March 2010

March 31, 2010

 

現在、再び弊社HP内をごそごそとさりげなくいじくり中です。

 

一度にガラッと変更するという感じではなく、あーでもない、こーでもないと、ゆるい感じでスローリーに進行中でございます。

 

お暇なときにでもチラチラと覗いてやってください。

 

HP内で大きく変化したポイントとして、いくつか挙げられますが、まずは、こちらをごらんください。    

 

    →     セミナー・コンサル事業

 

このブログにもバナーひっつけてあります。

 

 

で、この事業に関わるのは、基本的に私です。

 

 

 

 

 

はこ

 

この本は、≪箱-Getting Out Of THe Box≫として2001年に発刊されて以来、一度は絶版になるものの、≪自分の小さな『箱』から脱出する方法≫とタイトルを変えて再び生まれ変わり、今なお売れ続けているロングセラー本です。

 

毎年、多くの本が出版される中、常にAMAZONのビジネス本ランキング100位以内にあるという、おばけ本でもあります。

 

私は、わが社の理念にある基本的価値観をいかに組織内に機能させるかということに悩み、そしてそんな時、この『箱』という概念に出会いました。

 

自社にこの概念を浸透すべく、様々な試みをしていく中で、会社の変化を目の当たりにし、そして、組織が目的に向かうプロセス全体を経営者としてサポートすることによって、多くの気付きを得ることができました。

 

この本に書かれている『箱』の概念を広く世の中に知らしめるべく、啓蒙活動と共に、多くの悩める方々のお役立ちに貢献できたらいいなという思いから、これまたごそごそと活動を始めました。

 

経営者として、リーダーとして、同じ想いや悩みを抱いている人を、私には理解することができます。

 

共感することができます。

 

お手伝いできることがあります。

 

この本を発刊した人間学を研究する世界的機関、アービンジャーインスティチュートは、アメリカに本部を置き、全世界約20カ国で活動をしています。

 

この本の原題は『LEADERSHIP AND SELF-DECEPTION』と言い、サブタイトルがGetting Out Of The Box です。

 

これを訳せば、リーダーシップと自己欺瞞 〜箱から出る〜 ということになります。

 

ストーリー仕立てで読みやすくはなっていますが、ビジネス書ということで本質的にはリーダーの在り方が説かれています。

 

しかし、決してそれだけではなく、広義での人間関係における問題の原因や解決法に応用がききます。

 

 

組織において大事なこと。

 

リーダーシップとはなんぞや?

 

 

私の過去はひどいもんです。

 

今でこそ、チームワークだの、目的が大事だのと、えらそうなこと言ってますが、私の過去を知っている人は、どの口が言っちゃってるわけ?とツッコミを入れたくなることは間違いないでしょう。

 

学生時代も群れることが大嫌い、半径2m以内に近寄るな的オーラを出しまくり、どいつもこいつもバカばっかりだと悪態をつく始末。

 

他人にできて自分にできないことなんてあるわけがない。

 

オレだってその気になれば・・・

 

そんなことばかり考えていた自分でした。

 

今考えれば、どうしようもないひどい状態です。

 

リーダーシップのかけらもない・・・

 

しかし、そんな私がチームや組織を抱えていくことになるわけです。

 

チームも組織もくそくらえと一匹狼、個人プレーの王道を歩んできた私にとって、現実はそうそうやさしいもんじゃありませんでした。

 

今だからこそ言えることがたくさんあります。

 

今になってようやく気付いたことがたくさんあります。

 

 

 

これからは折に触れて、この『箱』について書いていきます。

 

そして、このブログを読んでくださっている方々といろんなことを共有できたらいいなと思っています。

 

ですから、素朴な疑問や意見なども気兼ねなくしていただければ結構ですし、HP内に問い合わせフォームも設けてありますので、どんなことでもいつでもお気軽にお問い合わせくださいね。



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March 29, 2010

ヲタクスイッチ

 

パソコンでインターネットをするようになって、この世界には独特の文化があることを知りました。

 

また、そのコミュニティーにいる人たちだけが使う特別な言葉があることも知りました。

 

いわゆる、ネットスラングというやつです。

 

その中には、同人用語だの、オタク用語だの、萌え用語だの、腐女子用語だの、ヤオイ用語だのと括りがいろいろとあるようですが、正直よく分りません。

 

場所やコミュニティーごとで分けて考えた場合、有名なのは2ちゃんねる用語などでしょうか。

 

しかし、やっぱり、よく分りませんので、私辺りの感覚では、言葉も存在も、それらを一緒くたに捉えて、まとめて『オタクさん』と呼んでしまいます。

 

『ヲタク』とも書くらしいです。

 

 

 

 


はっぴ

 

 

 

最近まで知らなかったのですが、このヲタクさんたちの世界には、独特な『ヲタク芸』、または『ヲタ芸』と呼ばれるものが存在します。

 

以前、テレビで特集されていたのを見て衝撃を覚えました。

 

ご存知ない方はYouTubeとかでぜひとも動画を検索して見ていただきたいと思います。

 

やばいです。

 

ヲタクさんたちには、かなりのパーセンテージで小太り系の人がいたりします。

 

また、そのような人たちの体型を『秋葉体型』や『ピザデブ』と言ったりするそうです。

 

でも、そんな人たちがかなり激しく踊るのです。

 

それはもぉ強烈なインパクトです。

 

 

 

 


 

ヲタク芸

 

 

 

人は熱中すると驚異的なエネルギーを発しますが、ヲタクさんたちのあの熱気はすごいです。

 

ケッシテ、ヲタクさんに集まってほしいというわけではありませんが、これを例に倣えば、職場に社員みんなが熱中できる何かしらの事や物が常にある状態を作りだすことができれば、そこに偉大な力が生まれるのではないかと考えるわけです。

 

いまどきの若者は元気がないとか、ドライであるとか、仕事に対する関心が希薄であるとか、様々なことを言われてますが、私は全部が全部そうだとは思いません。

 

人間の本質的な部分は今も昔も変わりません。

 

環境の変化で、見える部分の表面上の違いこそあれ、やる気やその気のタネはみんな持っていると思います。

 

ただ、現代社会においては、そもそも価値観が多様化していますので、どこにそのスイッチがあるのかが分り難くなっています。

 

また、ゆとり世代などと言われ、育ってきた環境によって、随分と物事の捉え方が我々世代とは違っていたりします。

 

しかし、人間、やる気のない人は基本的にいないと思うのです。

 

やる気がないように見えてしまう人は、やっていることに対して興味や関心を持てないだけです。

 

スイッチを探し出し、それを押していく作業。

 

私を含め、誰かをリードしていく立場にいる人にとって、その作業を行うことこそが、組織においてはとても重要なことであると思うわけなのです。

 

さあ、キミタチのヲタクスイッチを押してあげようではないか。



March 26, 2010

となりの芝

 

イギリスにあるウォーリック大学心理学部のクリス・ボイス博士らが、過去7年間の世帯調査の「所得」と「生活満足度」に関するデータを分析しました。

 

研究は当初、「所得」と「生活満足度」のかかわりを明らかにする目的で始められたのそうです。

 

で、その結果、「所得額」よりも「所得順位」が生活満足度に直結する、つまり、「いくら稼いでいるか」より「周囲と比べて稼いでいるか」を気にする人の方が多いということが判明しました。

 

ということは、前年より年収が上がったとしても、前年よりハッピーになったと感じるとは限りません。

 

仮に減給され、前年より年収が下がったとしても、同僚がより大幅な減給を受けていた場合には満足度が上がってしまうということも考えられるわけです。

 

自分が1億円給料もらって喜んでいても、友達が2億円稼いでいると知ったらどうでしょうか?

 

人間の欲求にはキリがありませんねぇ・・・

 

 

となりの芝がどうしても青く見えてしまう人。

 

他人の給料袋の中身ばかりがどうしても気になってしまう人。

 

そんな人に幸せはやってこないことになってしまいます。

 

いつまで経っても満足感を得られず、幸せになることはできません。

 

ですから、お金持ちになっても幸せが来るとは限りません。

 

周囲にとっては十分なお金持ちに見えても、その人自身の渇望感や欠乏感は、いつまで経っても満たされることはありません。

 

他者との比較の人生をやめると幸せは突然訪れます。

 

 

 

 

 

 

他人(ひと)は他人(ひと)

 

だって100%相手のこと分らんもん

 

エスパーじゃないし・・・

 

 

 

 

 


 

魔美じゃないし・・・

 

 

 

 

 

 

 


 

伊東でもないし・・・

 

 

 

 

 

 

 

ま、伊藤だし・・・

 

 

 

 

 

 

自分は自分!

 

 

 

 

 

 

自分のすることは100%分かる!

 

そりゃそうだっ!

 

 

 

 

そして、

自分にも他人も素直で正直でいる!

 

 

 

素直さには責任が伴います。

 

本当の自分であるということは逃げ場がなくなるからです。

 

自分以外の他者の責任にできない。

 

だから人はそれを回避しようと自分を偽るようになります。

 

でも本当の自分ではないということは、いつか必ず歪が出てしまうことになります。

 

自分が正しいか正しくないのか、良いか悪いか、優か劣かというような比較の人生ではなく、つながりや関係性の中での自分の在り方を考えることが大事です。

 

企業経営でも同じこと。

 

となりの芝が青く見えてしまうことがあります。

 

理想は戦わない経営。

 

自社のブランドや強みを引き伸ばしていけば、価格だけによる競争はなくなります。

 

ホウキンは愛される企業で在りたい。

 

大局的に捉えれば、マーケットのシェアの奪い合いということが言えるわけですから、純粋な意味で、競争がなくなるとは言えないのかもしれません。

 

でも、鉄の問屋という付加価値の付け辛い商売とはいえ、価格だけでの競争なんて、やっぱりオイラはイヤです。

 

楽しくも何ともない。

 

ま、しかしながら、なかなかその辺りで現実問題うまくいかんくて悩んではおるのですが・・・

 

 

自分がどう在るか、自分たちがお客様にとってどんな存在でいたいのかという意識を持つことで、お客様にとっての我々の価値が変わる。

 

だから、他人に比較されて、多少変人と言われてもオイラは構わんと思うわけなのです。



March 24, 2010

門出

 

きっく1

先日キックオフしました。

 

 

 

 

 

キックオフです。

 

 

 

 

 

 

きっく2

 

ん〜 なつかしいねぇ〜

 

 

 

 

 

いや、こんなんじゃありません。

 

 

 

 

 

 

 

ていくおふ

テイクオフッ!

 

 

 

 

でもありません。

 

 

 

 

 

これ

 

ぶっく

でもなくて、

 

 

 

 

ということは、

 

 

 

 

もちろん

 

はーど


こんなんでもなく、

 

 

 

 

 

 

これです。

 

きっくしらい

 

キックオフミーティング!

 

 

 

いや、

 

でも正しくはミーティングしてません。

 

発表会みたいなもんです。

 

 

 

来季上半期のビジョンと目標の発表会。

 

 

いい感じだ。

 

 

できるかも!

 

 

西田文郎さん的『かもの法則』。

 

 

人生には2羽のかもが飛ぶ。

 

 

できないかも・・・

 

やれないかも・・・

 

 

マイナスのかもを飛ばすより、

 

プラスのかもを飛ばそう。

 

 

 

 

営業部山本マーボーの発表の途中、

 

ガシャーン!!!

 

という大きな音がしました。

 

 

事務所の目の前で原付2台がぶつかったのです。

 

 

救助

 

みんなして救助活動。

 

どうやら並走していて接触したみたいです。

 

 

幸いケガ人なし。

 

でも原付2台ともくしゃくしゃ。

 

 

 

しかし、

 

みんなの行動が早かった!

 

スバラシイ!

 

 

 

人を人として見る

 

 

 

わが社のキーワードですが、

 

人に言われずとも、

 

実践するみんなの姿が頼もしい。

 

 

 

ああ感謝。

 

 

 

 

 

らいだ〜

とぉ〜

 

 

やったるで〜



houkinkun at 18:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!会社のこと 

March 22, 2010

感謝のベクトル

 

見えていないけど、そこに在るもの。

 

空気?

 

電波?

 

嫁さんの怒り?     むむむ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

まるやまさん

丸山さんは豊橋ゆかりの詩人

 

高師緑地公園にて

 

 

 

真昼の空にも星がある・・・   でも見えない・・・

 

 

 

多くの人は、普段、見えないものに意識を向けることができません。

 

見えないんだから当然といえば当然ですね。

 

でも、物理的には見えているはずなのに、見えていない、目に入ってない・・・ということはないでしょうか?

 

多くの人は当たり前だと思うものが見えなくなる傾向があります。

 

健康然り、家族然り、空気然り、自分の周りにあって当たり前だと思う人や物や事柄に意識が行き届かなくなるのです。

 

ということは、普段そこに在って当たり前だと感じているものに対して、『在り難し』などとはなかなか思えないわけです。

 

しかし、それは本当に大事なものが見えていない状態だといってもよいかと思います。

 

 

ありがたいと思えない。。。

 

つまり、感謝ができない。。。

 

見えないもの、知らないものには感謝することができないということ。

 

しかし、自分の周囲に感謝することができないと、私たちはどうなってしまうのでしょうか?

 

おそらく、やること為すことが独善的、つまり、ひとりよがりで、自分以外に目が向かない状態になるでしょう。

 

いわゆる、自己中というやつです。

 

でも、自己中な人は基本的に誰からも好かれません。

 

ということは、自己中にならないためにも、見えない、いや、見えていない部分に意識を傾けることが大事になるということになります。

 

では、どうしたら見えない部分に意識を傾けることができるのでしょうか?

 

人は自分にないものを求めます。

 

有名人やタレントさんを見ては、ああ、あんな風に生まれたかった・・・ とか、金持ちそうな人を見ては、ああ、うらやましい・・・ などと羨み、妬み、そして、ひがみ、こんな自分に誰がした・・・ などと言っては愚痴や不満を垂れ流します。

 

しかし、そんな状態で周囲に感謝などできるのでしょうか?

 

いくら感謝のアンテナの感度をあげようと思っていても、これではまず無理でしょうね。

 

ではどうすればよいのでしょうか?

 

目につくものや、自分にないものを求めたり、補おうとする人間の根源的な衝動や欲求は、おそらくそれをなくせと言ったところで土台無理な話です。

 

ですから、無理なことをやらなくてもいいから、できることをするのです。

 

自分の意志で、今の自分にできることをする。

 

ないものではなく、在るものに意識を集中させる。

 

在るもので一番手っ取り早いのは、もちろん自分自身です。

 

自分自身見えてないことは多いものです。

 

もっと自分のことに関心を持ちましょう。

 

ということは、多少飛躍するかもしれませんが、今在る自分を肯定すること、つまり、自分を好きになることから始めることが大事なのだと思うのです。

 

ウダウダと繰り返しになりますが、自分にないものというのは、今の自分からは、ある意味一番遠い存在であるということができます。

 

遠い存在のことばかり考えていても現実的ではないことが多いです。

 

簡単には手に入らないからこそ、ないものねだりしたくなるのですから。

 

ということは、やっぱり、一番遠いところから考えるのではなく、現実的で最も身近なところから考え始めることが大事なのだと思うのです。

 

身近な人や物に感謝して生きる。

 

感謝のベクトルは向こうからこっち向きではなく、こちらから向こう向き。

 

だからまずは、自分から。

 

自分の在り方から考えるべし。

 

次に家族や周囲の関係を大事にすべし。

 

そして、当たり前にあると思いこんで見えなくなっている、いろいろな、近くに『在るもの』に意識を傾ける。。。

 

 

 

 

そうおもえる想念は美しい。

 

 

ああ、懺悔の日々・・・

 

 

 

じなん坊

じなん with 棒



March 19, 2010

ストーカーのビジョン

 

『愛社精神を持てっ!』

 

『おまえらっ 価値観をなぜ共有しようとしないのだっ!』

 

『目的意識を持てっ!』

 

『どうもあいつら社員は不甲斐ない、さっぱり危機意識が足りないな・・・』

 

世の中の経営者さんたちの悲痛な叫びやつぶやきが、あちらこちらでこだまする。

 

しかし、当の本人、つまり、社員たちははっきり言って、そんなこと言われたところで、そもそも響かないし、だいたい、その必要性を感じていないんだから、経営者が問題だと感じている問題は、さっぱり解決されるわけがない。

 

それらは、あくまで経営者の問題であって、社員の問題ではないからだ。

 

そして、こうした経営者の姿は、冷静に見れば、はっきり言ってストーカーがストーカー被害者に向けて発している態度や言葉と大差ない。

 

『オレのことを好きになれーっ!』

 

『なんで分ってくれないんだ・・・  オレがこんなにキミのこと好きなのに・・・』

 

こう言っているのとあまり変わらないわけだ。

 

だから、こんな想いを強烈に持っていても、それは一方通行でしかない。

 

強制力を持って権限や権利を振りかざし、ムチ打って無理やり何かの作業をやらせることはできるかもしれない。

 

でも、いつかきっとさぼる。

 

見られていないところで力を抜く。

 

経営者は、自分がストーカーと何ら変わらないサイクルに陥っていることを、まずは悟らなければならない。

 

 

 

 

 

 

ストーキング

 

 

 

 

じゃ、みなさんならば相手に好きになってもらうにはどうする?

 

昔からよく言われるが、相手に好かれるには、まず自分が好きにならなきゃいけない。

 

こちらが嫌っていれば、相手も嫌っているという、逆もまた真なり。

 

ということは、まずは相手を理解した上で、自分を理解してもらうことが重要。

 

そして、自分に関心を持ってもらい、知ってもらう努力をする。

 

ストーカーの想いとは、好きは好きでも、それは愛情と呼べるものではなく、自己中な執着と言える。

 

これは顧客の購買心理を知ろうともせず、購買欲求を満たせない企業の販売活動にも近いものがある。

 

売り手がこれはいいぞと言って市場に売り出してみてもさっぱり売れはしない。

 

作れば売れる時代は終わった。

 

だから、顧客のニーズやウォンツを真剣に考えなくては見向きもされない時代に突入している。

 

物は溢れ、情報化されたこの時代、お客さんは買い物上手になった。

 

社員だって同じだ。

 

価値観が多様化し、職場での仕事の質も変わってきた。

 

経営者や上司が背中を見せて、さぁ、オレに続けと言ってみても、イヤなことだと言っては、なかなか後ろに続いてくれない時代になった。

 

今までこうしてきたからとか、過去の成功事例に囚われているような既成概念の塊では企業はもたなくなってしまった。

 

そして、この変化の激しい時代、目的意識なく、目標なく、ただ与えられた作業のみをする集団を抱えていたのでは、その企業に未来はない。

 

しかし、そもそも、仕事や行動そのものの必要性を感じることや、そうしたいという行動欲求が根本になければ、人は動かないのだ。

 

理念やビジョンには、企業が存在する意義、つまり、『経営の目的』が通常うたわれる。

 

そして、同時に通常、この理念という名の『経営の目的』は経営者の想いや願いによって作り上げられるものでもある。

 

しかし、ストーカーの描くビジョンやイメージが現実のものとなることは、ちょいと考えにくい。

 

では、関心を示してもらうにはどうすべきなのか?

 

まずは相手を理解することから始まる。

 

つまり、社員自身の関心に経営者自身が関心を示さなければならない。

 

社員それぞれのワクワクの源泉やビジョンに共感する。

 

そして、その上でお互いの想いやビジョンを共有すべきなのだ。

 

わが社では最近これを行った。

 

さらに一丸力とイキオイを増した気がする。

 

社員みんなに感謝!



houkinkun at 08:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!お仕事 

March 15, 2010

超〜 人間!

 

知っているようで意外と知らないことが多いのが世の中の実情だ

 

だから、近しい存在で、関係性も深かったりする人に

意外な能力があったりして驚かされることも結構あったりするもんだ

 

案外、知っているようで知らないこと

 

私たちは相手のことを知っているようで

結局何も知らないのかもしれない

 

いや、そもそも知ろうとしていないのかもしれない

 

関心のなさは人を不幸にする

 

マザーテレサは言った

 

愛情の反対は無関心であると

 

相手の中に自分を投影させる

 

他人(ひと)の中に自分を見る

 

そうすれば、少しは無関心であることから解放される

 

相手を自分と同じ人間として見るのだ

 

 

 

しかし、

 

容易に同じ人間と見られない場合もある

 

そんな時は、まー、しゃーない

 

 

 

めちゃめちゃすげー人間

 

ずば抜けた人間

 

そんな人を我々は

 

『スーパーマン』

 

と呼ぶ

 

 

 

 

 

すぺしゃる


 

すぺしゃる・・・

 

( ̄ ̄||| ハッ!  なんかちがうっ!

 

 

 

 

 

それから

 

人間を超えている人は、もはや人間とは言わない・・・

 

 

そして

 

そんな人を我々は

 

人間を超えた存在

 

超人間

 

『ウルトラマン』

 

と呼ぶ

 

 

 

 

 

 

超 解剖!

 

                     1.スペースナビゲートディフレクター

                       ある種の波動を出して前方を探る

                     2.スペシウムアームドスキン

                       高密度、超硬質化したスペシウムスキン

                     3.テトラフェイスドブレイン

                       4つの部分からなる脳髄

                     4.デジタルソニックオーガナイズドイヤー

                       音波をデジタル化して解析

                     5.マルティプルセンシングアイ

                       様々なセンサー機能を持つ複眼

                     6.オプティカルリレーションファイバー

                       センサーの情報を送る光ファイバー

                     7.アトモスフィアオーガナイズドアナライザー

                       大気中の成分を分析する

 

 

 

どうやら

 

私たちには相手が身近な存在であっても、

知らなくていいことがあるようだ・・・



March 12, 2010

偉大な力

 

2つの映画を見ました。

 

ひとつは30年前の映画『ガンジー』、

 

 

 

 

ガンジー

 

 

 

 

 

もうひとつは20年前の映画(ロレンツォのオイル/命の詩』です。

 

 

 

 

ロレンツォ

 

 

 

どちらもテレビで放送されているときにチラッとは見たことがありましたが、きちんと腰を据えて見たことがありませんでした。

 

私は、映画観賞は好きなほうで、若かりし頃(正直、まだ若いと自分では思っている・・・)は香港映画やアクション映画が中心ではありましたが、いろんな映画をレンタル屋さんで借りまくっては観まくっていました。

 

最近では映画を観る機会もテレビを観る機会も、とんと減ってしまったので、たまにレンタル屋さんに行くと、新作に心奪われ、旧作に目がいくことはありませんでした。

 

話題性があり、商業ベースで宣伝バリバリのチラッと噂を小耳にはさんだりしたものを借りて観るだけで精一杯。

 

だから、本当に質の高い映画にぶち当たるほどたくさん見る余裕はありません。

 

しかし、最近、映画が制作されるスピード速くないですか? さっぱり着いていけません・・・  

 

で、今回以前から、観たい観たいと思ってはいたけど、観られなかった映画2作を、お店に並ぶ眩いばかりの新作に後ろ髪惹かれる想いを断ち切りながら、それでもやっぱ新作も借りて行こうかな・・・でもそんなに借りるとまた観ずに返却だしな・・・という未練も若干残しながらも2作だけ借りてきたわけなのです。

 

ん〜 安い! TSUTAYAで、1枚100円!   2枚で200円!!  

 

水より安いです。

 

15年ぐらい前は、ビデオ1本1500円から2000円ぐらいしましたからね。

 

約1/20です。

 

ということは、それだけ情報や映像の価値が下がったというわけです。

 

と同時に我々の得られる知識や情報量は格段に増え、ライフスタイルや行動パターンを大きく変化させています。

 

価格は1/20になっても得られる情報量は20倍どころの騒ぎじゃありません。

 

ま、その話はよしとして、映画の話に戻りますと、細かなストーリーをここでは紹介しませんが、両映画とも共通したものが根底にありました。

 

ガンジーさんは御承知の通り、インド独立の父と言われた人です。

 

映画『ガンジー』では、非暴力不服従を武器に、イギリスの植民地支配からの独立に向けて活動していくプロセスが描かれています。

 

一方、『ロレンツォのオイル/命の詩』は医師に見放されたALD(副腎白質ジストロフィー)と言われる難病を患った5歳の息子のために、医学の知識がないのにも関わらず、両親が自力で治療法を探し出していくプロセスが描かれています。

 

大いなる目的と目標、そして、それらに対する強い意志の力。

 

自分以外の他者に対する大きな愛。

 

それらが重なったとき、シナジー効果が起こり、偉大な力が生まれます。

 

この2つの映画を観ていて改めて感じたこと。

 

どうやら、形こそ違っても偉大な力が発揮されるときの条件は、やっぱり本質的には同じなんだな・・・ということです。

 

『人間は肉体が消滅すると何が残るのか?』という問いに、ある人は何も残らないと答え、また、ある人は『愛』だけが残ると言います。

 

魂=愛。

 

死んだら何も残らないというのは寂しいので、ここではとりあえず死んだら『愛』が残るのだということにしておきましょう。

 

とすれば、人間の本質とは『愛』なのだということになります。

 

『愛』というのは自分以外の他者に対する思いやりであったり、感謝や共感、理解や受け入れることであったりします。

 

ガンジーさんは共感の人とも言われました。

 

彼は自ら実践し、そしてこれを人々に説いていきました。

 

私が言うとチープになってしまうので言いたくないのですが、自分以外の他者に対する愛こそが力、大いなるエネルギーの源泉になるのだと思います。

 

焦点が他者に向けられたときにこそ偉大な力が発揮されます。

 

映画『ロレンツォのオイル』でも母親の執念とも言える子供の病気と闘う姿は圧巻です。母強し。母の偉大なる力。

 

女性は子供を産むと急激に猛烈にエネルギーを蓄えていきます。

 

一気にスーパーサイヤ人にでもなったかのようです。

 

世の中のお父さんたちは、偉大なる力を発揮する存在が身近にいるのでお分かりになるのではないでしょうか。

 

世の中のお父さん諸君、そう思いませんか?

 

『ロレンツォのオイル/命の詩』の中でもその母親の強さは、強力で鬼気迫るものがあります。

 

母親役のスーザン・サランドンはこの映画でアカデミー主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされました。

 

母親の愛情は海よりも深い。

 

我が家でいえば、私だけかもしれませんが、明らかに子供に何かしてあげようと思うレベルが、私と嫁さんとでは違うと感じます。

 

その差は歴然です。

 

しかし、ありがたいことです。 おかげです。 さまさまです。

 

男は永遠に子供なんですよ、きっと。

 

我が家では私が実は長男です。

 

女性は常に男性の一歩先を行っているのですよ。

 

昨日、子供が晩御飯をつまみ食いしたことで、そのことが話題になりました。

 

で、長男がつまみ食いって何?と聞いてきましたので、私がちょいとこっちへおいでと私の元へ呼びました。

 

彼の鼻をつまみ、これをつまむって言うんだよ、こうやって食べ物を食べるからつまみ食いって言うんだよ、と教えてあげると、となりから

 

 

へぇ〜 そうなんだ・・・

 

 

という大人の女の人の声が聞こえてきました。

 

まさかっ!と耳を疑いましたが、なるほど〜という顔つきで知った顔がうなずいております。

 

びみょ〜な例えではありますが、父親というか、ん〜、オレしっかりしなきゃ・・・と一家の主、父親の強さを保たなきゃ・・・ということを逆に意識させられる瞬間でありました・・・



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March 10, 2010

Two Russian directors boil to death in sauna

 

最近、とあるニュースの三面記事を見て思った。

 

人の死に方にもいろいろあるもんだと。

 

人の死に様は、それこそ人が100人いれば100通りなわけで、プロセスで考えれば、その人の人生も含め、環境や関係性にも大きく左右される。

 

しかし、肉体的な『死』という結果だけ見て、直接的な原因や死因だけで考えれば、もう少し幅は狭まる。

 

病気なのか老衰なのか焼死なのか水死なのか、はたまた病気でもどんな病気なのか・・・というような状態のレベル。

 

自殺、他殺、事故、というような括りに絞ればさらに狭まる。

 

ちなみに、いつもは、こんなことばかり考えている変なおじさんではありませんのでアシカラズご了承くださいませ・・・

 

 

で、冒頭のニュースの話。

 

去る2月18日、ロシア中央部の都市キーロフのサウナで、死亡事故が起きたそうだ。

 

で、どんな事故だったのかというと、なんと汗を流した後、体を冷やそうとプールに飛び込んだ男性2人が死亡したそうだ。

 

これだけ聞くと心臓麻痺か?と思いきや、実は熱死。

 

熱湯の中で煮え死んだのだ。

 

なんと『煮え死』。

 

『煮え死ぬ』とは読んで字のごとく、煮えて死んでしまうこと。

 

 

 

 

 

ごえもんさん

 

 

 

人が煮えて死ぬとはどういうことか想像つくだろうか? 

 

ダチョウ倶楽部の竜ちゃんが入るヌルイ熱湯とは訳が違う。

 

冷たいはずのプールの水が、2人が飛び込んだ時には、沸点に達するほど煮えたぎっていたらしい。

 

なぜプールに煮沸機能が?・・・とか、湯気出てるから気付くだろ・・・とか、ちゃんと準備運動したのか?・・・ などと、いろいろと疑問は生まれるところだが、そこはロシアンルーレットの生まれたところ、何があってもおかしくない。

 

そういう国なのだ。        ・・・?

 

 

しかし、『煮え死ぬ』なんて言葉、そうそう聞くもんじゃない。

 

プールの水温を犠牲者の1人が誤操作したものと見られていて、事故発生時、3人目の男性が2人をプールから助け出そうとしたが、失敗したらしい。

 

犠牲者らの氏名、年齢等は公表されていないけど、1人は養老院の院長で、もう1人は精神病院の院長だったそうだ。

 

セレブでブルジョアなおじさんたちが煮えて死ぬ・・・

 

生前よほど悪い事でもしていたのだろうか・・・

 

あの世で地獄を味わう前に、この世で地獄さながらの苦しさを体験しながら死んでしまった。

 

ん〜  ご冥福を祈るばかりだ。

 

 

 

 

人生における『生き様』はよく語られても、戦国時代でもないこの現代社会において『死に様』が頻繁に語られることはない。

 

しかし、そもそも『生き様』という言葉自体、『死に様』の誤用だとされているから、本来、もっと『死に様』というものを考えるべきなのだということなのかもしれない。

 

思考のサイクルで考えれば、『生き様』がプッシュ思考で『死に様』がプル思考であると捉えることができる。

 

簡単に言えば、『死に様』を考えるということは人生におけるゴールをビジョンとして描きながら生きるということだ。

 

人の死に方にはいろいろある。

 

まさか、ロシアの2人は自分のゴールが『煮え死』だなんてまったく考えてはいなかっただろうけど、自分の死ぬときのことを考えることはとても大事なことなんだと思う。

 

『死』というものは忌み嫌われるもの、別れ、寂しい、悲しい、という感覚だけで、健康な人は自分とは関係のないものとして捉えられるものかもしれない。

 

もちろん、今生きている人は死んだことがないわけだから、なかなか実感がわかないだろう。

 

でも、お葬式ぐらい出たことがあると思う。

 

自分のお葬式はどんなんだろうとちょっと考えるだけでも、いろいろな示唆があたえられる。

 

どんなお葬式にしてもらいたいのか、どんなスピーチをしてもらいたいのか、それに足る生き方をしているのか・・・

 

死ぬことを考えるのは生きることを考えるということ。

 

自分が生きている意味、つまり、自分の存在意義を考えることは、生き方を考えることにつながる。

 

生き方を考えるということは自分の『在り方』を考えるということ。

 

自分はどんな人でいたいのか。

 

やっぱり私の中で自分の『在り方』を考えていくことが最重要課題であるようだ。



March 06, 2010

カメ道

 

つっよいぞガメラ♪


 

先日、ガメラ対バルゴンの死闘を

我が社の近くで目撃してしまいました

 

 

 

 

 

 

 

 

リアルファイト

 

 

 

 

 

 

 

 

拡大

ちょいと画質が悪いですが、

 

ガメラは今にもくるくるまわって火を噴きそうです

 

バルゴンはパンチを繰り出そうとしています

 

 

わが社から川が近いからか、隣接する道路をカメが歩いていたり、カニさんがたまに歩いていたりします。

 

ちなみに我が社の駐車場にはタムチさんのケロリンカーが止まっています。

 

このときも、なぜかカメさんが道路を歩いていて、近所の猫さんたちが、カメさんの甲羅めがけ、ペシペシとネコパンチを繰り出して攻撃していました。

 

小動物に対する猫の好奇心は見ていて笑えます。

 

人間の子供も好奇心旺盛です。

 

子供たちはいろんなことに興味を示します。

 

そしてその中から自分の好きなことを見つけたり、得意なものを作ったりしていきます。

 

ですから、子供たちの可能性は無限です。

 

その芽を摘んでしまうのは、他ならぬ親や大人たちです。

 

私は自分の子供たちに適正や、向き不向きで何かを押し付けたり、勧めたりしないようにしています。

 

人が輝くのは自分がワクワクして楽しい事をしているときです。

 

上手でも嫌なことをしているより、下手でも好きなことをしていたほうが人は幸せなのです。

 

そしてきっと最終的には結果もついてくるのだと思います。

 

ですから、なるべく、本人の好きなことをさせてあげようと思います。

 

家庭だけではなく会社も然り。

 

この考え方を、今後いかに会社の中に落とし込み、社員みんなが楽しみながら仕事し、そして収益を上げていくことができる体質を作っていくかということが、私にとってのミッションです。

 

人の可能性や夢や希望を奪ってしまうことは悲しい事です。

 

最近、児童虐待の事件が相次いでニュースになり、悲しい思いをしている人は多いのではないでしょうか?

 

特に5歳児の餓死のニュースには筆舌に尽くしがたい無念さを感じます。

 

私の長男も5歳ですから、それを考えると涙が出ます。

 

5歳で身長85cm、体重6kg・・・

 

我が家の2歳の次男より身長も低く、体重は半分です。

 

どんな背景や事情があろうと、同じ子を持つ親として、人として許せません。

 

どんな素敵な将来が待っていたかもしれんのに、親のエゴでその可能性を奪ってしまったのです。

 

鬼の所業。

 

地獄の道、餓鬼の道、畜生の道、修羅の道、それとも人間の道か天の道か。

 

どの道を歩むかを我々は自分の意志で選択することができます。

 

どうせなら、私は人に良い影響を与えられる人になりたいと思うのです。

 

 

 

ということで、わが社の周辺の道路はカメの道ということで・・・