February 18, 2015

物として見るか、それとも?


米グーグルが2013年に買収したロボットメーカーの
ボストン・ダイナミクスが、ロボット犬「スポット」の動画
を公開している。




犬のように走ったり階段を上ったりすることができて、
人間に蹴られても、バランスを保って姿勢を立て直す。




しかしこの動画の中で行われる、ロボットを「蹴る」こと
の倫理問題についての論議が盛んになっているようだ。










どう思う?







「所詮、ロボットじゃん!」




「かわいそう!たとえロボットであっても間違ってる!」







あなたはどう感じた?







この論議について、人工知能とロボット工学を専門と
する英シェフィールド大学のノエル・シャーキー名誉
教授によると、



「非倫理的といえるのは、ロボットが痛みを感じる場合
に限られる」




とのこと。



ただし、




「生き物のように見える物を虐待すれば、生き物に
対しても同じ扱いをする公算が大きくなる」




とも指摘している。


















ソニーが発売していたペットロボットの「AIBO」。



すでに生産終了、オフィシャルでメーカーの修理対応も
去年の3月で終わってしまった。




だから、困っているユーザーさんはたくさんいるらしい。



家電か、ペットかという議論は発売当初より多くあった
が、家族の様な思い入れを持っている人もいて、再発買、
メーカー修理の再開を望む声も後を絶たない。










日本人の神観念は古来より「八百万の神」発想が
根付いている。



森羅万象すべてにおいて神が宿ると考えられてきた。




つまり、日本の神々は、道徳や理想の価値観を示す
存在ではなかった。






で、この世の現象をありのままを示し、擬人化して
伝えているのが日本神話であったりするわけだ。




日本昔話などで私たちが子供のころから慣れ親しんで
いる話にはそういった物語が多い。




だから、「思いやり」や「もったいない」など、西洋人とは
違った感情で「物」を見る何かが私たち日本人の遺伝子
に刻まれているのかもしれない。









日本が世界に誇る「モノづくり」。




日本人は、「モノづくり」に魂を吹き込むことが得意だ。




何度も何度も焼いて叩いて魂を吹き込む日本刀。




刀鍛冶の魂の吹き込み方の違いで、刀の値打ちが
変わるらしい。




が、とするならば、魂の価値ってどんな要素で変わるの
だろう?




科学的に説明がつかないが、居合士やその道に精通
している人に聞くと、実際にキレ味や強度も違うらしい。




でも、使う人によっても感じ方は違うのかもしれないし、
本当のところはよくわからない。








結局のところ、「物」を見る人、使う人の気持ち次第で
目の前の現実が人それぞれに変わるのだろう。




人それぞれに見える世界が違う。








物にも「魂」が宿るのか否か。




物の中に「魂」を見るか否か。




じゃ、「魂」とは一体なんだろうか。











ずばり、「魂」とは、人間の「心」や「感情」、「気持ち」のことだと思う。





ま、当たり前か。。。









物に対しても「心」を感じる人もいれば、人に対しても
「心」を感じられない人がいるのが人間社会。








さて、「AIBO」は、痛みを感じるのだろうか?




いや、たとえAI(人工知能)が備わっていたとしても
それはないだろう。




しかし、これほどまでに、人に感情移入させるものは
一体なんだろうか?




イギリスの大学の先生が言うように、「AIBO」は痛みを
感じないから、倫理的に問題があるとは言えないのかも
しれない。




それでも、何か釈然としないこの気持ちはなんだろう?




それは、自分の心の痛みだ。




自分の心が少し痛いと感じてしまうのだ。




私たちが議論する上で中心となる「痛み」とは、きっと、
他者が感じていることそのものではなく、自分が感じる
心の「痛み」のことなのだと思う。




悲しさや恐怖、苛立ちや憎しみなど、自分の感情そのもの
が、相手に投影される。








痛みを知らない人が相手の痛みを感じることは難しい。




カウンセラーやセラピストは、自分の悩みからその道へと
傾倒し、結果として自分の仕事にまでしている人たちが多い。




悩まない人、問題を抱えたことのない人は、他人を救うことは
できない。




相手を理解することができないからだ。




だから、痛みを知らない人は、きっと成功もないだろう。




つまり、失敗を知らない人に成功はやってこない。




ただし、この場合の「成功」の概念は、物の豊かさではなく、
心の豊かさにおける幸せ度として考えたいところだ。








自分が、問題を抱えたままでは他人を救うことができない。




相手の問題が自分の問題となってしまうからだ。




だから、自分の問題をクリアしていない人が相手の問題を
クリアできるはずがない。








相手の中に自分を見る。




それが人を人として見るということだと思う。




つまり、相手を自分と同じ存在であると感じること。




これは「魂」をつなげ合わせる作業ではなかろうか。








相手も自分も同じ。




そもそもつながっている。




それを感じる。




そのように多くの人が他者を見て、感じることができるように
なればもっと世界は平和になるんだろうな。