June 13, 2008

この世は天国?

【地獄】

(1)悪業をした者が死後苦報をうけると信じられている世界。
(2)〔仏〕 六道の最下位。閻魔(えんま)が主宰し、死者の生前の罪を審判して、それに応じた責め苦を与える。八熱地獄・八寒地獄など一三六種の地獄がある。奈落。    ⇔極楽
(3)キリスト教で、神と神の言葉を拒む者が落とされる最も恐るべき運命または世界。

「大辞林 第二版」より一部抜粋

 

幼い頃、父親の実家がある地元のお祭りに一度だけ連れて行ってもらった。

今となっては記憶がさっぱし定かではないので、どこで見たのかは不明なのだが、壁面いっぱいに描かれた地獄絵を見た。

 

こんなことするとこんな熱い目にあって、あんなことするとあんな痛いことになってしまうのだと現場の雰囲気に完全にのまれてビビりまくっていた。

 

地獄絵はご存知の方も多いと思うが、地獄変相、浄土変相などとも言われる地獄の様子を描いた絵画で、主に浄土教の布教のために描かれたものだ。

 

地獄絵

余談だが、一説によると地獄絵は、鉄を作る作業場である≪タタラ場≫をイメージして描かれたらしい。

それほどタタラ場の作業環境は大変で厳しいものだったということだ。

 

大人になってからも、何度か見る機会はあったが、子供の頃に見たその地獄絵の印象が最もインパクトのある忘れられない思い出となった。

 

あまりのショックに夢にまで見た。。。

 

あぁ〜・・・   ジゴク行きたくな〜ぃ・・・  ジゴクこぁ〜ぃ・・・

 

天国、地獄が本当にあるのかどうかという議論になれば、それは別の次元の話となるが、少なくともこの時に私が受けたディープインパクトは、その後の私の人生において、物事の善悪を捉える大きな物差しとなってしまったことは否めない。

 

判断力が備わっているであろう大人になれば、また社会人になれば、自分のすべての行動には、もちろん責任がついてまわることは当たり前のことだ。

 

しかし判断する物差しを持ち合わせない、心身共に未熟で未発達な子供にとっては、まず盲目的に理屈ぬきで、指標となる判断基準を持たせてあげないとダメだと思うし、情操教育においても、地獄絵のようなものが抜群の力を発揮するアイテムと成り得ることは、私の経験上間違いないと思う。

(ちなみに、あくまで私個人としての実感値なので、実際、情操的に成長しているかどうかのツッコミは受けちゅけまちぇーん)

 

そもそも布教ツールとして用いたぐらいなのだから、その効果は、いくら情報化社会になって子供たちがませている、ひねているなんて言っても、効果が絶大なのは当たり前だが、しかしそこにはもちろん大人の補足的な説明とフォローが必要となる。

 

『お天道様が見ている』という概念にも同様に、そこには自分自身の判断力の重要さが暗に秘められている。

 

 

人生の岐路ともなったその地獄絵。

一体、おれはどこで見たんだ?

とても気になったので、地獄絵を見たその場所が、父親の実家が檀家になっているお寺であったのか、はたまた違うところだったのかの謎を究明すべく父親に聞いてみた。

 

その結果、

 

●父親の実家がお世話になっている寺でないことは判明した。 

●お盆の時期に行われる何かのお祭りであることも分かった。

 

ざっつおーる。。。

 

実家の近所の何とかという寺らしい。    

おいおい、そりゃどこでも何とか寺だ。。。

 

父親の子供の頃から、いや、それ以前から催されているであろうそのお祭りも何の祭りなのか知らんらしい。      

やい、そんぐらい知っとけ。。。

 

今年の夏、行ってみようかな。 もちろん子供連れて。

 

 


世に溢れる殺人者や犯罪者たちは、親や周りの環境から疎外されていたり、独りになる環境が多かったり、叱られず甘やかされたり、虐待されたりして育った人間が統計的に多い。

キレやすいヤツらが増えるのも、肥満児が増えるのも、あらゆる欲求に対して我慢が出来ない、することを知らないヤツらが増えてきたからだ。

 

我慢することを知らないヤツらは、酌量の余地を与えたくはないが、ある意味被害者とも言える。

なぜなら、そんなアニモーやモンスターに育てたヤツらこそが、そもそも間接的に犯罪者だからだ。

 

殺人事件であれば、残された遺族の方々は、犯人はもちろんのこと、犯人の親兄弟まで、すべての関わりのある人間に、悲しみや憎悪のベクトルを全力で向けざるをえなくなる。

憎むべきは人ではなく罪なのだなんてトンチンカンなことは言ってはいられない。

 

だからこそ、それだけの責任と覚悟を持って子供を育てなきゃいかんということなのだ。

 

 


暗い話はまだまだ長々と続きます。

梅雨時期だから堪忍しておくれやす。。。

 

殺人自体のそもそも議論をしてしまうと、おかしな方向へ行ってしまいそうだが、法が整備されていない過去の歴史において、個々人の主義や価値観の違いからくる争いや、民族、種族間の紛争などでの殺人や戦争、はたまた怨恨による果し合いや、村八分などでのリンチなど、様々な形で殺人がそれこそ常態化していた。

だからこそ、種の保存のため、宗教や法律が自然発生的に整備され、殺人そのものが罪であるということを常識としなければならない必然性があった。

 

逆に、人間が殺人に走る行動を分析すれば、人類誕生の歴史から言って、人間以外の動物同様、殺傷行為自体が種の淘汰のために備わった本能であるという説もあるぐらいだ。

したがって、殺人衝動は、尾てい骨のしっぽ同様、退化した性質なのかもしれないし、潜在意識下で誰にでもある本能なのかもしれない。

 

 

 

 

 

そろそろ読むのがメンドクサクなってきたそこのあなた、梅雨にはかかせない心のオアシスで一休み  ♪

 

あじさい1

弊社、工場わきに咲いているあじさい

 

まぁ ちれい

 

 

 


はいっ おかえりっ

 

さて、みなさんは、そもそもなぜ人を殺してはいけないのか・・・ということに考えを巡らせたことがあるだろうか?

あれ、ない?   くら〜いとか言わないでね。。。

 

またまた言いたいこととかけ離れていってしまっている気もしないでもないが、私はひとつの結論に達している。

 

それは、究極には

 

自分が殺されないため・・・

 

というお互いの共通の利益のためには欠かせないルールなのだという結論。

これは論理的な必然性において。

 

道徳的には、みなまで言わんでも理解できることだし、知っている人が死ねば単純に人の心は悲しくなる。

また、自然的必然性においては種の保存が守られなくなる危険性をはらんでいることは前述した。

 

制度や法が整備される以前は、人が人を裁いたが、今の世の中は法が裁く。

したがって、リンチや拷問を受けて恐怖感や苦痛と共にあの世に召されるわけではない。  

そんな世の中のほうが逆に抑止力が働くような気もするが、現代社会においてそれは許されない。

だから、遺族の方々にとっては、法律によって単純に罪が裁かれるという感覚ではなく、合法的に復讐が達成されるという感覚になっても、これは仕方のない話だ。

 

そして、

法が整備されている現代においても、死刑制度や大義をふりかざせば、戦争による殺人がりっぱに正当化されている現実がある。

 

国や民族、宗教や価値観や文化や時代などによって、人を殺める行為に対しても様々な考えがあって然るべきだし、すべてを理解せぬままにどうのこうの言うつもりはケガシラ・・チガウ  毛頭ないし、それ以外のことにおいても、もちろん同様のことだと思う。

 

相手を理解しようともせず、自分本位で物こくな・・・ということだ。

 

 

 

だけんどさいが、

 

この長々としたとりとめもない話の結論、ようやく冒頭の地獄の話に帰結するが、

猟奇殺人、快楽殺人、強盗殺人、それからそれから、人の気持ちを理解することが出来ない、殺人をなんのためらいもなく出来る脳に先天的な異常を持つ人間にしろ何にしろ、殺人を犯す理由がどんなことであろうが、

善悪に基準が設けられた社会やルールの中で、やっていいことか悪いことかの判断を出来るか出来ないか、また、それを我慢出来るか出来ないかの違い

だけが、行動の結果に作用するわけなーのだと思うわけなーのだ。

 

 

 

 

 

あじさい2

ほらほら、変わったあじさいでしょ?

 

 

 

 

 

無感情、無感動、無関心、無機質、無責任・・・  現代社会、人の心から欠如してしまっているものがたくさんあることは否めない。

だから人の痛みにどうしても無頓着になる。

 

とんでもなく自己中心的で、我慢の出来ない逃避癖がついた輩が増殖した結果、日本は栄光ある世界一の自殺大国にもなってしまった。

他人の命じゃないからいいなんて短絡的な考えは許されない。

社会に依存して生きている限り、自分の命であっても実はそうではないのだ。

だから自分の命であろうが殺人に変わりない。

自殺も他殺も表裏一体。 内面世界ではすべてがリンクしてる。

 

自分で判断の出来ない人間が増殖した結果、噴出した膿と言えるんじゃなかろうか・・・・

 

 

などとまぁ勝手にえらそうなことを長々と書いてしまったが、でも実際にそう思うんだから仕方ない。

 

・・・ということで、『チガウわいっ!』、『そんなもん、いざとなりゃおまえさんだってさー』 などと言いたくなったり、思ったりしてもフンッと鼻で笑っておいてくださいな。

( -д-)ノ  マーヨロシクタノムワ

 

 


最近、またドエライ事件が起きてしまったが、あんなトンデモナイ事件を犯したくせに犯人は本当かどうか分からんが、反省なんぞしているようだ。。。

 

フザケンナ・・・

 

でも、まさにこの姿こそが現代日本を象徴しているようだね。

何がハンセイだ・・・  バカタレ・・・

 

 

ということで、

『 きぃぃぃーっ   こんちくしょー  ころしてやるぅー  』   『 死けいっ 』

なんて冗談、いくらでも飛び交う世の中、本当にやってしまう人間が増えてしまっている、その状態を正に危惧するべきであって、対処療法的にナイフの規制をしてみたり、派遣社員の待遇改善がどうのこうの言ったところで、問題はきっと何も変わらんわ、あほー ・・・  などとついつい思って西の空へ夕日めがけて叫びたくなってしまうのであーる。

 

 

 


おけいさん
 

マザー



houkinkun at 12:55│Comments(4)TrackBack(0)clip!テキトー放談 

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この記事へのコメント

1. Posted by い○ウさんちの長男君に「ばか」と言われてしまった人   June 13, 2008 22:19
自分も小さい頃、訳も分からず連れていかれて泣きじゃくる私に顔には真っ白なオシロイを塗られ変な服をコーディネートされ怪しげな行列に参加させられた記憶が・・・。ぐずるので忙しく地獄の絵は覚えてないなぁ。
2. Posted by 田原工業   June 14, 2008 16:11
非常に深い話でした。

子供の頃、いろんなことを祖母に教えてもらいました。その中で判断力や生活の知恵みたいなものが身についたような気がします。

しかし、犯罪大国日本はこれからどうなってしまうのでしょうね?
3. Posted by 伊藤   June 14, 2008 20:47
い○ウさんちの長男君に「ばか」と言われてしまった人 さん

・・・
名前が長すぎます。

ん? もしかしてお知り合いの方でしょうか?

それはとても悲しい記憶でございますねぇ。

>ぐずるので忙しく地獄の絵は覚えてないなぁ。

なるほど、それが原因で、現在判断力が欠如してしまって・・・
4. Posted by 伊藤   June 14, 2008 21:02
田原工業さん

コメントありがとうございます。

すべてにおいて人間関係が希薄になっている傾向があるんですよね。

親兄弟がいておじいさん、おばあさんがいる・・・おとなりさんがいて、集落がある。

核家族化や構造の変化に伴い、精神性や考え方に変化が起こった。

でも、自然の摂理といいますか、大きな修正軌道の時期に入っているような、また大きな流れが起きているような気もしています。

≪気づき≫・・・ですかねぇ

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