September 2010

September 30, 2010

あたり前田の・・・  パート2

 

前回、伝えたかったことが伝えきれていなかった気がするので、パート2ということで、今回も引き続きメンドクサイ話を書こうと思う。

 

なので、メンドクサイ話が嫌いな人は、読まなくてOKっす。

 

でも、やっぱ、さみしいし、せっかくなんで読んでつかーさい。

 

いつも訪問してくれてあーざーす!

 

 

 

前回、一番伝えたかったことは、習慣化の重要性についてだ。

 

約束を守ることや掃除をすることや挨拶をすることが大事だからそうしよう〜ってなことだけを言いたかったわけじゃない。

 

大事なことをやらないことに問題があるということを伝えたかった。

 

大事だと思っているくせに行動しない。

 

 

 

組織風土や社風を表す言葉は、まさにその組織の普段の姿を感じ、概念化されたもの。

 

潜在化された思考によって起こされる行動や、習慣化されたものを見たり聞いたりして感じる感覚を言葉にしたもの。

 

元気な社風、明るい社風、暗い社風、暖かい社風、冷たい社風。

 

冷たい雰囲気は明るくしたり、元気にしたいとリーダーは思う。

 

そして、変革のためにリーダーたちは躍起になるが、一向に変化は現れず、悩み、そして諦めてしまう人も少なくない。

 

みんな、根気が足りない。

 

意識変革を起こすことは、大変なことではあるけれど、もっと大変なことは定着させることにある。

 

つまり、変革された意識が≪当たり前≫のレベルに昇華されてこそ初めて変革が起こったことになる。

 

わが社も変わったとよく言われるが、正直なところ当事者たちはあまり変わったとは思っていない。

 

過去を振り返り、あのときはああだったね、こうだったね、と思い出して初めて現在の姿を認識できる。

 

そのぐらい、無意識下の中で生活をしているということだ。

 

当たり前になるレベルということはそういうことなのだと思う。

 

当たり前になって初めて習慣化されたと言える。

 

わが社では、はっきり言ってまだまだできていないことがたくさんある。

 

というよりもできていないことだらけ。

 

挨拶だって掃除だって、時間を守ることにだって、正直、意識が向いていないことのほうが多い。

 

わが社の場合、ガチガチに強制的にこれらの所作を習慣化していない。

 

躾や教育の重要性は理解しつつ、『なぜそれをするのか』という価値観を先に重視し、なるべく自発性を重んじるようにしている。

 

経営者やリーダーにとっては非常に気長で忍耐が必要な戦略だ。

 

だから、挨拶の声が小さい社員もいれば大きく元気な社員もいる。

 

成長のスピードが速い社員もいれば、遅い社員もいる。

 

でも必ず成長している。

 

 

 

行動の変化が思考の変化をもたらす、習慣を変えれば生き方が変わる。

 

これこそが真実。

 

まず動け、早く動け、考えなくてもいい、とりあえず動け。

 

新人教育はこれでいいと思う。

 

新人はそもそもどうやって動いていいかわからないことが多い。

 

守破離の守だ。

 

 

これが様々な知恵がついてくると行動しなくなる。

 

人間は、そもそも行動を起こすための動機付けが必要。

 

だから、様々な思考習慣や価値観を持った人に、自ら動いてもらうためには、とても強い動機付けが必要になるわけだ。

 

そして、さらに習慣化、継続化のためには同様に強い意欲やモチベーションが必要になる。

 

で、繰り返しになるが、この根底に必要になるのが≪なぜそれをするのか≫という明確な目的、つまり動機付けが必要になるので、価値観教育や共有が必要になってくるということになるのだ。

 

目標達成においても何のためにその目標があり、達成すべきなのかという目的やビジョンが明確になっていなければならない。

 

で、何を隠そうわが社の行動の動機である価値観の根っこにあるものこそが≪箱≫なのだ。

 

 

 

 

習慣化できないのは行動できないから。

 

行動できないのは、そうしようと思わないから。

 

≪箱≫を知れば行動できるようになる。

 

自発的に行動できるようになる。

 

そして、行動できれば、いずれ習慣化されていく。

 

 

 

 

どう?  

 

興味持った?

 

≪箱≫



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September 28, 2010

あたり前田の・・・

 

きっと多くの企業の社長さんやリーダーたちが自社の社風や雰囲気をより良いものにしたいと考えていると思う。

 

過去、いろんな会社にお邪魔させていただいてきたが、ものすごくアバウトな感覚値で言えば、玄関入った時点でその会社の全貌がなんとなくわかってしまう気がする。

 

でも、この最初に感じた感覚は大方間違ってはいなかったりする。

 

冷たい感じ、暖かい感じ、寒い感じ、熱い感じ、いろいろあると思うけど、具体的にはどんなことからそれらを感じ取るのだろうか?

 

挨拶、笑顔、元気さ、活気、言葉づかい、接客態度、物事の捉え方、考え方、社員同士の関係性、などなどいろいろと出てくる。

 

ということは、組織風土や社風を改善したいと考えた時に、これらの要素に着目し、改善していけば良いということになる。

 

で、ここであげた要素はすべて人に関わる要素。

 

つまり、人から感じるソフト面での要素。

 

だから、受付のおねいさまがとても美人である、とか、営業パーソンがとてもイケメンだった、というようなことは、内面からの美しさの場合は対象となるが≪造り≫の話になったら対象外となる。

 

それから、オフィスが洗練されている、事務所に入ったらいいニオイがする、とか、置いてある花がきれい、なんていうハード面、つまり、環境整備も重要なことだけど、この際どうでもいいことにしたい。

 

 

 

凡時徹底。

 

当たり前のことを当たり前に徹底してやること。

 

 

 

当たり前のことって何だろうか?

 

 

挨拶は大事。

 

だけど、しない人、出来ない人がやけに多い。

 

感謝は大事、思いやりも大事。

 

なのに、ありがとうが言えない、ごめんなさいも言えない、気がつかない人、気がきかない人、なんと多い事か。

 

掃除が大事、環境整備が大事。

 

でも机の上は汚ない、片づけられない、ゴミが落ちていても気にもしない。

 

というように、大事なわりにできていないことが多い。

 

 

ということは、これらのことが出来ているという状態は、当たり前の状態ではないということだ。

 

残念なことに、挨拶ぐらい、という感覚が、すでに今の社会では常識ではない、つまり、当たり前なことではなくなってしまっている。

 

逆を言えば、やらない、やれない状態のほうが常態化、つまり、≪当たり前≫になっていないだろうか?

 

躾や教育がビシッとしていた時代は、強い強制力が働いたため、習慣となって重要さもみんなが理解していた。

 

≪当たり前≫になっていたということだ。

 

でも、今は違う。

 

人間一人で生きていけない、つながりが重要、コミュニケーションが重要、と頭ではわかっていても、やらなくて済んでしまうから結局やらない。

 

ということは、本当の意味ではわかっていない。

 

だから、会社でももちろん同じ、そしてそれが社風になっていく。

 

ご機嫌ではなく、不機嫌な職場になっていく。

 

 

地元、半田市出身の教育哲学者、森信三さんの言葉で、

 

時を守り  場を浄め  礼を正す

 

という有名な言葉がある。

 

しつけの三大原理、教育再建の三大原理なんて言われる。

 

簡単に言えば約束を守って、掃除して、挨拶しろってことだ。

 

 

当たり前だっ! と言えて実践できている人はなんら問題ない。

 

できていない人が社内にたくさんいるから企業風土は一向に良くならない。

 

 

では、根付かせるためにどうするか?

 

まずは、その会社の≪当たり前≫を決めること。

 

つまり、大事にすることや価値観を浸透させ、共有すること。

 

そのために具体的な行動を定め励行すること。

 

そして習慣化し、実行し、継続させること。

 

 

思いやりが大事、感謝が大事、だから、箱の外に出ることは大事。

 

わかってる。

 

でも出ない、出られない、出たくない。

 

箱の中がその人にとっての当たり前になっている。

 

 

もしも箱の外にいることが当たり前になったら?

 

意識を変えるには反復が必要。

 

つまり、習慣化するしかない。

 

箱の外を当たり前にする。

 

自分のできる小さなことからでいい。

 

少しの勇気と根気で習慣化し、それを当たり前にしていきたいもんだ。



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September 23, 2010

ゴキゲンくん

 

私はおにぎりが好きだ

 

 

 

先日、

 

コンビニでこんぶのおにぎりを買った

 

 

 

 

そこのコンビニの店員さん

 

 

やけにフキゲンくんだった

 

 

 

チミは一体どんな不満を抱えているのかね?

 

 

 

相談に乗ってあげたかったほどだ

 

 

 

 

 

フキゲンくんよりゴキゲンくん

 

 

 

ゴキゲンくんは周囲をゴキゲンにしてくれる

 

 

 

箱の外の世界を作ってくれる

 

 

 

 

 

 

おにぎりを食べた

 

 

 

こんぶさんがなかなか出てこない

 

 

 

 

 

あれ?

 

 

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

 

 

 

んん?!

 

 

 

 

 

 

 

 

んんん?!!!!

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

こんぶちゃんが

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

いない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぬおおおお〜

 

うおおおおおおおおー

 

 

 

 

 

えいどりあ〜ん

 

 

 

 

 

 

 

 

あーそーさ

 

 

 

 

箱に入ったさ

 

 

 

 

フキゲンくんだったさ

 

 

 

 

 

 

 

どーせちっちゃい人間ですよ

 

 

 

ふん



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September 21, 2010

箱会

 

箱会

 

 

先日、名古屋の箱ファシリテーター、西やんのところで【箱会】が開催された。

 

参加者12名。

 

今回はアービンジャー代表の陶山さんも参加してくれた。

 

箱会と言っても大したことはしない。

 

お互いの日常をくっちゃべるだけ。

 

でも楽しい。

 

単純に参加していて楽しい。

 

箱の外の世界がそこにはある。

 

東京と大阪でも毎月開催している。

 

九州は不定期かな。

 

で、名古屋は3、4カ月に1回。

 

ま、不定期だね。

 

どうやら名古屋のこのスタンスは今後も保たれそうだ。

 

ということで、たまには東京や大阪に襲撃に、いや、遊びに行こうと思う。

 

九州はちと遠い。。。

 

 

わが社でも毎月第1土曜日に箱会をやっている。

 

基本的には社員が中心となっているけれど、誰でも参加自由!

 

ご興味ある方はいつでも遊びに来てください。

 

 

参加料:無料(アービンジャーの箱会はお茶代がいります)

 

時間:AM9:00〜PM12:00  

 

場所:弊社

 

 

お題目は、

 

〇最近あったいいこと

 

〇箱について

 

〇その他しゃべりたいこと何でも

 

これを宇宙の法則に従って、右回りにひとりずつしゃべっていくんだけど、たいしたルールもなく、お互いに言いたいことをしゃべりあったりして、ユルイと言うか、自由で笑いの絶えない楽しい場になる。

 

他人の話を聴いて、自分のことに置き換えて参考にしたりして、大いに学びや気付きがある。

 

だから、エピソードを交えて、実生活における箱について、理解を深めることのできる場になる。

 

箱の概念は非常に再現性の高いロジックで、日々の生活に落としやすいけど、やっぱりセミナー1回受けるだけ、本を読むだけではどうしても継続性の面で不安が残ることは否めない。

 

私は、一応、ファシリテーターでもあるぐらいだから、常に物事をはかる物差しを手に入れた感覚がずっと持続しているし、習慣になってしまったけど、人それぞれに身を置く環境によって大きく異なってしまうのが実情ではある。

 

だから、俗に言うアフターフォローが必要なのだ。

 

という点で、この箱会はいい。

 

とてもいい。

 

箱を知らない人から見れば、ただの井戸端会議のように見えるかもしれないが、知識によって頭が喜ぶ会というよりも、どちらかと言えば心に響き、精神的に安らぎを与えられて、感じることができる会であると言ってもいいと思う。

 

たぶん。

 

ま、とは言え、たいしたことはやらないんだけどね。。。

 

ということで、アービンジャーの箱会に参加したい方は本部のHPから、弊社の箱会に参加したい方、及び弊社の朝礼に参加したい方もお気軽にお問い合わせくださいね。



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September 20, 2010

己を知る

 

無知であることは罪か?

 

知らないことは悪い事なのだろうか?

 

 

子供は知らないことだらけ。

 

だから毎日多くのことを知ることができて楽しそう。

 

そして、知らないからこそ大胆だ。

 

余計なしがらみや、体裁なく自由に行動する。

 

 

 

【無知の知】

 

ソクラテスさんはこう言った。

 

知らない事を知っていると言ってしまうよりも、知らない事は知らないと言える人のほうがおりこうさんなのだと。

 

もちろん、状況によっては、知りませんでした、では済まない事があるように、無知が罪とされる場合もあるだろう。

 

 

論語にも同じような意味の言葉がある。

 

【知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり】

 

要は、素直な人のほうがおりこうさんだということだ。

 

知識や情報は、知らないよりも、そりゃ知っていた方がいいよね。

 

でも、私は何でも知っているのだ、というような態度の人があなたの周りにいたらどうですか?

 

好き? 友達になりたい?

 

こういう人は自分は博識だと思っているわけだから、知らない知識があったとしても、きっと素直に知らないとは言えないだろうね。

 

プライドとか面子というやっかいなヤツだ。

 

知らないことを知らないと言える潔さはとても大事なことだ。

 

潔い人は謙虚でもある。

 

驕ってみても、威張ってみても、所詮、裸の王様。

 

謙虚な人は、それを知っている。 

 

自分が多くのことを知らないということを知っている。

 

 

自分の思考や行動を客観視して認識する能力をメタ認知能力と言うんだけど、どうやら欧米の教育と日本の教育の差はこのあたりにあるらしい。

 

メタ認知能力には、失敗などの負の経験をその後に活かす「自己フィードバック能力」、自分自身を客観的に見て評価する「自己評価能力」、自らの失敗を認めて訂正する「自己訂正能力」などがあるらしい。

 

それから、このメタ認知ができない人は、抽象的思考力や、創造的思考力が欠如していたりする。

 

簡単に言えば応用力がない。

 

お勉強ができるだけでは幸せにはなれない、成功できないという所以がここにある。

 

お勉強ができても、生きていく力に欠けている人はたくさんいる。

 

方や、勉強なんてできなくても、有名進学校なんて行っていなくても、スゲェ〜ヤツはいっぱいいる。

 

そういう人たちは、例外なく頭がやわらかい。

 

人の話を聴くし、素直な人も多い。

 

行動力があるし、知恵を持っている。

 

メタ認知能力に欠け、物事を一面性だけで捉えてしまうような人は、主観的で、自意識が過剰になり、また感情的にもなりやすい。

 

主観的、感情的になると、当然のことなんだけど、客観性を忘れてしまう。

 

先日、我が家の長男が39度〜40度の原因不明の高熱と下痢に見舞われ、そんな状態が5日ほど続き、大変だった。

 

病院で血液検査をすると、白血球の数値に異常が見られたという。

 

細い腕に注射針が刺さり、点滴をしてもらいながらぐったりする長男の写真が病院にいる嫁さんから写メで送られてきた。

 

それを見て、なんとも言えない悲しい気分になった。

 

白血球の数値の異常で、嫁さんが白血病の可能性を心配し始めた。

 

それを聞いた瞬間、私の中で良からぬ妄想が頭の中を駆け巡リ始めた。

 

最悪の状況になってしまったところまで妄想はエスカレートする。

 

ありえん。

 

そんなことはありえん。。。

 

かなりブルーな気分になりながら、弱った長男を見ると、急に愛おしく感じてしまう。

 

人間という動物は実に勝手なもので、何かを失わないと分らないことや気付かないことがたくさんある。

 

ご多聞にもれず、もはや長男は私の中で感謝の塊に変身していた。

 

生きているだけでありがとうだ。

 

生まれてくれたときはそうだったのに、今は叱ってばかりいる・・・

 

 

で、そんなときに、私の所属する某団体の会議に参加したときのこと。

 

ウチの長男坊がさ〜、白血球の数値が異常で、通常時の2倍もあるらしいからさ〜   白血病が心配だよ・・・

 

なんて具合に、私が、長男の状態を話題に出して、不安な心の内をしゃべった。

 

そしたら、ピシャリとこう言われた。

 

白血病って、白血球の数が減るんでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

(・_・)ん?

 

 

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 

 

(゚▽゚) !

 

 

 

 

 

そうなのだ!

 

 

 

 

 

そりゃそうだ。

 

 

知っていたつもりなんだけど、なぜか盲目のスイッチが入ってしまっていたようだ。

 

客観性を忘れて、感情的になると見えなくなることが多い。

 

 

 

 

 

【知の無知】

 

 

  か?



September 17, 2010

真のサポーターとは?

 

また田代まさしさんが捕まった。

 

通算5回目の逮捕で、薬物では3回目らしい。

 

支援者やファンからは非難轟々だ。

 

そりゃ、そうだわな。

 

おまえ、いったい何しとんのよ・・・  裏切られた・・・  ガックリだわ・・・

 

てな気持ちだろうね。

 

 

応援、支援には、いろんなお役立ちの仕方があるけれど、ブログのコメント欄に投稿して炎上させてしまうような人たちの多くは、田代さんに直接的には関わっていない人がほとんどじゃないかと思う。

 

だから、サポートというサポートは、きっとそれほどしていない。

 

もちろん、イベントに参加したり、出版物を購入していたりすれば、少額ではあれ、金銭的なサポートをしていることになる。

 

サポーターと言えば、サッカーが有名だけど、最近では民主党の代表選でもサポーターの存在が話題になったりした。

 

タレントや歌手や芸人など、いわゆる芸能人たちを支える原動力は、ファンの力によるところが大きい。

 

サポーターやファンの人たちは、自分の支持するチームやアイドル、ヒーロー、ヒロイン自身に対して、また、チームや彼、彼女たちのビジョンや夢や目標に便乗する。

 

つまり、期待するわけだ。

 

田代まさしさんの場合も同じだ。

 

彼を信じ、期待した結果、裏切られた。

 

だから、腹が立つ。

 

期待をすると裏切られたときの反動や衝撃が激しい。

 

ま、田代さんに関しては、期待通り!って声もチラホラあるみたいだけどね。

 

 

私は最近まで、『期待してるよ』なんていう声掛けを平気で誰かに対してしていた。

 

でも、みなさんよくお分かりかと思うけど、そういう場合、大方、裏切られたりするもんだ。

 

いや、性格に言えば、そのように思うもんだ。

 

ほとんどの場合において、自分の思い通りになんてならない。

 

世の中そんなに甘いもんじゃない。

 

だから、過度に期待しないようにするために、期待するという言葉をやめた。

 

そう言うと、期待してるよ!と上司に言われた方が、部下のモチベーションが上がるだろう、というような反論があるかもしれない。

 

それはそうだと思う。

 

しかし、嫌いな上司から言われたらどうだろうか?

 

頑張っちゃう?

 

また、こいつどうせ自分のことしか考えてないくせにっ とか思ってしまうんじゃない?

 

となると、モチベーションなんて下がる一方だね。

 

結局は、期待しているなどと、上司がわざわざ言わないにしても、尊敬している上司のためなら部下は大体頑張っちゃうものなのだ。

 

ということは、部下の頑張りは、上司の在り方によるところが大きく、では、その在り方はどのように形成されていくのかといえば、普段からいかに部下に尽くしているのかによるわけだ。

 

これは、部下に対して、いかにサポートし、成長を促すことができたかということであって、迎合し、仲良し集団を形成することとはもちろん違う。

 

 

 

支援するとは、本来、見返りを求めるものではない。

 

だから、自分の期待値より下回った成果しか部下が出せなかったとしても、怒れるほどの期待をかけるべきではない。

 

人間だから、そりゃ多少の期待はするだろう。

 

だから、残念に思うことは仕方ない。

 

だけど、残念に思うことはあっても怒れてしまうのはいかんと思う。

 

怒れるなら自分に怒るしかない。

 

何で自分は彼の成長にもっと関われなかったのだろうか、では、今度はどんなサポートができるのだろうかと。

 

 

 

田代さんのことは以前にもブログで書いたことがある。

 

個人的には奮起してほしいと思ったけど、別に期待はしていない。

 

ただ、人間は弱いもんだな、と思う。

 

俺だっていろんなところで、わかっちゃったようなことを書いたり、言ったりしているけど、自分のことになると、正直わけわかめ・・・ いや、わけが分らんくなることが頻繁にある。

 

だから、相手のことを少しでもわかってあげられる感度を上げて、共感力を高めていきたいとも思うわけなのだ。

 

 

 

ということで、私は捕まらないようにしたいと思います。。。    

 

 (゚□゚;) エッ  ソノオチカヨ ?!

 



September 15, 2010

人間だもの

 

ハムスターが入ったプラスチックケースを線路に投げ込んだとして、川越署は10日、川越市的場、無職宮崎景太容疑者(20)を電汽車往来危険容疑で逮捕した。

 発表によると、宮崎容疑者は10日午前7時5分頃、JR川越線沿いにあるアパート2階の自室の窓から、プラスチックケース2個を線路に投げ込んだ疑い。直後に普通電車(4両編成)が接近、運転士が急ブレーキをかけたが、1個に衝突した。約200人の乗客にけがはなかった。電車は約1分後に運転を再開した。

 ケースは縦35センチ、横55センチ、高さ30センチの半透明のふた付き。砂が敷かれ、ハムスターが1匹ずつ入っていた。1匹は保護されたが、衝突したケースにいた1匹は行方不明。宮崎容疑者は「前日に離婚した。ハムスターは別れた妻が飼っていた。むしゃくしゃしてやった」などと供述しているという。

2010年9月11日  読売新聞)

 

 

≪ 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い ≫

 

 

元ヨメ憎けりゃハムさんまで憎い。

 

ハムさん受難。。。

 

 

 

誰かを嫌いになると、その人を連想させる人や物や場所、すべてを同様に嫌ってしまう。

 

わかるわかる〜 と共感してしまった人は、ひょっとして過去にハムさん事件のようなインパクトではないにしろ、同様の過ちを犯してしまっている可能性がある。

 

避ける。  逃げる。

 

行動こそ違えど、根っこにあるものは同じもの。

 

トラウマや捉われ、執着、なんて言われるものだ。

 

ハムさんを線路にスローイングしてしまった人は、たまたま感情が理性を追い越してしまう人だっただけ。

 

表面上に現れる行動や感情は、クールかホットか、はたまた『箱』でいうところのハードかソフトか、という違いであって、根っこにあるものは変わらない。

 

人を嫌いになっていくメカニズムは、そのプロセスに注目すればよく理解ができる。

 

きっかけは大したことではないのかもしれない。

 

あることが原因で、その人に対する印象が大小に関わらず変わってしまうことによってすべてが変わっていってしまう。

 

相手を肯定的、好意的に見るか、否定的、敵対的に見るかの境界線を簡単に越えてしまう。

 

この感情次第で相手のすることが180度変わって見えてしまうようになる。

 

つまり、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということになる。

 

ま、そりゃそうだよね、と、当たり前のことしか言っていないわけなんだけど、侮るなかれ、これを意識している人は少ない。

 

簡単に言えば、たとえ、相手に99の素晴らしいところがあっても、1のダメなところが見え隠れしてしまうだけで、100のダメダメな人間になってしまう、いや正確に言えば、そのように見えてしまうんだからね。

 

こんな笑っちゃいられない悲劇が、皆さんの周囲でも頻繁に起こっている状況が現実にはある。

 

自分以外の他者をどう見るか、行動をどう考えるか、捉えるか、によって悲劇は改善されていく。

 

人を叱らず、仕事っぷりを叱る。

 

人を責めず、仕組みや原因にフォーカスをあてる。

 

ビジネスの世界でもしばしば言われることだが、みなさんの職場でどれだけできているだろうか?

 

感情的になって反射的に怒鳴る経営者や上司。

 

出したものは返ってくるという原則に則れば、その経営者や上司は、社員や部下から感情的に嫌われるだけとなる。

 

人間にはこの感情というものがあるからややこしくなる。

 

しかし、この感情があるからこそ奥深く、楽しい人生を送ることができる。

 

『箱』の概念でいうところの『人を人として見る』という感覚は、相手を自分と同じ感情を持ち、自分と同じように幸せになる権利を持った人格として認め、尊重するということだ。

 

スピリチュアルな感覚で言えば、自分も相手もそもそも同一でつながった存在であり、光であり、愛なのだ的な表現になる。

 

 

≪ 痘痕も靨(あばたもえくぼ) ≫

 

惚れた相手のおできの痕だって見ようによっちゃエクボに見えてしまうわけだ。

 

 

しばしば相手を好きになれ、なんて言うけれど、もしも相手が嫌いな奴なら単純に感情の問題で好きになんてなれない。

 

それほど感情は人の行動を支配してしまう。

 

好きになんてならなくてもいい。

 

その代わり、嫌いにならない。

 

そのために相手の背景や環境を考えてあげる。

 

人にフォーカスをあてるのではなく、原因にフォーカスする。

 

 

 

嫌いになって他人を避けることで、その人との周囲との関係性が途切れたり、行きたい場所にも行けなくなるなんてことは、直接的ではないにしろ、結局は他人に自分の人生をコントロールされることになってしまう。

 

自分の意志で決めているつもりが、結局は孤独を招く。

 

気付いたら一人ぼっち。

 

そして、頑固な箱を形成し、そこからほとんど出てこられなくなる。

 

箱の中に引きこもり。  箱ニート。

 

そしていつしかそれが当たり前の状態になって何も感じなくなる。

 

私もかつては箱ニートだった。

 

鉄の箱にこもって、中から溶接してたぐらいのイキオイだ。

 

でも、自分はうまくやっているつもりだった。

 

自分自身で『孤独』を好きで選択していると思っていた。

 

自分がコントロールしていると思っていたけど、実はコントロールされていたわけだ。

 

今だって、すべてが改善されたわけじゃない。

 

しか〜し、それも、まーいっか、と赦せる自分がいる。

 

面倒くさいヤツもいる。

 

そんなときは避けないが、力の限り≪コッチヘヨッテクルナオーラ≫を出しまくる。

 

そんな自分がいることもわかっている。

 

でも、いずれそんなもの、出そうと思っても出ないぐらいの人になれたらいいな〜と思い、今後精進していきたい。

 

 

 

幸せを感じる能力は習慣にすることで鍛えられる。

 

幸せを見つける、気付きの能力を高めれば、すぐにでも幸せを感じることはできる。

 

それには感謝することに対する気付きの能力を高めることが必須の条件だ。

 

当たり前のことに幸せを感じられるようになることは、いかに感謝のアンテナの感度を高めなくてはならないかに連動するからだ。

 

生きていられる、ご飯が食べられる、家族が健康、水が飲める、空気が吸える、感謝なくして幸せを感じることはできない。

 

 

ふられた時の感情で相手を憎むことも理解はできる。

 

でも、出したものは必ず何らかのかたちで返ってきてしまう。

 

相手は変わらない。

 

他人の心は自分の都合で変わらない。

 

ちなみに、ハムさんなんて最初っから何も変わっていない。

 

相手の気持ちを尊重する。

 

泣きながら、だけど、笑ってふられたことを誰かに話す。

 

受け入れる。

 

 

 

やっぱ難しいかね。

 

でも、だからこそ、人間はきっと楽しいんだよね。



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September 13, 2010

アツイ


 

あいかわらず暑いねぇ〜

 

そろそろ涼しくなってくれないとねぇ〜

 

 

 

社員ブログの〇茂さんと

 

同じアプローチだねぇ〜

 

 

 

 

で、そんなとっても暑い中

 

 

 

 

黄なのに白井

 

 

わが社営業部の白井さんが

 

伊良湖でトライアスロンやってきました

 

 

白井さんなのに黄色いさんですねぇ

 

 

 

 

 

 

やっぱ、〇茂さんとかぶるねぇ〜

 

 

 

 

 

でも、ほんと暑かったからねぇ

 

 

 

 

白井さん、めずらしく、

 

 

いや、

 

 

いつもにも増して輝いていましたょ

 

 

 

 

 

 

 

行き道で救急車2台とすれ違い、

 

 

 

まさか白井が・・・

 

 

 

なんて心配も、初参加にも関わらず

 

吹き飛ばすレースっぷりでした!

 

 

 

目標やゴールに向かうプロセスに

 

充実感を感じ、

 

 

 

ゴールに到達し、大きな

 

達成感を味わう

 

 

 

 

だから、どんな夢や目標でも

 

大きい方が良いのだろうね

 

 

 

 

充実感、達成感も比例して大きくなる

 

 

 

 

そして、人が輝く

 

 

 

 

距離の短い目標や、

 

 

楽な目標では、

 

 

感じられない、味わえないもの

 

 

 

 

 

気温も暑いが、ハートも熱い

 

 

やっぱり自然とそんな輝く人たちに

 

 

応援したくなるものですね

 

 

 

 

 

 

あっ!?

 

 

 

 

 

 

 

殺人的暑さ

 

 

 

殺人事件かっ!? 

 

 

 

 

 

 

殺人的な暑さで三男坊が

 

床で寝てました・・・



September 11, 2010

いやわ

 

我が家の次男坊は、もう3歳なんだけど、まだ片言だ。

 

こちらの言っていることはほぼ分かっていると思うんだけど、本人が何言ってんだかよく分からない。

 

聞き取り辛い。

 

でも、そんな不完全感がかわいらしい。

 

外人タレントの不完全な日本語で、笑えたり、癒されるのもその類だと思われる。

 

最近、次男は、急激に成長しつつあるけど、それでもまだ何を言いたいのかわからないことが多い。

 

一所懸命こちらに何か訴えてかけているんだけれども、聴き取りにくくて、適当にふ〜ん、ほんと〜、そ〜なんだ〜、なんて対応をしてしまう。

 

でも、かわいいからゆるす。

 

 

彼は “だ” が言えない。

 

『ちょーだい』 や 『いやだ』 は彼の得意技で、一日に何回も言いまくっているけれど、 “だ” が言えず、そこだけ『わ』になってしまう。

 

だから、『ちょーわい』 や 『いやわ』 になってしまう。

 

 

でも、かわいい ♥

 

 

で、3歳の男の子が言うと、とってもかわいらしいんだけど、例えば、これをタムチさんが言ったらどうだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぜんぜんかわいくない。。。

 

 

 

 

 う〜ん

 

 

 

 

むしろ、イラつく。

 

 

なんでイラつくんだろう?

 

それは、彼がきちんと言えることが分かっているからだ。

 

 

じゃ、きちんと彼に言われたらどうだろう?

 

 

 

 

 

私の指示に

 

 

『いやだ』  

 

 

と反発する

 

 

 

 

 

 

少ないから

 

 

もっと給料

 

 

『ちょーだい』

 

 

とねだられる

 

 

 

・・・

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

ぶっとばしたくなるな。。。

 

 

 

 

ま、この場合、たまたま言葉の持つ意味に反応したわけだけど、“〜〜だ” というように文章の末尾にこの “だ” がつくととても断定的な表現になったりする。

 

『あなたは〇〇だ』と言われた時、〇〇にあたるところが、“天才” だったら、まーそーだよね、正しい判断だよね、と言ってあげることができるけど、“バカ” だったりしたら、ライダーキックならぬイトチャンキックをお見舞いしてやりたくなる。

 

 

 

人生は決断の連続。

 

あらゆることに私たちは選択と決断を繰り返している。

 

決める、決断するということは、生きていく上でとても重要なことになるけれど、それは在る程度、自由度の高いものでなくてはならないと思う。

 

つまり、決断したことも間違うことがあるし、同じものでも人によって見え方が違うということもあるわけで、たったひとつの判断基準で物事を図ることは危険だということだ。

 

それなのに、決め付けてしまう人のなんと多い事か。

 

自分も含めてね。

 

 

決め付けられる側としては迷惑千万。

 

また、他人に決められるのもどうかと思うけど、自分の限界を自分で決めてしまうことや、自分はこういう人なのだと決めつけることは、とってももったいないこと。

 

それから『べき』論で物事を語ることは、これも自由度が低くなる。

 

あるべき、するべき、という概念は人を縛る。

 

こういう感覚はもろ刃の剣で、自分に枷をかけると同時に他人にも同じように枷をかけたくなってしまう。

 

自分が強くこうあるべき、こうあらねば、と考えていると、同じ力で他人にそれを強要したくなる。

 

振り子の原則だ。

 

 

こんなことを言われたことないだろうか?

 

『あなたってこういう人だよね』

 

『あなたはこうすべきだよ』

 

 

私はこんなことを言われるとイラっとくる。

 

つまり箱に入る。

 

ほっとけって話だ。

 

おまえが勝手に決めるなって思う。

 

私自身究極の変人であるならば別として、自分がこう思うということは、私以外の人も、個人差はあれど、同様に感じることなんだと思う。

 

え? 変人?    ま、うすうす気づいてはいたけれど・・・   って ほっとけ!

 

 

なのに、往々にして人は、他人を決め付け、コントロールしたくなる。 

 

でも、振り子の原則でいえば、結局は自分がコントロールされていることになってしまう。 

 

自分の思い通りにならない他人を嫌えば、その人のことを避けるようになったり、陰で愚痴を言うようになったりする。

 

避ければ、自分の意志での行動範囲は狭くなるし、愚痴を言えば、まわりまわって自分のところへかえってくる。

 

自分は他人にコントロールされていることになってしまうわけだ。

 

組織内では往々にしてそれが頻繁に繰り返されている実情があり、個人のやる気が阻害され、能力が発揮できずにいる社員もきっと多い。

 

私も経営者として社員のみんなに対し、心がけてはいるけれど、できていないことも多い。

 

自分を解放する、楽にする方法を考える。

 

甘えや怠けではなく。

 

そうすれば、きっと社員みんなが解放されて自由度が高まり、一人ひとりが自分の意志によって輝き始めるのではないかと思う。

 

 

私は他人にコントロールされたくない。

 

だから、私はコントロールしようとする人間にこう言ってやろうと思う。

 

 

 

『いやわ』

 

 と。

 

    



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September 08, 2010

変わる理由

 

採用に関して。

 

我が社は新卒採用を重視しているため、毎年、新卒さんを獲得すべく採用活動をしている。

 

で、自社の就職説明会を開催したときには、私は約一時間弱、自分の考えていることや価値観をしゃべりたい放題しゃべらせてもらっている。

 

その後、学生さんたちと膝を突き合わせて座談会を行うわけなんだけど、そのときに決まって受ける質問がある。

 

 

『 なぜ、社長はそのような考え方や価値観になったのですか? 』

 

 

確かに、振り返ってみれば、いろんな意味で変化してきた。

 

体重は増えたし、老けたし、女性にもてなくなったし、身長も20センチぐらいちぢんだし・・・

 

 

 

 

・・・

 

 

 

・・・  

 

 

 

・・・

 

 

 

みんな変化することに理由を欲しがる。

 

自分を変えることに理由が必要になるのだ。

 

今の自分を否定し、違う自分を求める。

 

 

でも、否定することなんかない。

 

人はやっちまったことに、どうしてもクヨクヨしがちなんだけど、笑って済ますとか、受け入れてしまうことが必要だ。

 

事実と事実を捉える自分の主観が別のものだと知ることから始めると楽になる。

 

起こった出来事に本当の意味であなたを幸せにする力はない。

 

その出来事にどのように反応するかという捉え方の問題だ。

 

同じ出来事でも人によっては幸せと感じ、人によっては不幸せに感じる。

 

どのように反応するかという心の持ち方次第なのだ。

 

 

捨てる、放す、諦める。

 

まずはそこから。

 

自分の過去を赦し、受け入れた上で、今までと違う将来像やビジョンを描く。

 

私はそれが見え、でき始めた頃から変わったと言われれば変わった。

 

正直なところ、なんでこうなったのか、よくわからない。

 

そりゃ、考えてみれば、会社や家庭での立場や役割というところで学んだことが大きいからだと思うけど、しかしながら、もしも生きてきた環境が変わったとしても根っこのところはきっと変わらないんじゃないかと思う。

 

表現する術を得たり、自分の考えがダイヤの原石から研がれていく環境条件がたまたまあっただけの話で、保育園時代から根っこのところは変わっていない気がする。

 

タムチさんとは高校からの仲だし、その頃を知っている人からすれば、丸くなったとか、優しくなったとか、殴らなくなったとか(笑

 

でも、私自身は根っこのところで変わったつもりがない。

 

それほど変わった自覚がない。

 

ん? 成長していないということか?

 

他人に対する態度や関係性を良好にするためにどうすればいいのか、自分の心を楽にする手段や技術を得たいと思い、勝手に変化した、いや、他人から見ると変化したように見えるだけの話だ。

 

 

 

人間、みんな素直さや良心を持っている。

 

そして、他人に何をしてあげれば良いのかを知っている。

 

それを表に出すか出さないかだけの違いだ。

 

どちらを選択するのかという判断はそれぞれの心の選択に委ねられている。

 

 

 

矛盾するようだけど、私は他人にわかりやすく伝えるために、【人は変われる  私もそうだったように】なんて言っちゃったりする。

 

でも本当は【人は生き方を選択できる  あなたの心の自由において】と伝えたい。

 

変わらなきゃ、と思えば覚悟やきっかけがいる。

 

変わりたいと思えば勝手に変わる。

 

大事なことは、どのように変わるのか、ということであって、そして、私はその変化を【成長】と呼びたい。

 

 

人間である以上、どんな人でも必ず成長する。

 

変化が成長であるならば、人は必ず成長する。

 

生きている限り、変わりたくなくても変わってしまうからだ。

 

成長欲求がない、なぜ変わらなくてはいけないのか、と言う人だって、伸び幅が少ないだけで、人は生きているだけで必ず成長する。

 

夢や目標を持つこと、在り方や成りたい自分を考えること。

 

未来や将来を考える。

 

時間軸において、少しでも先を見るか見ないか、そして描くビジョンや想いの強さで伸び幅が違うだけなのだ。

 

 

変わるものと変わらないもの。

 

この世に生を受けて以来、おそらく変わっていないものと大きく変わっているものがある。

 

人としての先天的な本質と、後天的に学び、蓄えてきたこと。

 

 

みんな気付いていないだけで、成長欲求は必ず持っている。

 

その証拠にその欲求がなくなった時点で人は自ら命を絶つ。

 

自殺する。

 

未来が無くなることで生きている意味を失う。

 

人は未来のために、成長するために生きているのだ。

 

 

どんな欲求を満たしても人は成長する。

 

では、どんな欲求を持てばいいのか。

 

それを選択する自由も自分に委ねられている。

 

すべてではないけどね。

 

 

だから、成長したい、変化したいなんて思わなくていい。

 

何をしたいのか、どうしたいのか、どうなりたいのか。

 

その思いの強さで、自分と世界が勝手に変わっていくのだから。



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