July 02, 2008
己を知る
先日、マユゲを落書きされた犬に遭遇。 笑った。
白い犬に黒いマユゲ。
民家に繋がれていたから、もちろん飼い犬で、飼い主さんが何らかの意図を持って描いたものと推測される。 民家の場所は伏せるけど。
なかなかお茶目な飼い主さんじゃないか。
でも描かれた方はたまったもんじゃない。
・・・と人間ならそう思うが、犬は分からんわな。
朝、鏡を覗いて、今日は顔が浮腫んどるな・・・ だいたい、昨日飲みすぎたしな・・・
などと、犬は一喜一憂なんてしやしないから気づかんだろうしね。
酒の席でいつの間にか寝てしまって、目覚めたときに落書きされた顔見てビックリ・・・
なんてシチュエーションは人間にはよくある。 ・・・たまにはある。 ・・・ ない?
犬は人になつくと言われてるから、人間の顔の判別は出来るんだろうけど、自分に興味ってあるのかな・・・
鏡の代わりに水溜りとか覗いて、なんじゃこりゃ、なんて思わないのかな。
人になついた犬なんかは、自分のこと人間だと思っていたりするぐらいだから、自分のこと見えても
<こんな犬みたいな顔はオレじゃないよな・・・>
なんて現実逃避してたりすんのかな。
・・・ ・・・
おっと、『犬が自分を自分と正しく判別して、認識できるのか?』なんてしょうもない疑問を気にしたりして、どちて坊やになりかかっちまった。。。
『 これはゼッタイわたしじゃないわ 』
『 私はこんな姿してないわ 』
現実逃避してる人よくいるよね。
認めたくないのか、本当に分かってないのか、紙一重のところを漂ってる人もよくいる。
そんな人に現実をつきつけると狂ったように否定したり、ギャクギレしたりして。
世の中には、外見的にも内面的にも、分かっていない、気付いていない面白い風体をした人がたくさんいる。
自分でもちろん化粧するんだけど、どう見ても冗談ですか?みたいな顔してたり、どう見ても変装ですか?というような格好をしちゃっている人もよくいる。
外見は内面を映し出す鏡。
心模様が表情になったり、スタイルになったりする。
現在自分に起きている現実もすべて自分を映し出している鏡。
先日そんなことを考えさせられる出来事があった。
深くは語らんけど。
あの人のせいだ、こいつさえいなければ、あの会社に入らなければ、こんな学校に入学なんてしなけりゃ、あの時、ああしなければ良かった、こうしておけば・・・
今ある自分は、すべて自分が決断したことの連続で形成されているという現実を受け入れることが出来ない人たちが世の中多すぎる。
現実逃避、責任転嫁、言い訳、言い逃れ、うそ、いつわり・・・
今ある自分の姿、現実の姿を正しく認識する。
そうしなければ、自分の望む姿や理想とのギャップを理解、認識することが出来ない。
自分の姿がどんな状態にあるのか、どんなにステキなのか、どんなに醜い姿をしているのか、現実という鏡やフィルターを通してしっかりと認識していないと、周りからは滑稽に映るだけだ。
自分はどんな姿してる?
最新の4駆
今ある現実や私の姿は、すべての自分に関わる人や事柄のおかげです、そう考えたいものです。