August 2009

August 31, 2009

ジャッジメント・デイ

 

ジャッジ・ドレッド

ジャッジなのだぁ〜

 

 

昨日からやたらと≪歴史的≫という言葉を目にしたり耳にしますね。

 

国民の清き命の一票の重みが大きな力となって歴史的なジャッジがなされたわけです。

 

ある程度予想はされていたとはいえ、300オーバーの議席数を獲得した民主党。

 

政権与党である自公の大物議員と言われる重鎮たちが、誰あんた?と言ってしまいたくなるような民主党の新人たちに敗れていくという番狂わせ?が日本中そこかしこで起こりました。

正に人ではなく政党、そして政権選択の選挙だったと言わざるをえません。

 

しかし、民主党さんはこれからが正念場ですね〜。 

 

真価が今後問われることになります。

 

民主はミクロ的に見れば、細かな施策としてはいい事言ってるんだけど、マクロ的なビジョンやスケッチが描ききれていない、などの意見や指摘もしばしばされています。

 

しかし、まずは有言実行。

絵に描いた餅とならぬように。

 

小泉さんは、当時≪改革には痛みが伴う≫と言っていました。

 

そしてその結果日本は随分傷んでしまいました・・・   イタタタタ・・・  

 

改革自体が問題だったのか、継続させていく力を後継者が持たなかったからダメだったのか・・・

 

しかし、結果がすべてとなってしまいます。

 

自民と民主、4年前の選挙と正に正反対の現象が今回おきています。

あの時は岡田さんが引責辞任しました。

 

今回も同じように現状を憂い、変革や改革を求め有権者は動きました。

人間の心情なんていつの時代も基本的には変わりません。

 

変化には歪が伴うものですが、過ちや歪みは即座に改善する潔さが特に必要なのだと思います。

 

いや〜良かれと思ってやったけど、やっぱダメだったわ〜。

ワリィワリィ〜♪

 

気付いたならば潔く元に戻すなり、別の方策を考える。 臨機応変。

 

今回の選挙の結果は、国民が何かしらの変化を求めたものであることは間違いのですが、しかし何も変わらなければ、そして状況が好転していかなければ、当然、再び政情は変わっていくことでしょう。

 

つまり、やり前次第では先日までの自公政権のようにオウンゴールになっていくでしょうし、再び国民の審判をうけてしまうことになります。

 

変化の激しいこの時代、どんどん新しいことをやればいいのだと思います。

その代わり、間違いだったことが分かれば、すぐにゴメンネと謝って次の方策を練ってそして再び実行すればいい。

 

やりっぱなし、言いっぱなしのケツを拭かない無責任さだけはやめていただきたいものです。

 

何かの利権や、特定の利益になるようなものでなく、真に国民のためを思っての方針ならば、みなさん許すでしょ。  許さん?

 

軽率だったとか、愚策であったと批判されてもよいではないですか。

良かれと思ってやったことならば。。。

 

まずは実行する意思の強さを示してもらえることを節に願うところであります。

 

会社だって同じこと。

 

改革や変革に対する考え方で会社が変わります。

 

そもそも何のために行うのか?

より良い成果を得るために行うものなのか?

全体の利益、すなわち最終的にはみんなの共通の利益のためのものなのか?

 

というようなことがクリアになっていれば良いわけだと思うのです。

 

変化に同意できない人たちもいます。

 

自分自身がすでに受けている既得権益が奪われることに抵抗する人たちや、短期的なビジョンでしか物事を捉えることができない人たち。

 

改革や変革に反対意見はつきものですから、マイノリティよりもマジョリティを取るぐらいの鈍感力で計画を推し進めていくことも必要なことかと思います。

 

国民の政治への関心が高まっています。

ノリピー報道もそろそろ落ち着いてきたと思われますし、どちらにしてもこれからの政治の動きが楽しみです。



August 27, 2009

前略 虎の穴より

 

先日、とある韓国人の方が経営される飲み屋さんに行ったときのことです。

 

一緒に行った人は、仮にMさんとしておきましょう。

 

お店に入ったのは11時ごろだったでしょうか、もうすでにそこそこ2人ともできあがっておりました。

 

そのお店は基本的に顧客層が日本在住の韓国の方、中国の方がメインのようで、日本にいながらインターナショナルな雰囲気を味わうことができます。

 

カラオケの楽曲もハングルがピュンピュンと飛び交い、日本で言いますと民謡のような民族色の強い曲をお店のおねぇさん(と呼んでおこう)が歌ったりして、それがまた上手で、ほぉ〜と感心しながらキムチやチヂミをいただくというような感じです。

 

系統は違うのですが、弊社に勤務しているあのTさんも、南国系のアジアの方々が隣りに座ってアテンドしていただけるお店に頻繁に出没しているという噂です。

 

ちなみに私が行ったお店はそういった類のお店ではありません。

カウンター越しにお店の方との会話を楽しみながらお酒をいただくという、ごく一般的なスタイルでございます。

 

そのお店は、一緒に行ったMさんのアジアンネットワークとコネクションの中でも最近お気に入りのお店らしく、私も韓国文化が好きなほうなのでついていくことにしました。

 

で、しばらくして、その日はお休みだったという、普段はその店で働いていらっしゃるおねぇさんがお客として来店されました。

仮にGさんとしておきましょう。

 

Mさんと仲が良いので、GさんはMさんのとなりに座りました。

 

そして私をGさんに紹介してくれました。

 

Mさんとは付き合いが長いので、なんとなく女性の好みは分かっていましたが、Gさんはまさに彼のタイプにはまっています。

 

なるほどねぇ・・・

 

Gさんの特徴は、

 

●めちゃめちゃ気が強い

●とても我が強い

●何より理屈が通らない

●非常に暴力的

 

だから、とてもおそろしい。。。

 

そして会話のときに視点が合わない。 斜視というわけでもないらしい。

すでに酔っているのかと聞いたらシラフだと言う。

 

私はさらにおそろしくなった・・・

 

こ、 こあぃ・・・

 

 

しかし、そんなところもMさんは良いのだと言うではないですか。

 

そうなのです、MさんはドMなのです。。。   Mさんなだけに。。。

 

ほほぉ〜・・・  なるほどぉ・・・  んじゃ 楽しかろぉ・・・

 

私はダメです。 私はそういう人とは確実に合いません。 

 

感情や考えを読み取ることができないということは恐怖です。

だって宇宙人と会話するのと同じではないですか。。。

 

しか〜し、その時は突然やってまいりました!

ドSの女王様なGさんの予測不能な怒りの矛先がいきなり私に向けられたのです!

 

彼女は私の頭をかなり強い力ではたいた上で、おそらく鳩が豆鉄砲をくらったような面持ちをしていたであろう私に、こうのたまいました。

 

 

 

 


りー

 

あなたぁっ!!

 

さっき私がカラオケ歌ったとき、

ちゃんと聞いてなかったでしょっ!!

 

拍手が小さかったでしょっ!!

 

ずっとそうでしょっ!!

 

 

社長だからでしょっ!!

 

 

 

 

 



 

なんでっ?

ええっ? ・・・

 

 

うそぉぉぉ〜ん ・・・ 

 

 

ずっとって・・・

 

 

まだ30分しか経ってないし・・・

 

 

ほぼあなたとしゃべってないし・・・

 

 

なんもえばってないし・・・

 

 

んなアホな〜 ・・・

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

 

声を失うとはこういうことなんだ、ということを再認識した次第でございます。

 

あまりの理不尽さに一気に酔いが醒めました・・・

 

 

 

 

 

 

つらくなんかないさ・・・


 

強ければ それでいいんだ ♪


力さえあれば いいんだ ♪


ひねくれて星をにらんだ僕なのさ ♪


ああ だけどそんな僕でも ♪


あの子らは慕ってくれる ♪


それだから みんなの幸せ祈るのさ ♪

 

 

 

店を出て夜空を見上げ、涙をこらえながら口ずさんでいました・・・

 

 

 

試練が多いんですね・・・   

 

社長って・・・

 

でも、負けないんだもん・・・

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

虎になったる

そうだ!

 

オレは虎だぁ〜!

 

虎なのだぁ〜!!

 

 

 

 

 

 

ふんっ  ふんっ

悪役にだってなってやるぅ〜



August 25, 2009

精一杯生きる

 

蜻蛉の眼鏡は・・・

やあ

 

 

トンボのボン太です

 

 

 

最近

朝晩めっきり涼しくなりまして

 

 

 

寿命がきたようです

 

 

 

なので 

そろそろ死にます・・・

 

 

 

あぁ 我が人生に一片の悔いなし・・・

 

 

 

 

コテ・・・

 

 

 

 

 

 

甘栗坊や

バイナラ

 

 

 

『村の時間』のぉ〜時間がぁ〜

 

・・・

 

あぁ〜ぜみちカットでオナジミノォ〜

 

・・・

 

 

 

わが社の敷地内に死に掛かったトンボがいた。

 

遺影のかわりに写真撮影をしてご供養することにした。  チ〜ン。

 

 

昆虫たちの命は短い。

 

人の生は人生。

 

んじゃ虫の生は虫生・・・   か?

 

トンボさんは不完全変態。

 

不完全変態する過程には、蛹(サナギ)の状態がない。

 

幼虫からいきなり成虫になってしまう。

 

というわけで、トンボの幼虫であるヤゴはもちろんサナギではない。

 

サナギは基本的に動けない。

 

人間社会で変態といえば、キャー!エッチィ〜!とマチコ先生が叫ぶ頭文字の語源≪HENTAI≫が有名(?)だが、本来、動物の成長の段階において状態や形態を著しく変えることを≪変態≫と言う。

 

蝉さんも不完全な変態過程を辿るサナギにならないムンムウの代表例だ。   

注)ムンムウとは虫さんたちに対する私からの愛称である

 

蝉さんは、この時期、我が家の敷地内の木という木に張り付いてくれている。

 

とてもウルサイ。  

 

ウルサイは≪五月蝿い≫と書く。

 

この際、≪五月蝿い≫はウザイと読ませて、≪八月蝉い≫をウルサイと、辞書を編纂している関係者の方に進言したいぐらいだ。

 

しかし、蝉さんたちのウルサさには彼らなりの諸事情があるのだ。

 

彼らは人間のように与えられた命が長くない。

 

蝉さんの場合、種類によっても違うが、ざっくりと言えば、地中に6〜7年、地上に2〜3週間の命が平均的といえる。

 

蝉さんの足掛け生活の長さはとても有名な話だ。

 

そんな儚さから、古来、蝉の生き様や抜け殻が空蝉(うつせみ)と呼ばれ、その存在は≪もののあわれ≫の代表格だった。

 

苦節〇年、モグラやオケラの脅威から運良く逃げ切り、ようやく日の目を見たと思ったら、今度は熾烈なメスをめぐる競争が待っている。

 

その使命すら叶わず、子供たちの虫かごの中で一生を終えてしまう可能性もあるのだ。

 

蝉は虫かごの中に入るととたんに弱る。

 

ミンミンなり、シャーシャーなり、大きな鳴き声で鳴き、そして飛び回ることでメスに猛烈にアピールする。

 

その後、後世へ生命のつながりとして自分の軌跡を残し、再び亡骸として土にかえっていく。

 

だから、しゃーない。 ウルサイのは赦してやろう。。。

 

蝉は自らをアピールするために鳴く。

 

蝉にとって鳴くことは、一生懸命に命を燃やし存在感を示すこと。

 

だから、もちろん、人間も女性に全精力を傾けろと言いたいわけではない。

 

 

 

鳴かず飛ばず    

 

これといったおこないや活躍もしないでいることのたとえ。

 

蝉さんは鳴くし飛ぶ。 与えられた環境の中で精一杯生きる。   

 

私は・・・

 

 

 

鳴く猫は鼠を獲らぬ    

 

よくしゃべる者はかえって実行をしないことのたとえ。

 

この場合の鳴くとは言い訳や講釈が多いことをあらわす。

 

 

 

 

 

 

鬼形礼

ハッ!!

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

悩ましい問題だ



・・・

 

 

 

 

 

 

団栗坊や

ナライバ



August 21, 2009

なんのために?

 

わが社の使命は≪思いやる心を持つ≫という基本的価値感を持って3つの誓いを全うすること。

 

三河で一番間に合う会社となり、物心共に満足できる会社となり、そして、三河が今より更に元気になるように貢献していることが、わが社のあるべき姿だ。

 

とっても地元密着型思考だ。

 

これは、わが社が鋼材問屋であるという業態から出ている発想と、何事も千里の道も一歩からであること、そして我々が生かされているのはやはり地元三河であるということを忘れてはならないということも常に考えたいということだ。

 

あるべき姿、つまりビジョンは企業の成長や方向性によって都度変わっても問題ない。

 

もちろん、その目的を達成するための手段を変えることだって、全くもって問題ではないと私は考えている。

 

ということは、ひょっとしたらわが社の価値感もいつの間にか『あれ? 変わった?』ということになるのかもしれない・・・。

 

 

わが社は60年以上ずっと鋼材畑一本で飯を食ってきた。

 

そうなのだ。 鋼材は手段なのだ。

 

そして営業戦略や戦術としての≪4つの間に合う≫を通して、目的を達成しようと考えている。

 

これも手段なのだ。 

 

手法と言うべきか・・・。

 

こういう言い方をしてしまうと、非常に冷めた言い方に取られてしまうかもしれないが、私だって鉄を愛しているし、自分の仕事に誇りを持っている。

 

別に、鉄をやめて明日からクレープ屋さんやラーメン屋さんを始めるわけではないのであしからず。

 

しかしながら、現業だけに固執してはならないと思うわけだ。

 

変化の激しい時代。 これからどうなるか分からないではないか。

 

可能性を求めてチャレンジし続けることはとても大事なことだ。

 

 

企業とは組織。

 

組織とは2人以上の目的を持って集まり集められた集団だ。

 

企業の目的とはより良い結果を求めること。 つまり成果を出すこと。

 

利益を出さなければ存在する価値はない。

 

ではなぜ利益を出さなければならないのか?

 

それは、とどのつまり ≪皆の幸せ≫ のためなのだ。

 

利益を出すことだけが目的であるならば、手段を選ばずにやり通すことは可能だろう。

どんな商売だろうが、商材を何にしようが、人に後ろ指さされようが、ルールぎりぎりで商売しようが、人件費を極限まで削ろうが、効率だけに注力すれば良いからだ。

 

でも人には良心がある。

 

だから、そんなことは無理なのだ。

 

 

私だけの幸せ、顧客だけの幸せ、社員だけの幸せ、地域だけの幸せ。

 

どれかだけではなく、全方向に均衡が取れて、達成できてこそ、企業の存在価値は高まっていく。

 

手段は目的達成のためにあるもの。

 

それを履き違えてはならない。。。

 

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

拡大

どーゆーのん?

 

 

 

先日、我が家への帰り道、前を走っている物体を見て驚いた。

 

車椅子が走っとる・・・

 

サイドカーじゃなし、不思議な乗り物だ・・・

 

 

 

 

車やバイクは本来は移動するための交通手段だ。

 

その上で、

 

◆移動する間の時間短縮を重視 → 速さを求める  

◆移動する間の乗り心地を重視 → 快適さを求める 

◆移動する間のコストを重視 → 燃費を考慮する   

 

など、

交通規則があるので、速さについて一概には言えないが、これらの要素が付加価値的に自分の求めている目的に合っているのか、また、どれかを満たしているのか、などによって商品選択、つまり手段を選択することになる。

 

また、移動手段本体の形状が好きであるだとか、とにかく初期費用をかけたくないから安ければ良い、などの価値感によっても手段選択は変わることになる。

 

したがって、本来の目的からすればその意図から外れていることにもなりかねないが、現代社会のように満たされた世の中になると、より多くの付加価値や価値観の多様化から、手段自体を目的とする傾向が強くなってきている。

 

食事にしても然り。

 

前回ブログでも少し触れたんだけど、ミクロレベルでいえば、本来は生きていくための手段。

ということは、健康や長生きの視点はどっかに置いておけば、タムチさんのようにシロメシと水だけでも、生きていけるのだ。(実際に生きている・・・    あ、たまに他のものも食べている・・・   かえるっ?)

 

だからこそ、手段を講じることやプロセスがより複雑且つ煩雑にもなり、またその選択肢の幅も広がっているため、自社の強みをより深く追求し、そして強化するための手段を選択しなければならないのだ。

 

ダイエットするための方法、女性は特に敏感で気になる話題かと思われるが、次から次へと新手が登場してくるねぇ。

 

これも手段が目的となってしまっている好例だ。

 

次々と登場してくる新手の方法に踊らされ、マーケッターたちの思う壺にドップリと浸かっては、痩せられないと嘆いている人がたくさんいる。

 

まーしかし、そういう人は滝行でもして少し頭を冷やしたほうが良いかもしれないね。

 

そもそも本当に痩せたいと思っているのだろうか?

 

『ぜんぜん痩せられな〜い』   のっしのっし(マンモスの動く音)

 

『あのサプリきかなぁ〜ぃ』    どすこいどすこい(力士のウォーミングアップ)

 

 

おめー、しっかり食っとるやないかっ! 動けっ! 歩けっ! そしてもっと働けっ!

 

 

若林くんが春日のおでこにツッコミを入れるがごとく、はたいてやりたくなるのは私だけ?

 

 

 

 

かすがっ

かすがっ かすがっ

 

 

(博多天神にて撮影)

 

 

 

ダイエット自体は手段であり、そもそも目的は何かと言えば、

 

≪美しくありたい≫

 

だとか

 

≪健康でいたい≫

 

というようなことだろう。

 

 

更に言えば

 

 

≪キレイになって異性にモテタイ≫

 

≪健康になって長生きしたい≫

 

という目的がもっとに深いところにある。

 

 

であるならば、その目的を達成する手段や方法は別にも探すことができるのだ。

 

 

べつにブーチャンでもええやん。     差別用語?

 

心の美しさがあるや〜ん。     区別擁護?

 

 

手法や方法に踊らされ、ダイエットという手段自体を楽しんでいるのだか、苦しんでいるのだか分からないが、そこに固執している限り本来の目的は達成できない。

 

何事も、まずは、

 

 

 

≪オレ(アタシ)何でこれやってんだっけ?≫

 

 

 

と原点回帰しながら自問自答を繰り返すことが、目的達成の近道になることになりそう・・・ だ。



August 19, 2009

動的平衡

 

人を分子レベルでみたとき、一年もするとすっかり別の分子に入れ替わってしまうらしいのです。

 

アメリカにルドルフ・シェーンハイマーという分子生物学者がいました。

 

彼は生物の生命とは、代謝の持続的変化であり、自ら破壊と生成を繰返す流れによって維持されることを見出したそうです。

 

つまり、どういうことかと言いますと、一見、変わりなく見える生物の姿は、ミクロレベルで言えば、目まぐるしいスピードで変化を起こしながら均衡を保っているらしいのです。

 

動きながらも流れ流れてバランスを保っている・・・。

 

これを≪動的平衡≫と言います。

 

同じく分子生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一さんという人がいますが、このあたりのことが彼の著作物に詳しく書かれています。

 

賛否両論なのですが、『生物と無生物のあいだ』という本はたくさん売れたようなのでご存知の方も多いだろうと思われます。

 

思考をつかさどる脳細胞でさえ、時間が経てば新たに分子が置き換わってしまい、数カ月から一年もすれば完全にすべてが置き換わってしまう。

 

では果たして、記憶や意識、そして本当の『私』はどこに存在するというのでしょうか。

 


肉体が別物になっても、私たちは別人になるわけではありません。

ちゃんと記憶だって残っています。

科学的には分子配列の形状によって記憶を保つ、ということらしいのですが、文系な私にはよく分かりましぇん。

 

 

なぜ人は食べ物を食べ続けなくてはならないのか?

 

17世紀のフランスの思想家パスカルさんは言いました。

≪人間は考える葦である≫と。

 

しかし、福岡さんは言います。

≪人間は考える管である≫と。

 

人間は単純にとらえれば、ちくわのような構造をしているというのです。

 

だから、口の中はもちろん、胃の中や腸の中も基本的には体の外側の部分にあたるということになり、食べ物は血管や組織の中に取り込まれて初めて体の一部になるとのこと。

 

消化器官では食べ物をアミノ酸のレベルにまで分解し、そして初めて体に取り込まれるのです。

その後で自分なりの分子の配列に並び変えていく。

 

肉体を物質的にとらえればそういうことになるとして、やっぱり気になることがあります。



生命の本質とは何でしょうか・・・?

 

シェーンハイマーさんの理論でいけば、一年前の自分も、一年後の自分も物質的には自分じゃないということになります。

 

じゃ、私はだあれ?

 

万物は流転する。   ガイア思想。   人類みな兄弟。

 

物理的には今と同じあなたは明日にはもういない。

 

人は変化を拒む?  

いやいや、拒んだところで本質はすでに変化しているのです。

 

変化を受け入れるということは自らを受け入れること。 

生きることを受容すること。



 

いつの日にか生命の本質が科学されることを心待ちにしております。

 

 

 


 

 

 

えはら1

マッテマース

 

 

 

 


 

 

 

おおつき1

・・・

 

 

 

 

 

 

 

えはら2

ララララ〜

 

 

 

 

 

 

 

おおつき2

ウタ カンケイナイヤン・・・



August 16, 2009

明日からお仕事

 

ダルダル

 

あ〜 あつい あつい

 

だりぃ〜っす

 

ガリガリ君食いてぇ〜

 

 

 

 

 

あ 

 

どーも どーも

 

あいかわらず

 

お盆休みモードでやらせてもらってまーす

 

 

 

もー こーなったら

 

続けてやっちゃうもんねー

 

 

 

 

 

先日ですねぇ

 

ある知人の愚痴をきく機会がありました

 

 

 

 

その知人曰く

 

『嫁さんが怠け者なのだ』 

 

 

 

 

愛妻弁当

(写真はイメージです)

 

 

 

 

彼はとてもご立腹されておりました

 

 

 

 

そーですか

 

困ったもんですねぇ

 

悩みは深いですねぇ

 

 

 

 

 

先日

 

我が家の長男がこんなことを言ってました

 

 

 

ぼくねぇ

 

大きくなったらおばさんになりたい

 

 

 

 

へ へぇ〜そうなんだ・・・

 

 

 

でもね

 

それはちょっと無理かなぁ〜

 

困ったねぇ〜

 

 

 

 

 

先日

 

タムチさんがボソッと何か言いました

 

 

 

あ〜 〇〇したい・・・

 

 

 

そぉですかぁ・・・

 

 

 

頑張ろうね・・・

 

 

 

 

いやぁ〜

 

いろんな困ったがあるもんですねぇ

 

 

 

あ〜困った困った

 

 

 

 

 

グズグズですみませーん

 

 

 

あ痛たっ



houkinkun at 13:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!しょうもな 

August 12, 2009

死んだうさぎ

 

ダメなのにぃ〜

 

そりゃないぜ セニョリータ

 

 

 

 

なぜなんだ・・・

 

 

 

 

ショック  

 

 

 

 

ショ〜〜ック

 

 

 

 

 




 

ショ〜ック!!

 

 

 

 

ガビーン

 

何でやっちまったんだ ノリピ〜

 

 

 

 

 

 

ぴーすけ

ピィ〜

 

 

 

 

 

 

 

星野さん

星野 金か?

 

それとも銀か?

 

 

 

 

 

 


星野金だ

金!!

 

 

 

 

 

・・・

 

 

(え〜、我が社には星野さんというおさるさんがおりましてぇ〜)

 

 

 

・・・

 

 

 

じゃなくてぇ〜

 

 

 

 

 

『星の金貨』

 

ええ話やったわ〜

 

 

 

 

 

『碧いうさぎ』

 

ええ歌やったわ〜

 

 

 

 

 

 

うさぎはね・・・

 

 

 

 

 

 

寂しいと死んじゃうんだよ

 

 

 

 

 

 

 


えっ  そうなの?

 

 

 

 

 

 

 


マジかよっ

 

 

 

 

 

 

 

小雪はきっと寂しかったんだな

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

オシマイです・・・

 

 

 

 

あいかわらずお茶を濁しております・・・

 

 

 

 

 

 

 

ナンジャイ

 

モンクアッカ? 

 

おう?

 

う〜  ぅぅ

やんのかコラ



houkinkun at 18:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!しょうもな 

August 10, 2009

巨大化

 

≪蛞蝓≫

 

 

 

さて、なんと読むでしょう?

 

 

 

 

正解は〜ぁ〜

 

 

 

 

あ〜

 

 

 

 

あ〜

 

 

 

 

 

内緒っ! 

( -д-)ノ

 

 

 

 


なんでやねーん

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

はい、

 

というわけで、

本当はナメクジと読みます

 

 

 

 

愛知県は渥美半島の先っちょに

伊良湖というところがあります

 

 

 

 

伊良湖の国民休暇村に行ってきました

 

 

 

 

 

くろくろサンボ

 

いやぁ〜 もぉ、

日焼けで真っ黒です

 

 

 

 

大自然ですねぇ

 

 

 

 

青い空

 

 

 

 

白い雲

 

 

 

 

 

でかいナメクジ

 

 

 

 

 

なめおさん

衝撃映像っ!

 

 

白いのはタバコです

 

 

 

 

 

お食事中の方すみません・・・

 

 

 

 

 

んまぁ〜

 

なめたろうくん

しかし

 

やたらとでかいのです

 

 

 

 

 

 

なんでこんなにでかいのん?

 

 

 

 

 

メタボナメクジだ

 

 

 

 

 

ミミズさんもゴッツく太い・・・

 

 

 

 

 

こちらの映像はナメさんよりやばいので

載せるのはやめておきます・・・

 

 

 

 

 

巨大化生物に出会いたい人、

 

 

 

 

 

伊良湖の国民休暇村へおいでませ・・・

 

 

 

 

 

え〜、

 

 

本日は以上でございます・・・   ・・・

 

 

 

 

精神統一



houkinkun at 12:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!しょうもな 

August 07, 2009

コントラスト

 

最近タクシーに乗る機会が多い。

 

先日、所要で博多へ出張、帰省する際に、ホテルから博多駅までタクシーを利用した時のこと。

 

別にそれほど気にもならなかったんだけど、車内の沈黙感を埋めるために運転手さんが地元の人間であることを確認の上、地元衆がウマいと思うラーメン屋さんを尋ねてみたりした。

 

非常に気さくに答えてくれて、なかなか話もはずみ、楽しい時間を過ごすことができた。

 

私がお願いした新幹線口の方は、その時間帯だとちょうどラッシュアワーで、短い距離にも関わらず随分時間がかかるし、運賃も上がってしまうということで親切にも別の出入り口を勧めてくれた。

 

おお、それは親切にどうもねということでそちらへまわってもらい、お金を払って、ありがとねぇ〜!と車を降りた。

 

狭かった道に停車したため、後ろに次々と別のタクシーが数珠つなぎに並んでしまい、それを気にした運転手さんは早速ブ〜ンと行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

デュークあせる


 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

スーツケースおろしてないんですけど・・・

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

!!!

 

 

 

うわ〜っ 待てぇ〜っ!!  

 

新幹線の時間がぁ〜っ!! 

 

あわてて車両ナンバーを確認しながらも必死に追いかけ、200mぐらい全力で走ったところで信号に停車しているタクシーになんとか追いつくことができた・・・

 

信号が青になってしまったことと、慌てている私に同時に気付いた運転手さんは、私以上に大慌てでトランクから荷物を下ろし、パニクっていたからか、一言の謝罪の言葉もなく走り去ってしまった。

 

 

あれ、ごめんなさいは?  こういうときはごめんなさいでしょ?  お母さんにちゃんと教わらなかった?  ブツブツ・・・

 

 

 

尋常じゃない汗を垂らしながら私は途方にくれた。。。 

 

 

・・・   ・・・   ・・・   

 

 

しかし、追いつかなかったら・・・  と考えるとゾッとする・・・

 

 

・・・   ・・・   ・・・

 

 

 

豊橋駅につき、今度は自宅までの道のりでたまたま個人営業のタクシーに乗り込んだ。

 

私の住む山田二番町までお願いすると、

 

 

 

 

 

はぁ? 

 

 

 

と、往年のあのビーバップばりの≪ああ〜ん?≫的な洗礼をいきなり浴びた。

 

私の中で何かの筋か細胞が≪ぷちん≫という音を発したのを感じたが、あ、聞こえなかったんだな、申し訳なかったな、と瞬時に大人の私のメインコンピューターは判断し、行き先を言い直した。

 

そして、50mほど走ったところでものすごい急ブレーキをかけられた。

 

信号のない交差点だったんだけど、ぶつかりそうになったわけでもなく、しかもこちらが優先であるのにも関わらずなぜか止ろうとしたのだ。

 

運転手さんはいきなりケタケタ笑いながら、

 

 

 

いぃちじていしがぁ〜  ブツブツブツ ・・・  ブツブツブツ・・・

 

 

何かをしゃべってはいたが、私はものすごい恐怖感を背筋に感じた・・・

 

おそらく単純にボ〜として見間違えたか、勘違いしただけだろう・・・

 

 

 

 

で、恐怖感を感じながらも、自宅の場所の細かな説明を運転手さんにするんだけど、なかなか話がかみ合わないし、伝わらない。

 

今まで我が家までの道順の説明でほとんど困ったことはないが、この目の前にいる若干宇宙人の血が流れていそうなおじさんはさっぱり理解してくれない。

 

少しの沈黙の後、なぜだか勝手に理解したらしく、再びケラケラと笑い始めた。

 

 

 

あ〜あ、あ〜の・・・ ○△□ね  ブツブツブツ・・・

 

 

全く聞き取り不能で理解不能な、やっぱり宇宙語としか思えない言葉をブツブツとひとりで不気味にしゃべりながら勝手に納得してくれたようだった。

 

ま、まぁ、分かってくれればいいんですけど・・・

 

そしてその瞬間、今度は九州とは反対に沈黙に徹することを心に誓ったのだった。

 

しかし、住宅地でこれといった目印のない環境に我が家はあるために、近付いてくると若干の説明がどうしても必要になる。

 

で、説明のために何か言っても返事もなく、うなずきもなく、何の反応もしない。

 

再び私の中で何かが断裂したような気がした。

(ちなみに今度は先ほどの≪ぷちん≫よりも少し大きな音をともなって、器官か組織にダメージがあったような気がしたが、とてもアダルトでジェントルメーンな私はここでもセルフコントロールを容易にやってのけた。)

 

しかし、自宅に到着し、清算を済ませ、ありがとねと車から降りたところからの宇宙人の対応が予想外に良かったのだ。

 

私が清算が済むや否やトランクに走り寄り、荷物を丁寧に降ろして渡してくれたあと、ものすごくしっかりした大きな声でお礼を述べてくれたのである。

 

だから、最終的には良い気分で帰宅することができたのである。

 

ということは、

プロセスよりも結果?やっぱり終わり良ければ・・・ということが正しいのかしら?と釈然としない気持ちにもなったのであった。。。



August 03, 2009

無為自然あげいん

 

7月29日にUPしたネタ。

 

UPしてから多少後悔した。

 

私の中では当たり前のことでも、一般的には常識から逸脱しているような思想論を展開したところで、おそらく私が伝えたいと思っていることのどれほどのことが伝わるのだろうかという気持ちが、あの後フツフツと湧き上がってきたからだ。

 

変人と思われることには慣れているので、そのこと自体は別に構わないんだけど、やはり偏った意見であることには間違いないのだろうな、と後から反省したからだ。

 

私は死にたくなったことがない。

 

だから死にたい人の気持ちが心の底からは理解できない。

あくまで想像でしかないのだ。

 

本当の意味で相手の立場にたって考えることができないから、偏っていると言わざるを得ない。

 

その気持ち分かるよ〜などと体の良いことを言って慰めてあげることなどできやしない。

 

死にたくなってどうにもならなくなった経験がないから、結局は自分本位の意見でしかない。

 

死にたくなってしまうような状況にならない思考回路を構築しようと私の場合は考えることができたけど、じゃあ、できない人はどうするのだと言われたら、回答に非常に困ってしまう。

 

分泌されるホルモンや代謝のスピードなどの肉体的な要因が、精神的にも大きく影響するということが言われている。

 

うつになりやすい人となりにくい人が体質的にあるらしい。

 

それは確かにそうであるかもしれないということは認める。

 

しかし、やっぱり日頃の考え方や信念の持ち方次第だと私は思う。

 

体質はマイナス志向で物事を捉えた場合でしか考える必要がない要因だと思うからだ。

 

 

私は死にたくなったことはない。

 

例え、もし死にたくなってもたぶん死ねない。

 

こわいから。 痛いし。

 

こわいというのは、見たことのないあの世がこわいとかいう話ではなく、この世に残していく人々のことを考えると自分の行う所業そのものがこわくなるということだ。

 

ご紹介した『生きがいの創造』というあの本は、私が初めて手に取った日から換算すれば、もうすでに数年経っている。

そして今だからこそ、自分の考えと行動との因果関係を自分なりの経験則に基づいてこうして書いたり、お話することができるのだ。

 

(飯田さんの『生きがい論』シリーズはすでに累計200万部近く売れています)

 

 

私は救われ、そして許された気持ちになった。

 

 

 

私は常にバランスを取りたいと思いつつも、ある側面や一点から見れば、結果偏っていることが多いのかもしれない。

 

しかーし、

 

プラスとマイナス、陰と陽、男と女、裏と表。

 

プラス、マイナス相殺されて均衡を保つ。

全体のバランス。 それこそが重要なのだ。

 

自己擁護の気持ちは一切ないことを申し上げるが、そう思わない方は思わなくても結構。

 

繰り返すが、バランスが大事なのだ。

 

自分の欲求を押し殺して、他人を立て続ければ、いずれ自分の精神に異常をきたすことになる。

反対に自分ばかりの我を押し通せば、人間関係に支障をきたすことになる。

 

ストレスなく生きる。

そのためにバランスを保つ。

 

宇宙の真理とはすべての調和。

宇宙の法則に従うとは、つまり原理原則に従って生きること。

すなわちバランスや調和を重んじるということ。

 

無為自然とは、心を宇宙と一体化し、素直で自然な自分本来の生き方をすること。

 

心も体も自然な状態にあれば、同時に心身共に健康な状態を保つことができるのだ。

 

うつにならない生き方をする。

そのために必要な考え方を持ち合わせる。

 

だから結論、魂の話を持ち出したのも、無為自然であるための思考サイクルを手段のひとつとしてお伝えたえしたかっただけなのだ。

 

何を信じ、何を心のよりどころにするか?

 

それが宗教なのか、仏壇なのか、お守りなのか、お金なのか・・・

 

どこに、何に意識を置くかで行動や未来が変わる。

 

そして人生をも変えることができるのだ。