ち取る方法だ。

 

誠実でいること。

きっと、その本質は行動自体の良し悪しは問題ではないのかもしれない。

取り繕ったり、見せかけたり、体裁を整えたり、嘘をついたり、隠したりする姿勢がいかんのだと思う。

 

相手を思いやり、自分が誠実でいることで信頼が生まれる。

相手を信用し、信頼することで、誠実さが育まれる。

 

お客様に対しても、社内の社員同士であっても、家庭であってもそれは普遍の原則。

だから、わが社に誠実と信頼の輪が少しでも広がることで、あるべき姿に一歩ずつ近づいているという実感を持つことができると思うわけなのだ。

 

ということで、まずは家庭でトレーニングに励むとしよう・・・

とりあえずオクサマの信頼を勝ちとら・・・

 

 

うおぉぉぉ

 

ネンリキだぁ〜  ビビビビビ〜



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