October 2009

October 29, 2009

 

うぎゃー

 

 

バッ と跳ね起き、ああ夢だったのか・・・

 

と安堵する朝。

 

いや〜夢で良かった・・・

 

と思っていたのも束の間、新たなピンチがすぐさまやってきたっ!!

 

うわっ! と思い、再びバッ と跳ね起きた・・・

 

なんだ、これも夢だったのかよ・・・

 

・・・

 

映画やドラマ、様々なストーリーでよくあるシーンだ。

 

それが現実にわが身にも起こった。

 

夢の中で夢をみる。

 

不思議な感覚だった。

 

 

 

私の睡眠時間のベストは6時間。

 

6時間寝られなければ起きるタイミングとしては4時間がベター。

 

それが無理なら2時間でいい。

 

 

どれだけ深夜に寝ても、目覚ましナシで朝6時前後には必ず目が覚めるし、2時間ごとのタイミングで勝手に目が覚める。

 

老人かオレは・・・

 

いやいや毎2時間で目が覚めるということじゃないよ。

 

それじゃほんとにおじいちゃんになってまうわ。

 

でも、実際に2時間しか寝ていないことも今の生活ではよくあることだ。

 

さすがに、昼ごはんを食べた後がきつかったりするが、夕方頃になるとまた元気になってきてしまう。

 

でも、そういう日は早めに寝るけどね。

 

5時間や3時間とか、奇数時間だと寝覚めが非常に悪く、下手したら一日中眠いときがある。

 

寝すぎても同じような状況に陥る。

 

頭はボーッとするし、たくさん寝たはずなのに、やたらと眠くなる。

 

冒頭の≪夢の中の夢≫みたいな話は8時間寝たときの話。

 

余計な2時間が私に夢を見させた。

 

バッと起きたわけだから、朝方の起きがけに見ていた夢ということになる。

 

だから、やっぱり余計な2時間の間だ。

 

一般的には、夢を見ている間は眠りが浅いということが言われている。

 

ということは、睡眠時間が少ない時には、やっぱりあまり夢を見ない気がするから、たぶん集中して短い時間の間に深い眠りについているのかね。

 

夢を見ている状態でひとり言を言う状態 = つまり、寝言を言っている状態  の人に話かけてはいかんと、ある先輩から聞いたことがある。

 

話しかけられた人は、とても疲れてしまうらしい。

 

実はその先輩自身が奥さんに話しかけられた経験の持ち主で、寝覚めは悪いし、その日一日なぜか体調が悪かったらしい。

 

その原因は奥さんに聞いて知ったのだと言っていた。

 

でも、どんな寝言を言っていて、奥さんにどんなことを聞かれたのかは、ここでは先輩の名誉のために差し控えることにしておく・・・

 

 

人は何で夢を見るんだろ?

 

将来の希望や期待や願いを総称して≪夢≫とも言う。

 

一見、実現不可能であると思われるような空想なんかも≪夢≫という。

 

禁煙して8年ぐらいになるけど、いまだにタバコを吸っている夢を見る。

 

うわぁーっ!!! 吸っちまったぁーっ!!! 

 

と飛び起きて 

 

はぁ・・・  夢か・・・  

 

こんなこともたまにある・・・

 

欲求や願望が夢となる。

 

夢とは見るものか?描くものか?

 

そんなところにも己の主体性は試されるのだ。

 

人はなぜ寝ている間に夢を見るのか? という疑問にはっきりとした答えは未だ見つからない。

 

でも、≪人間にとって必要だから≫ということは言えるだろう。

 

ということは、

 

睡眠時間は別としても、目の前にある現実や問題に汲々として余裕のない生活を送るだけではなく、どうやら余裕を持って夢を見る時間を作り出すことは、人間にとって必要なことのようだ。

 

そしてそれを目標に変えようではないか。

 

 

 

 

じぇんじぇん関係ないけど、

 

過去の夢  

 

ご参考・・・    

にはさっぱりならないと思います・・・



October 26, 2009

前後方向への視点

 

魔狸男

 

 

最近あまり好きではないものを考えてみる。

 

 むちゃくちゃ枯れて落ちまくる我が家のクスの木とカシの木の葉っぱ

   → 掃いても掃いてもキリがない  掃除が大変だ   

      でも、まてよ・・・

   → いい運動になるかもな・・・ 

 

 ≪だってさぁ〜≫ とすぐに逆切れする我が子の言い訳

   → 子供であることを忘れてぶっとばしたくなる

      いかんいかん、

   → 同レベルで戦ってどうする・・・   

     オレもひょっとしてまわりの人にこんな感じで言い訳してないだろうか・・・  

 

 尋常じゃない綾戸智恵のビブラート

   → たまに志村けんの魂の憑依を感じる

      いや、

   → でも、2人分聴けてお得ではないか      ・・・?

 

 映像化不可能と言われたわりには簡単に映像化されてしまっている最近の映画

   → 一体どれだけの人たちが無理だと言っていたのだろうか?

      やけに≪不可能≫という言葉が安くなったな・・・

      いやいや、

   → しかしそれだけの技術革新があったのだ! 

      見られる時代に生きていられてオイラは幸せだ!

 

 塩スイーツなるものの類

   → すいかの塩もオレは否定する   

      ましてやポテトサラダのリンゴやみかんの存在は断固否定する

      しかーし、

   → 汗っかきの私や星野さんにとっては塩分を摂取できる喜ばしいブームではないか!

 

 真矢ミキ出演のCM

   → 彼女が出演しているどの宣伝も同じに見える・・・   顔も若干怖い・・・

      まー、でもさ・・・

   → 我が社の女性社員の微妙な変化の違いにも敏感に気付けるように

     なるためのエクササイズとして考えれば良いではないか!

 

     おっ 〇〇さん、前髪切ったね    ・・・   ・・・

 

 コンビニで、人がまだ清算中にも関わらず、順番待たずに後ろからレジ台に自分の品物を早々と置き始めるオッサン

   → まー ちょっと落ち着けって!

      いや、

   → 自分のパーソナルスペースを広げてビッグな漢(ヲトコ)になれるチャンスだ  

     細かいことは気にするな、オレッ!!!

 

 

頭の中で考えてイラついたり、その逆に反射的にモヤっとしたりと、不快な感情が生まれるプロセスは様々だ。

 

しかし、生理的に受け付けないだとか、何となく好きじゃないと思ったりして違和感を感じることでも、ルーツを辿れば何となくそれなりに理由が見つかるもんだ。

 

その逆も然り。

 

何だかこれ好き、なぜか気に入っている、なんてこともよくある。

 

これらは潜在的な意識で感じる部分で、顕在化している部分に触れて考えたり感じたりするものじゃない。

 

でも、それらの感覚を盲目的に受け入れることは果たして正しいことなのだろうか?

 

人間の行動の95%は潜在意識によって左右されているらしい。

 

つまり、感覚が大きく行動に影響しているということ。

 

じゃ、怪しいこともおそらくいっぱいあるんじゃないの?

 

恋愛で言えば、≪ビビビっときた≫ ≪ピンときた≫ ≪100年の恋だ≫ なんていうようなことを言っちゃったりするけど、そんなこと言っていたにも関わらず破局を迎えるカップルの何と多いことか。

 

それほど人の感覚なんて曖昧で、テキトーでいい加減なものだ。

 

食わず嫌いなんてのは、特にひどい話だ。

 

食べてないんだから勝手な思い込みであるわけだし、食べ物に関わらず、イメージだけが先行して随分と損をしている可能性だって考えられる。

 

だから、時には己の感覚を疑うことも必要な事ではなかろうか。

 

反対向きなベクトルの向きを方向転換するということは、とてもエネルギーのいることかもしれない。

 

でも、

 

 

出易いしね

 

やってみることによって、きっと違った世界が見えてくる。

 

チャレンジしてみる価値は十分にありそうだ。



October 22, 2009

つながりの中で生きる

 

我が家の近所に、ディナータイムや土日に訪れると、不思議な空間になっているうどん屋さんがある。

 

オーナー家の自宅へと変貌してしまっているのだ。

 

そんなときに店に入ると、お客さんは、他人の家にお邪魔してしまっている気持ちになってしまう。

 

他の人は分らないけど、少なくとも私はそう感じる。

 

店内そこそこ広い店構えだ。

 

頻繁に行くわけではないが、随分前から知っていて、何度か訪れているお店。

 

まだ小さなオーナー家の子供たちは、店中をチョロチョロと走り回り、そしてお母さんは、店内の座敷の一角を陣取って、その子供たちにご飯をあげながら、自分も一緒にお昼御飯や晩御飯を食べている。

 

そして、その食事中に子供たちがチョロチョロするもんだから、お母さんはいつも

 

『こらぁーっ』  『座りなさーいっ』

 

などと叱りながら、大きな声を出している。

 

食事中というのはもちろん≪お客さんの≫ではなく、お母さん自身含め≪オーナー家の≫食事中ということだ。

 

先日行った時は、我が家が注文した料理の調理と配膳をし終えたら、旦那さんまでもが一緒に食べ始めた。

 

我が家の子供たちと同世代の子供がいるということは、夫婦の年齢は、おそらく私達夫婦と一緒ぐらい、もしくは少し下ではないかなと推測されるが、夫婦そろってなんだか老けて見える。

 

やけに疲れてる感じがするし、それに奥さんのまるで化粧っ気のない感じと猫背が気になる。

 

そして商売屋の奥さんとは思えないほど無愛想で接客もひどい。

 

こちらが『すみません』と呼んで返事もなければ、注文を復唱することなどまずない。

 

食べかけのご飯を奥歯に詰まらせながらモゴモゴ何かしゃべっている時もある。

 

店の中には子供の遊び道具や三輪車などが置いてあり、お店の入り口に布団を干しているときもある。

 

なんてワイルドなんだろう・・・

 

だからか分らないが、店がきたない。

 

ホコリはすごいし、何より便所が汚い。

 

飲食店のみならず、接客業としてこの有様は致命的だ。

 

しかし、数年前はこんな状態ではなかった。

 

旦那さんとおそらく旦那さんのお父さんと思われる人が二人で調理していたんだけど、何らかの事情でそのお父さんが最近いない。

 

リタイヤか、御病気か、もしくは他界されたか。

 

旦那さんのお母さんと思しき人が忙しい間の小1時間程度アルバイト的にお手伝いに来る。

 

先日、行った時、お母さんは来てから30分程度で帰って行った。

 

なんでお母さんだと分るのかと言えば、本人にわざわざ聞いたわけでも、私が仲が良くて一家の事情通でも何でもなくて、単純に旦那さんが『おっかー』と呼んでいたからだ。

 

で、そのお父さんらしき人がいなくなったあたりから、店の雰囲気が変わってしまった。

 

そしてお客の数もまばらになってしまった。

 

 

じゃ、なんでそんな店に行くのか?

 

それは我が家が子供連れだからだ。

 

店の家族がそんな状態でいるのに、まさかお客に『子供を静かにさせてください、困ります』だとか、『お子さんがチョロチョロしていて他のお客さんに迷惑がかかりますから、目を離さないでくださいよ・・・』などとは口が裂けようが曲がろうが、絶対に我々に言えないと思うからである。

 

だから、我が家のような≪暴れん坊主≫を抱える立場としてはとても気楽に行きやすい店なのだ。

 

もちろん味が悪くない、いやひどくないのは大前提だ。

 

多少ぐらいは許す。

 

で、そのお店は平均レベルはクリアしているため、全く問題ない。

というよりも重宝している。

 

逆にお客さんが少なくて空いていることもスバラシイ。

 

だから、衛生的かそうでないかは、もうこの際気にしないことにする。

 

だらしないのはお掃除担当の奥さんだけで、旦那さん担当の厨房は衛生的に保たれている可能性も捨てきれない。

 

ただし、そんなことを言っている時点で職人レベルならまだしも、経営者としては確実に落第ではあるけどね・・・

 

ま、なんにしても、他のお客さんには気を使うけど、店の人にそんなに気を使わなくても大丈夫であるというところが、我が家のニーズには合っているわけだ。

 

でも我が家のようなお客は稀なケースでマジョリテイではない。

 

 

で、今度は別のうどん屋さんでの出来事。

 

店主の奥さんと思われるちょいと小太りな方が座敷のほうへ座った私たちのところへ注文を取りに来てくれた時のこと。

 

座敷同士を仕切る木製のパーテーションにいつの間にか次男坊がぶらさがってしまっていた。

 

それを見た奥さんが一言、

 

『折れるかもしれんでやめてよ〜』

 

と、まだ言葉もろくにしゃべれんようなチビを相手に注意しつつも、明らかに我々親に強烈にプレッシャーを与えながら、少々苛立ち気味の声でおっしゃった。

 

私たち夫婦はその後、もう子供たちから全然目が離せない。

 

あのオバハンの気に触るようなことをするんじゃないかと気が気じゃない。

 

子供たちは、ちょっとした隙に何かをしでかすため、私の目は鉄腕アトムのサーチアイで、嫁さんの目はドラえもんの赤外線アイのようになっていたと思われる。

 

だけど、そのお店の料理の味は悪くない、いやむしろウマイ部類に入るのに、そんなことばかりが気になっておいしく感じない。

 

子供もなんだかそんな親の空気を察知したからか、ぐずるし、余計に落ち着きがない。

 

そしたら、今度は私が子供達のそんな姿を見て、ますますイライラして仕方がなかった。

 

なんという悪循環だ。

 

帰りの車の中で、あの奥さんの雰囲気と接客で、お店は損してるだろうね、というような話を嫁さんとした。

 

嘘でも 『ボク、危ないからやめようね♥』 とか、 『お子さん大丈夫ですか?お母さん、危ないですよ(^-^)』 なんて言ってくれれば、親もピリピリとした嫌な気分になることもなく、子供に注意することもできて、もう少しうどんの味もおいしいものになっただろうにね・・・

 

最終的には、あの人の顔が怖いとか、オーラではなくて邪気が出とるわ、みたいな話にまでなってしまった。

 

しかし、小さな子供連れで、気兼ねなく行くことのできるお店のなんと少ないことか。

 

小さな子供のいる家庭はテーブル席よりも、お座敷のある店がいいし、ましてやカウンター席しかないような店になど行けるわけがない。

 

だから、うどん屋さんのようなお店に絞られていく。

 

じゃ、家で食えよ、とおっしゃりたい気持ちも分かるけど、各家庭には、それぞれに事情というものもあることだし、オクサンたちもたまにはお休みをいただきたいだろうということで、その辺は御愛嬌でスルーしてくださいな。

 

このうどん屋の奥さんのような人は、子連れが嫌いだとか、子供が嫌いだとかということだけではなく、基本的には気遣いができないということであって、おそらく大人だけで食べに来てくれたお客さんに対しても、何かしらのトラブルが起きてしまう可能性が他の人が働くよりも多くなってしまう気がするし、お客さんに対して、不快な印象を与えてしまう可能性も高いんだろうなと思ってしまう。

 

我が家にとっては、もはやそのお店のことはどうでも良い。

次に外食する際の選択肢にその店が入ることはおそらくないだろう。

 

だからこそ、身内の店員というのは、このような状態に陥りやすいため注意が必要だ。

 

身内だと厳しく注意ができなかったり、他店では当たり前であるはずの接客ができなくなったり、そして、それが恒常化することによって、感覚が麻痺し、味はそれほど悪くないのにも関わらず、原因も分からないまま、なぜか客足が遠のいていくという現象が起きてしまうという可能性がある。

 

接客業は口コミの怖さを知るべし。

 

それにだいたい悪い噂は良い噂の数倍早いスピードで世間に浸透していく。

 

人によっては、良いお店、ステキなお店を自分だけが知っているのだという優越感に浸りたい人もいるだろうし、逆にネチッこくておしゃべりな性格で、いつまでも自分のされた接客態度や商品の質に不満を持ち続け、会う人会う人細菌をまき散らすように言いふらす人だっている。

 

どんな商売でも、リピートしてくれるお客さまこそ大事にしなくてはならない。

 

そのために何が必要になるのか、反面教師として二軒のうどん屋さんを例にあげてみた。

 

どちらのうどん屋さんも、今のままでいれば、これからお客さんが間違いなく減ることになるのは明白なわけだけど、前述した通り、私は先にあげたお店には長生きしてもらいたいと思っている。

 

ただし、チビ助どもが落ち着いてくれるまでの数年間という期限付きで。

 

 

顧客不在の経営。 売り手の論理で物は売れない。

 

この景気で、当然ながら影響を受けている外食産業。

 

外食産業のみならず、全業種、全業態に渡って、わが社だって例外なく、人間は感情の動物で、しかも人間同士の関係やつながりの中でしか生きていくことのできないことをきちんと理解した上で、自社の強みを生かす努力をしていかないと、確実に世の中から淘汰されるであろうということを各々が再認識しなければ、今後生き残れないステージに、もはや突入していることは間違いないと思う。

 

だからこそ、特につながりや、リンクした関係というものを大事にしなければならないことに早く気付いて、その輪を断ち切らないようにしなければならない。



October 19, 2009

物理の時間です。

 

ニュートンの運動の第3の法則。

 

またの名を作用・反作用の法則という。

 

交通事故でクシャクシャに変形した醜い自動車。

 

もし、その事故車がコンクリートの壁に80kmで衝突して大破したものだとすれば、コンクリートでできた巨人のゲンコツに、同じだけの破壊力でぶん殴られたのと同じようなこと。

 

たとえがあまり良くない気もするが、つまり、壁からも同じだけの力が自動車に加わったということ。

 

 

人生における作用と反作用。

 

自分の放出したエネルギーや価値が、見えざる大いなる力によって跳ね返ってくるという現象。

 

善行を行えば、いつか巡り巡って自分のところに幸せが訪れる。

 

悪事を働けば、いつか報いがある。

 

であるならば、どのように行動すれば、何が得られるのかということを理解することができる。

 

● お金が欲しければ、お金を与える。

 

● 情報が欲しければ、情報を与える。

 

● お客が欲しければ、お客を与える。

 

 

でも世の中の多くの人たちが、この原理原則を無視して、本人が望まない別の結果を導いてしまっている現実がある。

 

ひどい人は、そうだよね、それが原理原則だよね、と言いながらも言動が一致せず、結果、愚痴や不平不満を垂れ流す。

 

作用・反作用の法則だけを愚直に守っていれば、お金や情報やお客様を獲得できるかと言えば、もちろんそれだけではないことは分りきったことだが、やっぱりとても重要なことだ。

 

ギブ&テイクと言うことからも分るように、与えることが先になければテイクすることのできるタイミングはなかなかやってこない。

 

● 他人の利益こそが自分の利益だと考える。

 

● 他人の利得を考えながら自らの利得を考える。

 

いわゆる≪自利・利他≫の物事の捉え方や考え方。

 

しかし、それは決して一切の見返りを求めないお布施なんかではない。

 

それなのに、多くの人が与える行為や行動は自分だけが損をすると考えてしまう。。。

 

溺れた人間が溺れている他の人を助けることなんてできない。

 

食べること、住むところ、生きていくレベルで困っている人が、人から奪うことはあっても、他人に施しを与えることなんてまずできない。

 

共存、共栄。

 

そもそも自分の求めるものはどこにあって、どこから与えてもらえるのだろうか?

 

そのすべては自分以外の他所・他者にあることは自明の理である。

 

 

 

現状維持を好む生き物である人間。

 

そして奪われることを拒むのも人間。

 

変化を拒むことは、奪われることを拒むことに等しい。

 

つまり、現状の生活スタイルや、思考のサイクルを奪われることに抵抗している状態になるわけだ。

 

だから、人は一度抱えた物を手放すことが苦手になる。

 

そして、一度抱えた物に執着し始めると尚更動けなくなる。

 

それなのに欲求や要求ばかりが先行する。

 

つまり、現状維持を望んでいるのにも関わらず、変化までも手に入れようとしているということだ。

 

変化とはつまり、

金持ちになりたい、偉い人になりたい・・・  というようなこと。

 

もし、あなたが今そういう人じゃなくても、なれたとしたら、大きな変化だということができるでしょ?

 

しかし、そうは問屋が卸さない。

 

だから、

もしも、あなたが今自分の抱える何かに対して執着心を持っているのなら、その執着心を一旦開放すべきだ。

 

お金、地位、名誉、人間関係、固定観念、既成概念・・・

 

 

でも・・・

 

世の中執着したくなることだらけだね。

 

ん〜   ・・・

 

やっぱ簡単じゃなさそうだ・・・



October 16, 2009

こんなんできます!

 

 

りぬ〜あるっ!

 

ブログトップの模様替えをっ       

してもらいました・・・。

 

私にはパソコンをパソパソといじって背景替えするなどという高等技術はございませんのでいつもの彼にやっていただきました。

 

餃子屋さんに。

 

どうもありがとう。

 

なぜ餃子屋さんなのに・・・ ?  それなのにぃ〜 〜

 

 

 

写真は事務所と事務所前にある完全鉄製ロボットくんです。

 

名前はまだありません。  誰か名付けてください。

 

ロボットくんは、薬品を使ってわざとサビさせています。

 

意匠性を高めるためにやっているのですが、弊社の長老達に言わせると≪ババチイ≫らしいです。

 

もっとキレイにしてくれだと・・・    やかましいジジイどもっ

 

若者たちの感性に口出しをするではない。

 

少々前の話になりますが、破れたジーパンをはいて実家に帰ったら、

 

『あんた、そんなのしかないのかん? 縫ってあげるわっ!』

 

と母親に言われたことを思い出します・・・

 

でじゃぶぅ〜 を体感したかのようです。

 

 

身長1Mにて設計。

 

デザインはいとちゃん。

 

弊社資材部加工課の高倉を中心としたスタッフにてコソコソと秘密工場で製作。

 

いや、本当はぜんぜん秘密じゃありません。

 

わが社にはこんな芸当もこなせるのです。  ハッハッハー

 

実はそこそこ引き出しが多いのです。  ヒッヒッヒー

 

お暇な人は見に来てください。  

やっぱ、暇じゃなくても見に来てください。

 

で、欲しくなったら買ってください。

 

イヤ、冗談じゃなくてマジで。

 

このブログ書き始めて初の宣伝を致します。

 

 

 

欲しいヒト〜?

 

 

 

挙手

は〜い!

 

 

 

タムチさんも

 

 

 

タムチくん はーい

 

 

 

え? 使い道?

 

お庭や玄関において魔除けや用心棒代わりにでもしてください。

 

暗くなってからライトアップするとかわいいですよ。

たぶん。

 

ん? 1Mはデカい?

 

分かりました。 んじゃ、小さなものも作りましょう。 

お好みの仕様で製作致します。

 

値段?  

 

それは言えません。    内緒です。     

 

・・・   ・・・   ・・・

 

正直ちゃんと考えてない・・・

 

ご要望に合わせて製作致しますので金額はマチマチになります。

 

気になる方は、是非下記までお問い合わせください。

お見積りいたします。

 

担当:丸茂 i.marumo@houkin.com  へメールいただくか、

もしくはHP上 https://www.houkin.com/contact.html にお問い合わせいただくか、

丸茂宛に直接電話ください。   0532-31-5341 です。

 

なんならロボット以外でも製作いたします。

 

完全フルオーダー!!   

 

もぉ 弊社はお客様のシモベでございます。  下僕でございます。

シモブクレ、シルブブレでございます。

 

 

現在2号機製作中。

 

今度は2M以上の予定。  

楽しい仕掛けつき! どんな仕掛けかはナイショっ! 

だから、できたら見に来いっ!  じゃなくて来てくださいっ!

 

 

たまに言われます。 聞かれます。

 

ホウキンさん、どこへ向かっていきたいの?  

伊藤君、キミは何がしたいの?

社員に何をさせてんの・・・

 

・・・   ・・・   ・・・

 

そんなん知りません。

 

正直なところ、私にも分かりません。。。

 

逆に誰か教えてください。

 

つーか、誰か買って・・・

 

オニガイシマス・・・         

    おねがいします

 

 

 

 

ロボ1

どやさ?

 

 

 

 

ロボ2

どやさどやさ

 

 

PS: そのうちHP上にページ増やしてリンクさせます。

    正直な話、商売になるんだか、さっぱし検討つきません・・・

    まー、社員のための福利厚生の一環・・・   にはならんな・・・



houkinkun at 13:30|PermalinkComments(6)TrackBack(0)clip!お仕事 

October 13, 2009

発生と伝承

 

むかしむかし、ある国の美しい王女が、泉に金のマリを落としてしまいました。

 

そこへ現れた一匹のカエル。  ケロケロ。

 

「自分を王女様のお友達にしてくれるのなら、わたしを隣に座らせてくれて、あなたの金の皿で食事を一緒に食べさせてくれるのなら、あなたのベッドに寝かせてくれるのなら、わたしを愛してくれるのなら、池に落とした金のマリを拾ってきてあげましょう  グヘヘヘ・・・」

 

 

 

 

ジャバさんはカエルさんではない

イメージ・・・

 

 

王女はマリを取り戻したい一心で、その条件をのみました。

 

しかし、王女はマリを取り戻すと、そんな約束などは無視してカエルを置いて帰ってしまったのです。

 

カエルは自力で城にたどり着き、王女に約束を守るように言います。

 

そして、そのやりとりを見ていた王様も、王女に困ったときに助けてくれた恩人との約束は果たしなさいと言いつけます。

 

王女は嫌々ながらも、カエルと一緒に夕食をとった後、すぐに寝室に戻ったのですが、カエルは寝室にまであがりこんできました。

 

図々しく、態度の悪いカエルを見て王女は怒りのあまりカエルを壁に叩きつけます。

 

しかし、そのおかげで、悪い魔女にかけられていた魔法が解け、立派な王子に戻ったのです。

 

王女は、カエルとしてのこれまでの無礼を詫びた王子の求婚を受け、二人は幸福な結婚をします。

 

そして翌日、王子の国から迎えの馬車が来ました。馬車に同乗していた王子の忠実な家来・ハインリヒは、胸に3本の≪たが≫を巻いていました。

 

これは主人が魔女によってカエルにされたときに、悲しみのあまり胸が張り裂けないようにはめたものでした。

 

主人が助かったため、喜びのあまり1本ずつはじけて≪たが≫がはずれていきました

 

 

ご存知の方もいると思うが、これはグリム童話の第1話目に出てくる『カエルの王様』という話のあらすじだ。

 

なんじゃこりゃ?

 

なんという後味の悪さだろうか・・・

 

こういう話は、なんとなく自然の流れで、王女に天罰が下らんといかんだろ・・・と思うんですけど、みなさんいかが?

 

童話とは言え、いろんな側面や背景の読み解きが必要なグリム童話だけど、ちょいとビミョウな感じがする。

 

最終的にはみんな幸せ!みたいな結末で良かったような不満足なような・・・

 

勧善懲悪。 天罰覿面(てきめん)。

 

悪いことしたら天罰が下らんといかんでしょ。

 

でないと、バランスが保てないでしょ。

 

約束は最後まできちんと守らんといかんでしょ。。。

 

この話は日本人の体質に合わんね。

 

ただ、

 

忠孝仁義。 忠勇義烈。

 

それから、

 

君子や武士に二言なし。

 

ハインリヒさんの忠義と王様の男っぷりに多少の感銘を受けるだけだ。

 

しかし、ハインリヒさんの出演の唐突さには違和感を覚える。

 

タイトルは是非とも『カエルの王女様』にしてもらって、んでもって最終的に魔法が王女にかかって、彼女がカエルになって、王子と同じ目に合って、んでもって鏡見てギャーみたいな・・・。

 

つーか、カエルだったのは王様じゃなくて王子様だから、『カエルの王子様』じゃなきゃおかしい。

 

それから、王子も王子だ。 

 

魔法がとけて元に戻ったんだから、約束を破った意地の悪い王女なんて放っておけばよいのに・・・

 

男は美人に弱いという、何となく野郎の本質的なイヤな部分が出ているようでガッカリな気もする。

 

『カエルの王様』は、≪異文化の融合と契約社会≫という側面から説かれている説や、「思春期の少女の潔癖性」説など、大人の社会から見た諸説があるみたいだ。

 

しかし、この話を我が家の子供達に読み聞かせたいかと聞かれれば、すんなりYESとは言い難い。

むしろNOだ。

 

人の痛みを知ることや、家臣に愛されていることへの感謝の情だとか、何か子供のために教訓になることがなきゃ、親が読み聞かせるストーリーとしてはあまり価値はないように思ってしまう。

 

もともとグリムの話は、実はとてもエロでグロで、ナンセンスであったりする。

 

ドイツで古くから伝わる民話の集積でもあるため、加筆や継ぎはぎで前後がいまいちつながらない話も多くある。

 

日本の御伽噺や民話や昔話もルーツを辿れば、グリム童話と同じように、実は子供には話せないような残酷さやエロさなどのアングラな側面をもっていたりする。

 

メルヘンとは、どうやらドラマチックでロマンチックな話という意味で使われるのではないようだ。

 

子供は本能の塊であったりするから、ひょっとしたら、もともとの話に子供達の手によって様々な脚色が施され、それらが長い年月を経て、大人も交えて民間で伝承が繰り返されていったのではないかと推測するんだけどどうなんだろね?

 

子供は様々な歌を替え歌にしたり、パロったりするのがとても得意。

 

我が家の子供も例外なく残酷で無慈悲な態度を取ることがあるし、例外なくウ〇コやチ〇コという言葉が大好きで、所かまわず大声で叫びまわるからとても困る。。。

 

都市伝説やトイレの花子さんなど、子供発信で娯楽としてのストーリーが童話の本質なのかな、などとちょいと思ったりするんだけど、違うかな?

詳しい人がいたら教えてくださいな。。。

 

 

 

わが社も何かストーリーを考えてみようか。。。

 

 

昔、ある国の王女が、泉に金のマリを落としてしまいました。

 

そこへ現れた一匹のケロリンタムチ・・・

 

 

 

 

かえるのコロちゃん

 

おっ はねたっ!

 

 

彼は、今日、蚊を殺すかのようにハエたたいて殺してました・・・

 

ぺしっ!!



October 11, 2009

体育の秋 いろんな足

 

先日、子供の運動会を見に行った。

 

というよりも参加、肉体労働してきた。

 

保育園の運動会のわりには、しっかりと午後からも競技やら出し物やらがあって一日仕事だった。

 

だから、二日酔いのお父さんには結構こたえた・・・   しかし、オレはいつも二日酔いだな・・・

 

親子競技も、嫁さんの体調を考慮し、私が担当したので、長男と次男2人分、その両方に参加してヘトヘトで、随分日にも焼けた。

 

お父さんだけの参加競技で、ねずみさんの被り物やデカパンをはいてチュウチュウと言いながらピョンピョンと跳ねたり腹筋をなぜかさせられたり・・・

 

綱引きではここ数年出したこともない腕力と、使った覚えのない腿の筋肉を酷使しつつ、ムキになって力を振り絞ったのにも関わらず、結局負けてしまい、子供たちに『あ〜あ・・・』なんて言われてしまった。

 

しかし、来年今度は何をさせられるのかと考えると、今からすでにちょっと怖い。。。

 

長男は来年、年長さんで保育園生活も終わりだ、来年さえ凌げば・・・ワーイワーイと喜んでいたら、二男が後4年あるということをオクサンに聞いて愕然とした・・・

 

つーか、小学生になれば、お父さんの競技もハンパナイものになることを知り、さらに驚愕した・・・

 

アワワワワ・・・   キカナキャヨカッタ・・・

 

で、長男が今年は走りっこに出るということで、今子供たちの間で大流行りの『瞬足』をうちのオクサンが買ってあげていた。

 

『俊足』以上の足の速さ! 『瞬速』なんですからね。

 

速いんです!  マッハです!

 

だから、

これでオマエは一等賞だ!この靴さえあれば絶対負けん!!負けて帰ってくるんじゃないぞっ!

 

などと私は彼を鼓舞し、勢いづけたつもりだったんだけど、結局、結果は3位! !  4人中の・・・。

 

しかし大丈夫だ、息子よ、オマエだけじゃなくてみんな瞬足はいてた。 

 

しかもやつらフライングしてやがったぞ。

 

正々堂々と戦ってもらえばオマエは必ず勝つ。 

 

ちょいと出遅れただけだ。

 

だから赦す・・・  お父さんはガンジーさんのような懐の持ち主だからな・・・

 

でも、去年は一人だけみんなの輪を抜けて単独行動を取り、何かに向かって石ころを投げつけては、先生の言うことを聞かずにさっぱしできなかったお遊戯が今年はなんとなくできていたじゃないか。

 

振り付けの左右の手が逆だったけど・・・

 

若干、人の振り見てモーションが遅かったけど・・・

 

しかーし、大きな声でお返事もできていたではないか。

 

だんだん人間らしくなってきたぞ。

 

成長度は他の子たちの3倍ぐらいあった。 よしよし。

 

でもやっぱ、はしりっこ・・・

 

もうちょい悔しがれ・・・

 

しかし、本当にみんな『瞬足』はいてんだね。

 

軽量化や、左右非対称スパイク設計。 アキレスさんすごいわ。

 

で、彼は黄色がお気に入りだったようで、随分足元が目立った。

 

そのおかげで、遠くから同じような背格好の園児たちの中からわが子を探す良い目印になった。

 

長男坊に、

 

『その黄いない靴ドガッコイイじゃ〜ん!』

 

と三河弁丸出しで褒めてあげたら、しばらくして

 

『ねぇ お父さん、さっき≪キイナイ≫って言った? ≪キイナイ≫って黄色っていうこと?』

 

と確認されてしまった・・・

 

こうやって徐々に三河のネイティブが製造されていくんだな・・・ 伝承されていくんだよな・・・

 

運動会でイッショウケンメイ頑張ったお父さんはオロナミンCをもらい、それなりに頑張った園児たちはお菓子をもらった。

 

そのお菓子袋の中に、うまい棒でオナジミの菓道さんの製品が入っていた。

 

 

 


 

ゲソ1

 

 

参考:駄菓子だ2(ニャン)

 

 

味は基本的にイカの味もせず、小麦粉とコーンスターチの揚げあられ的な感じで、まー、どうってこたーないシロモノだ。

好きだけど。

 

 

 

ゲソ2

 

で、やっぱり相変わらず、あの例のパッケージの裏側に書いてあるコメントに惹かれるものがあった。

 

 

 

ゲソ3

 

 

≪上手に≫って・・・

 

超自我自賛やないか・・・

 

≪努力しましたが≫って・・・

 

むちゃくちゃ自己正当化しとるやないか・・・

 

≪どうしてかな・・・・・・? でも≫って

 

メサメサ開き直っとるやないか・・・

 

 

 

 

 

しかし、誰が考案したものなんでしょうか・・・。

 

この件に関して

どんな人が指揮権を持っているのでしょうか?

 

この文章を世の中に流通させることのできる

企業文化がウラヤマシイ・・・

 

イキオイを感じます。

 

とても自由な社風が感じられます。

 

いや〜、勉強になります・・・

 

 

走りっこの早い足とがんばり過ぎた運動不足の足、おいしいイカの足・・・

 

なんとなく繋がったところで本日終了〜。



October 08, 2009

アジア名 メーロー

 

皆さんどんな具合でしょうか?

 

我が社は午後4時現在未だに停電しております。

 

なんもできません。

 

仕事になりません。。。

 

困ったもんです。

 

鉄は重いので、さすがに手積み、手下ろしで配達できるものには限界があります。

 

それにそもそも店を閉めている、もしくは機能していないお客さんが多いし。

 

そのうち暗くなって字も見えなくなってきますので、わが社も閉店ガラガラにせざるをえないです。。。

 

 

しかし強烈でしたね。 

 

明け方のあの風の強さには参りました。

 

木の枝や葉の揺れる音や、何かの飛ぶ音がゴーゴーやカランカランとうるさくて夜中に目が覚めてしまいました。

 

負けるもんか! こんなことで日本男児たるもの寝られんとは男が廃ると、気合で寝てやりました。

 

おかげさまでグッスリでした。

 

子供や嫁さんは怖いと言ってやっぱり寝られなかったようです。

 

しかし、家の掃除が大変です。

 

どこかから飛んできた白いハンガーが10本ぐらい庭に散乱していました。

 

見覚えのないポリバケツとプラスチックの植木鉢が2つずつ我が家の敷地内に転がっていました。

 

物置の屋根がありませんでした・・・。

 

豊橋市内、どうやら未だに停電しているところがたくさんあるようです。

 

電気って大事ですよね。

 

失って初めてその重要性に気づくというようなものは、世の中にたくさんありますが、慣れや習慣って恐ろしいものです。

 

オール電化のご家庭なんて、さぞかし不便な思いをしていることでしょう。

 

我が家はガスなのでこういうときは助かります。

 

でも一旦は電気や水道などのライフラインが止まることで、生活していく上で必要なものの大事さに気づいたのも束の間、普段の生活に戻れば、すぐにそんなこと忘れてしまうんでしょうね。

 

ありがたみが麻痺してしまう。

 

当り前のことになってしまうんですよね。

 

常に≪有り難し≫を意識し、貴重な存在として自分以外のものに感謝して生きなくてはならんと思うわけなのです。

 

だから、そんな気持ちで特に近くにいる存在、家族や会社の仲間に目を向けてみると何かが変わるかもしれませんね。

 

おぉ 今日はなんだかいいこと書いてるな。

 

早く帰って家の掃除しよ。。。

 

 

 

 

あやや・・・


お友達の餃子屋さんが写真送ってくれました

 

 

メーローのニャーロー



October 05, 2009

少しの努力

 

『双方向のコミュニケーション』と言えば、おそらく、ふつうは自分と自分以外の他人とのコミュニケーションを指すということになるだろう。

 

この場合、主体、つまり、自覚や意志をもち、動作・作用を他に及ぼす存在は自分だけではなく相手もという相関関係が成り立つ。

 

しかし、この自分と相手との相関関係から相手の存在を消し、コミュニケーションを取る主体を自分の立場だけで考えた場合にも、同様に『双方向のコミュニケーション』は存在する。

 

それは、自分が相手に対して行うコミュニケーションと、自分が自分に対して行うコミュニケーションという2つのコミュニケーション。

 

簡単に言えば、人に厳しいだとか自分に甘いだとか。

 

これらは振り子のように常にバランスを保とうとする性質がある。

 

位置エネルギーみたいなもんだ。

 

他人に厳しく接しようとすると自分に厳しくせざるをえなくなり、自分に甘くするためには他人にも甘くしなければならなくなる。

 

自分に甘く、他人に厳しく がモットーです! なんて人はあまりいないと思うが、この様な状態、一見バランスが取れていないのではないかと思われるような状態においても実は振り子で考えることができる。

 

自責、他責の考え方で。

 

物事の責任の所在を自分ではなく、自分以外のものへ求め出すと、自分に甘くなり始める。

 

つまり、自分を正当化する見方をし始めるのだ。

 

自分が正しい存在になると、今度は自分以外の存在は非難されなくてはならなくなる。

 

他人に厳しくしている分、通常ならばその分自分に厳しくするところを、他人を非難してバランスを取ろうとし始めるのだ。

 

振り子のふり幅でいけば、自己正当化するエネルギーの分だけ他人を非難することになるということだ。

 

自分に厳しい人の抱える問題点はどんなところにあるのかというと、ストイックに生きることによってストレスや人間関係に歪ができてしまうこと。

 

私はストレスのない世界で生きたい。

 

私は精神的にもっと『楽』に生活したい。

 

そして、もっといろんなことをシンプルに考えたい。

 

シミュレーション上手になって行動できない人になりたくない。

 

≪自分の取った行動に責任を持つ≫

つまり今目の前にある現実は、自分が下した決断の集積であるということを自分の心とグリップしておくということ。

 

主体性のない人任せの人生になんてしない。  したくない。

 

でも、時には行動できないときもある。

 

相手との約束。 自分とのキメゴト。

 

時には守れないときもある。

 

でもそんな時は自分を許してあげよう。  もちろん逃げるわけじゃない。 

 

コメンナサイと素直に謝ってしまおう。 

 

できない自分をかわいいヤツだと思ってしまおう。  

 

他人の見方ばかり気にする主体性のない人生なんてマッピラごめんだ。

 

しかし、企業に代表されるような組織の中ではこの『主体性』という人間本来もたなくてはならない、そして最も重要視されなくてはならないものであるのにも関わらず、経営側や組織風土がその芽を摘み、そして、社員は仕方がないという言い訳をしながら何も行動しなくなっていく。

 

それが組織を腐らせていく。

 

組織内でコミュニケーションが不足している、あんなヤツの下で働きたくない、営業部が悪い、社長が悪い・・・

いつか誰かがやってくれるだろう、私の仕事ではない、彼、彼女がやってくれたら、会社が変われば・・・

 

こういうことは、もちろん組織や企業の話だけの問題ではなく、人間関係の話だから、あらゆる状況に当てはまる。

 

家庭もしかり。

 

◆子供がなかなかおもちゃの片付けをしない。

    『早く片付けなさい!』

    『もう〜 今、やろうと思っていたのに!』

 

◆換気扇の掃除を嫁さんに頼まれた。

    『ねえ、いつやってくれるの?』

    『オレだっていろいろと忙しいんだよ』

 

 

あなたにも同じような経験がないだろうか?

 

いずれやろうと思っている。 今日はやれないが、また今度やろうと思っている・・・。

そんな感情がいつまで経ってもグルグルまわる。

そして結局何もしない。 やらない。

 

やれない自分を正当化し、やらない理由をどんどんと肉付けしていく。

そして徐々に自分の感覚を麻痺させていく。

 

そして結局は何もしないで時が経っていく。

 

やらなくたって別にかまわない。

 

しかし、やらないことで反省や後悔をするならやったほうが良いというだけ。 

それだけだ。

 

後悔というベクトルは自分に向けば自分はダメなヤツだというストレスに変わり、他人に向けば、アイツはダメなヤツだという非難の視点に変わってしまう。

 

少しの勇気と少しのやる気。 最初はそこから始めよう。

 

いきなり大きなことなどできやしない。 

無理せずに自分にできることから始めよう。

 

そうすれば、きっと少しずつ何かが変わる。

 

コミュニケーションは技術じゃない。 心の持ち方こそが重要なもの。

 

もっと自分の心と向き合って自分自身と話し合おう。

 

なぜなら、自分とのコミュニケーションが下手だと、つまりは自分以外の相手とのコミュニケーションが下手になってしまうという振り子の法則があてはまってしまうからだ。。。



October 02, 2009

どよ〜ん・・・

 

正体不明。

 

私は一体何者か・・・

 

裸体でマント・・・

 

ちがうちがう。

 

酒を飲んで正体不明。

 

 

 

 

トブ

 

先日、またイスタンブールに行って帰ってきた。

 

トンデ。

 

楽しいとたまにイスタンブールに行ってしまう。

 

イスタンブール・・・

 

ってどこだ?

 

 

 

 

イスタンブール

 

こんなとこみたい。

 

オレが行ってるとことちょっと違う気がするな・・・

 

こんなステキなとこじゃない。

 

んじゃ、私が行ってるのはどこだ?

 

 

記憶がない・・・

 

ブラックアウト現象。

 

 

 

ぶらっく・・・

 

 


さんまちゃん

 

ぶらっくでびる・・・

 

どうやら悪魔がいるとこみたいだ。

 

一線を越えると自分が消える。

 

そしてまわりの人に迷惑をかける。

 

だからいつも怒られる・・・。

 

飲み過ぎた次の日のために大きな穴を自宅の庭にでも掘っておこうかな・・・

 

自殺願望はないけど、死んでしまってもいいかな・・・と思う瞬間。

 

でもさっぱり酒断ちする気はない。

 

一生みんなに迷惑かけて、そしてかけっぱなしで死んでくんだろうな・・・

 

いかん。

 

やっぱりいかん。。。

 

犯罪でも起こしたらどうすんだ?

 

オレには悲しんでくれる人がいる。

 

路頭に迷わせてしまう人たちがいる。。。

 

やっぱちょいと酒控えようかな・・・

 

んじゃ、ついでにいろいろ気をつけよう。

 

◆車の運転に気をつけよう。

 

 ゆっくり運転しよう。

 

 道を譲ってあげよう。

 

◆電車ではお年寄りに席を譲ろう。

 

◆子供と一緒にブロック遊びをしてあげよう。

 

◆絵本を読んであげよう。

 

 それから

 

◆残り少ないトイレットペーパーは取り替えておこう。

 

◆たまには風呂掃除をしてあげよう。

 

◆いつもいろいろとありがとうと言ってあげよう。

 

 そして

 

◆自分の健康にも気をつけよう。

 

 だから

 

◆肝臓をいたわろう。

 

ブラックアウトするということは、肝臓のオーバーワークを示す現象みたいだ。

 

アル中指数はこんなとこで計れるみたい。

 

他人へのいたわりと自分へのいたわり。

 

どうやら自分は双方向へのコミュニケーション、どちらもとっても下手なようだ。

 

本屋さんに行ってコミュニケーションの入門編でも買って来ようかな・・・

 

 

 

反省って、ホントにお猿さんはできるのかな・・・

 

 

 

 

おさるさん

 

んじゃ、やっぱオレは猿以下だ・・・